出雲大神宮・御影山 (京都府亀岡市)
Izumo-daijigu Shrine
出雲大神宮 出雲大神宮 
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「国幣中社 出雲神社」の社名標


「丹波之国一ノ宮 名神大社、元出雲 出雲大神宮」の石碑












拝殿


御神体山の御影山


本殿拝所


本殿


本殿


本殿








夫婦岩


夫婦岩



真名井の水



舟岩(ふないわ)



絵馬、祭神の三穂津姫命は天祖・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘神で、大国主命国譲りの際に、天祖の命により后神となったことから天地結びの神、縁結の神となったという。



絵馬



崇神天皇社(第10代・祟神天皇)





磐座(武甕槌命 天児屋根命)



磐座、巨岩、本殿裏に祀られている。



稲荷社



稲荷社



みかげの滝



上の社



御神体山の参道



磐座群



笑殿社


弁財天社、神池



弁財天社



黒太夫社



黒太夫社
 神体山の御影(みかげ)山西麓に、出雲大神宮(いずも-だいじんぐう)は位置している。本殿背後には、二つの巨大な磐座と磐座群が祀られている。
 「丹波国一之宮」と呼ばれる。また、周辺の江島里、中、出雲、小口、馬路の産土神として「出雲さん」とも呼ばれてきた。 
 戦後は単立神社になった。式内社(名神大社)、旧社格は国幣中社。
 祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)、その后・三穂津姫尊(みほつひめのみこと)を祀る。
 三大御神徳(長寿、縁結び、金運)の信仰を集めている。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 古来より、背後の御影山を神体山として祟める祭祀信仰があり、山麓には古墳も築かれた。古代出雲国杵築神(きづきのかみ)を祀ったともいう。
 弥生時代、第10代・祟神天皇(BC148-BC29)の丹波平定の際に再興されたともいう。
 飛鳥時代-奈良時代、和銅年間(708-715)、大国主命一柱のみを当社より島根の杵築の地の出雲大社に遷したともいう。(『丹波国風土記』逸文)
 飛鳥時代、709年/711年、社殿が建立されたという。
 平安時代、818年、出雲社が「名神に預る」の記述がある。(『日本紀略』)
 845年、無位より従五位下の神階を授けられる。( 『続日本後紀』)
 872年、従四位上になる。(『日本三代実録』)
 880年、正四位下になった。(『日本三代実録』)
 910年、正四位上に叙せられる。(『日本紀略』)
 927年、『延喜式神名帳』中、「名神大社(みょうじんたいしゃ)」に列している。名神大社とは、古来より霊験著しい神の称号とされている。
 1025年、領家職・西園寺家は雨乞いのために当社で、大般若経を転読し慈雨があったという。(『左経記』)
 1184年、源頼朝は、院宣(いんぜん)により玉井四郎資重の濫行(乱暴な行い)を止めた。
 平安時代末期、すでに神宮寺が存在したとみられている。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、丹波の一の宮になった。
 鎌倉時代、1234年、北条泰時は社領安堵する。
 1292年、正一位に進む。(『西園寺相国実兼公日記』)
 鎌倉時代以降、争乱により、愛宕山、飛び地の小塩山の神領を失う。
 1305年、足利尊氏は社殿を修造した。
 1345年、尊氏は本社、末社、神宮寺の修造のために御教書を出す。
 1354年、尊氏の社領安堵のための御教書が出された。
 室町時代、1476年、室町幕府は社殿修造料として段銭課腑(幕府が費用に充てるため、臨時に諸国の田地から段数に応じ徴収した金銭)を認める御教書を出す。
 1477年、細川政元の修造の願文が出される。
 1508年、丹波守護代・内藤貞正の願文が出される。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、境内の神宮寺は廃された。
 1871年、国幣中社に列せられた。
 1871年以降、神宮寺安置の木造十一面観音立像は極楽寺へ遷された。
 現代、戦後、出雲大神宮と改称し、単立神社になる。
 1965年、社殿の修復を行う。
