小野小町の墓 (京都府井手町)
grave of Ono no, Komachi
小野小町の墓 小野小町の墓 
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台石の上に方形の4石が積み上げられている。




小野小町の歌の石板「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花」(『小町集』流布本61、異本40、『新後拾遺和歌集』145)
 平安時代初期の歌人・小野小町については、各地に生誕、終焉地の伝承がある。
 井手の玉津岡神社参道の坂途中に、小野小町之塚といわれる4つの四角い石積みがある。石は井手寺(井堤寺、光明寺)の礎石を利用したものという。
 井手を歌った小町の歌に、「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花」(『小町集』流布本61、異本40。『新後拾遺和歌集』145)がある。
◆歴史年表 塚の詳細、変遷は不明。
 平安時代、小野小町(815?/826?-898?)は山城の井手の里に住し、井手寺の別当の妻になり、69歳で井手寺で亡くなったという。(『冷泉家記』『冷泉家流 伊勢物語抄』)
 1142年、小町墳が現在地に描かれている。(「山城国井堤郷旧地全図」、模写は1326年、1803年)
◆小野小町 平安時代前期の歌人・小野小町(おのの-こまち、809?/815?/826?-901?/898?)。詳細不明。小野氏の出という。出羽国(山形県・秋田県)の郡司良真(よしざね)・当澄(まさずみ)・常澄・篁(たかむら)・小野滝雄・藤原常嗣(つねつぐ)・洛北・市原の小野良実の娘、美材(よしき)・好古(よしふる)らの従妹、篁の孫娘などともいう。小町とは禁中局の名称とされ、本名は小野比右姫ともいう。采女(うねめ)とも、第54代・仁明天皇、第55代・文徳天皇の更衣(こうい)、氏女(うじめ)、中(ちゅうろう)女房ともいう。文徳・清和・陽成年間(850-884)、承和・貞観年間中頃 (834-868頃) に活動した。文屋康秀、凡河内躬恒、在原業平、安倍清行、小野貞樹、僧遍昭らとの歌の贈答がある。恋の歌に特徴あり、漢詩の表現に通じた。『古今集』以下の勅撰集に 60首余入集、『三十六人集』の一つ後人撰家集『小町集』がある。絶世の美女として歌舞伎、義太夫、謡曲など「小町物」の題材になった。六歌仙・三十六歌仙の一人。
◆井手と小町 井手での小野小町の伝承がある。後世の伝承として、小町は大江惟章の妻になり、第54代・仁明天皇の子・其蔭親王に仕えた。住吉で尼になり、井手寺の別当の妻となったという。(『謡曲拾葉抄』「関寺小町」、江戸時代、1772年)。
 また、小町は山城井手の里に住したという。(『百人一首抄』、烏丸光広、1559-1638)。
 小町は69歳で井手寺で亡くなったともいう。(『冷泉家記』、鎌倉時代の『冷泉家流 伊勢物語』『和漢三才図会』、1751)
 塚周辺には、阿元坊、本願坊、中坊などが存在し、遊行聖、その妻・巫女らが住していたともいう。各地に残る小町の老残落魄伝説を広めたのは、これら漂白宗教者で鎌倉時代以前の猿女君(さるめのきみ)、室町時代以後は熊野比丘尼(びくに)だったともいう。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『日本文学にあらわれた井手町』『井手町歴史愛好ロマンのしおり』『京都の地名検証』『京都大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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小野小町の塚 京都府綴喜郡井手町井手東垣内 
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