◆祭神 祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)を祀るともいう。(『丹波国風土記』逸文)
 また、首座に国常立命(くにとこたちのみこと)、両座に大国主命(おおくにぬしのみこと/かみ)、三穂津姫尊が鎮座しているとの記述もある。(『富士古文書』(宮下文書)。
 当社によると、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点する地にあり、国譲りの所由によって社が祀られたという。天地開闢の際に出現した神、国常立命は、田場(たにば)の真伊原におり、桑田の宮(出雲の宮)を築いたという。国の半分を農業を主として統治した。亡くなった後に、田羽(田場/御神体山)に葬られた。その後、出雲毘女皇らにより麓の祠に遷され祀られた。出雲毘女皇がその後も祠を守る。その没後、出雲毘女皇は御神体山に葬られる。後、三穂津毘女と諡(おくりな)され、祠に祀られ出雲大神と呼ばれるようになったという。(当宮案内、『富士古文書』(宮下文書)
◆神体山・磐座 境内の東に神々が降臨したとされる神体山が聳えている。霊峰・愛宕山の真西に位置している。
 古く、社殿建立以前より祭祀信仰の対象になってきた。国祖である国常立尊(くにのとこたちのみこと)が鎮座する聖地とされ「出雲の大神」と崇められてきた。当宮祭神の三穂津姫命(みほつひこのみこと)が奉仕し、葬られた地ともいう。(『富士古文書』)
 山は「御蔭山(みかげやま)」、「御影山(みかげやま)」、「千年山(ちとせやま)」ともいわれた。まも禁足地になっている。國祖祭(毎月25日)。
 本殿の北後方に、一つの巨大な磐座がある。さらに、本殿北東の御影山参道脇、森中に複数の大岩が露岩しており、磐座群として祀られている。
◆社号・出雲大社 古来より、さまざまな社名が使われていた。「出雲大神宮(いずもおおかみのみや)」、古くは「出雲神社」、「千年宮(ちとせのみや)」、「大八洲国国祖神社(おおやしまのくに-くにのみおやのじんじゃ)」とも称された。
 この出雲とは、口丹波が濃霧で知られたことから、千歳の神体山(御蔭山)より昇る陽光が霧に射し、あたかも雲わき出るようであると形容されたことに因るという。
 太平洋戦争以前は、「出雲神社」と呼ばれた。戦後、現在の「出雲大神宮」に改称する。島根の出雲大社は古代より近代、1871年まで「杵築大社(きづきたいしゃ/きづきのおおやしろ)」と呼ばれていた。
 また、島根の出雲大社より古く、当宮では大国主命を祀っていたともいう。「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年間(708-715)、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」(『丹波国風土記』逸文)と記されており、大国主命を当社より島根に分霊したともいう。また、島根の出雲大社の分霊を当社に勧請したとの伝承もある。俗称として「元出雲(もといずも)」と呼ばれた。この地より、山陰の出雲、京都の出雲に出向いたからともいう。
 なお、現時点で古代丹波に出雲人が存在したとの史料はない。ただ、出雲人の移動経路に当社地が当たっていたとの見方もある。
◆神宮寺 かつて境内に神宮寺が存在していた。
 平安時代末期には、すでに神宮寺が存在したとみられている。近代、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈により、神宮寺は廃される。1871年以降、当宮に安置されていた平安時代の「木造十一面観音立像」(重文)は、境内北西近くの極楽寺へ遷されている。また、社蔵の「観音像」は、江戸時代には社域内にあった観音堂に安置されていた。
 神宮寺に関わるとみられる祭事として、平安時代、1025年、当社で雨乞のために大般若経を転読している。(『左経記』)。現在、当社で催される鎮花祭(花鎮祭)(4月18日)は、かつて観音菩薩の縁日になっていた。室町時代、1459年以前より現在まで続く、「雨乞の風流踊り(雨乞風流事、雨悦風流事、花行事神賑)」も当社に奉納されていた。また、現在も催されている秋祭り(8月18日)の際の法会も、神宮寺祭礼の名残という。
◆建築 ◈「本殿」(旧国宝、重文)は、鎌倉時代、1345年、1346年、元徳年間(1329-1330)に足利尊氏(1305-1358)により改修されたという。また、近年、3枚の棟札が発見され、室町時代、「文安二(1445)年」のものに「御願主源右享(京)大夫殿」とあり、細川勝元(1430-1473)も修造している。
 正面に一間の向拝、前庇を外陣、身舎を内陣・内々陣にあてる。外陣と内陣部分に高欄付き縁、身舎側面の中央柱の所に脇障子を立てる。身舎後半部には縁を廻していない。建坪14坪(46㎡)弱。三間社流造、平入、檜皮葺。
 ◈「拝殿」は、近代、1878年に官費により造営された。舞殿形式、入母屋造、妻入、檜皮葺。
 ◈「中門」は、切妻造、平入。
 ◈「上の社本殿」は擬宝珠に江戸時代、「文化十年(1813年)」と刻まれている。向拝があり、出雲大神宮本殿を模倣している。一間社流造。
◆神像財 本殿内陣三間に安置の「木造男神坐像」2体(附、木造男神坐像1体)(重文)がある。
 ◈「男神像(大国主命とも)」は、平安時代(9世紀末-10世紀初)作の主神になる。カヤの一材で丸彫りし、素地に彩色している。足を組んで坐り、頭部の方形の冠を戴く。
 ◈「男神坐像」は、一回り小さい異形で、カヤ材を用い二材を矧ぎ寄せる。彫り口は荒く、衣文線や石帯は墨描で表している。主神像造立にやや遅れるが、ほぼ同時期の作とみられている。
 ◈「附の一体」は、クスノキとみられる一材により、主神像に倣ったような丸彫り像になっている。本殿建立の南北朝時代、1345年以降の作とみられている。
◆摂末社 かつて、36社の摂末社があった。その後、兵火により失われたという。
 ◈「上の社(かみのやしろ)」の祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、厄難消滅の神になる。櫛稲田姫尊(くしいなだひめのみこと)を祀る。月次祭(毎月14日)。
 ◈「稲荷社(いなりしゃ)」は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る。五穀豊穣・商売繁盛の神になる。稲荷社祭(毎月23日)。
 ◈「春日社(かすがしゃ)」は、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、天兒屋命(あめのこやねのみこと)を祀る。中世に、藤原氏の一族・一条(後の西園寺)家が当宮の領家職だったことに由来する。
 ◈「崇神天皇社(すじんてんのうしゃ)」は、第10代・崇神天皇(御真木入日子印恵命 [みまきいりひこいにえのみこと] )を祀る。当宮は崇神天皇により再興されたという。崇神天皇社祭(毎月14日)。
 ◈「笑殿社(わらへどのしゃ)」は、事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀る。商売繁盛の神、少那毘古名命(すくなひこなのみこと)は医薬・健康の神になる。笑殿社祭(毎月14日)。
 ◈「辨財天社(べんざいてんしゃ)」は市杵島姫命(いつきしまひめのみこと)を祀る。美容、財運、芸能神になる。月次祭(毎月23日)。
 ◈「黒太夫社」には猿田毘古神、大山祇神を祀る。月次祭(毎月8日)
 ◈ほかに荒神社、祖霊社などがある。
◆徒然草 鎌倉時代末期、吉田兼好の『徒然草』(1330-1331?)、第236段に、出雲神社にまつわる逸話が出てくる。
 「丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、『いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん』とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、『あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん』と涙ぐみて、『いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり』と言へば、各々怪しみて、『まことに他に異なりけり』、『都のつとに語らん』など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、『この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや』と言はれければ、『その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり』とて、さし寄りて、据ゑ直して、 去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。」
 出雲大社が移転、新造され聖海上人の一行が参拝した。拝殿前の獅子と狛犬が背中合わせになっていたため、何か深い謂れがあると思い神官に尋ねた。神官は単に子どもの悪戯であるといい、狛獅子・狛犬を向き合うように置きかえて去って行った。
◆社名標 「国幣中社 出雲神社」の社名標が立つ。揮毫は千家尊福(せんげ-たかとみ、1845-1918)による。尊福は、出雲大社宮司の出雲国造家に生まれた。教派神道出雲大社教を創始した。貴族院議員、司法大臣などを歴任する。
◆遺跡 ◈本殿後方北の山中の森に、古墳時代、5世紀-6世紀初頭の「横穴式墳墓」が保存されている。盛土も残り、石室の入口は南に開口している。
 ◈境内の西にある国指定史跡、「千歳車塚古墳」(亀岡市千歳町千歳車塚)は、亀岡盆地最大の前方後円墳といわれている。築造は古墳時代、6世紀前半とみられている。当宮との関わりがあるともいう。詳細は不明。
 ◈境内、付近の山麓より、平安時代-鎌倉時代の古瓦が出土している。
◆神水 ◈「真名井の水(まないのみず)」は御影山より湧水している。
 中硬水で、古生代の石灰岩層を伝い、接触変成岩層から湧き出ている。長寿・万病、痛み止めの効験あるという。
 ◈「御蔭の滝(みかげのたき)」は、竜神乃神を祀る。
◆なでうさぎ 「しあわせ、なでうさぎ」は、一ノ鳥居の前に祀られている。神話の「因幡の白兎」では、白兎は当宮の祭神・大国主命に助けられた。(『古事記』)。
 神使の白兎は、飛び跳ねることから運気の上昇、飛躍を象徴し、体を撫でると幸せが訪れるという。体の患部と同じ兎の部分を撫でると痛み、病気も除去するという。
◆鎮花祭 ◈祭礼「鎮花祭(花鎮祭)」(4月18日)は、かつて3月18日に催され、当日は観音菩薩の縁日になっていた。一時断絶し、昭和初期に復興した。無形文化財に指定されている。
 ◈室町時代、1459年以前より、雨乞のための「風流踊り(花踊り、雨乞風流事、雨悦風流事、花行事神賑)」も当社に奉納されていた。雨乞いの願掛け、願解き(雨悦)が起源とみられている。
◆自然 1997年に京都府「京都の自然200選 歴史的自然環境部門」に「出雲大神宮」として選定された。社殿背後の御影山は神体山であり、「千年山」とも呼ばれている。落葉広葉樹を中心にしている。
 ◈招霊木(おがたまのき)がある。オガタマノキは、樹齢1500年以上とされ自生種という。神宿る木として崇敬され、参拝者に神徳を与え、人々に幸福を授けるという。3月中旬-下旬に花、10月に赤い実を付ける。モクレン科。胸高幹周1.55m、樹高15m。
◆結婚式 神前結婚式が挙げられる。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、元始祭(1月3日)、粥占祭(よねうらさい)・古神札焼納祭(1月15日)、節分祭・祈祷木焚上式(2月3日)、稲荷社祭(2月第2日曜日)、紀元祭(2月11日)、祈年祭(2月17日)、黒太夫社・祖霊社祭(3月第2日曜日)、春季祖霊社(3月20日)、鎮花祭(花鎮祭)・出雲風流花踊奉納(無形文化財)(4月18日)、春日社祭(5月第2日曜日)、御田祭(5月下旬)、辨財天社祭(6月第2日曜日)、夏越大祓式(6月30日)、七夕祭(7月7日)、上の社祭(7月第2日曜日)、秋祭(法会)(8月18日)、抜穂祭(9月中旬)、秋季祖霊社祭(9月22日)、宵宮祭(10月20日)、例大祭(10月21日)、七五三詣(11月中)、笑殿社祭(11月第2日曜日)、新嘗祭(11月23日)、崇神天皇社祭(11月第2日曜日)、天長祭(12月23日)、師走大祓式・除夜祭(12月31日)。
 月次祭(毎月1日)、大国祭(毎月15日)。国祖祭(毎月25日)。真名井の水(まないのみず)感謝祭・えんむすびまつり(毎月第4日曜日) 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『出雲大神宮』、『京都府の地名』、『京都古社寺辞典』、『京都の地名検証』、『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』、『新修亀岡市史資料編第四巻』、『京都 神社と寺院の森』、ウェブサイト「出雲大神宮」


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祖霊社

横穴式墳墓、古墳時代、5世紀-6世紀初頭

横穴式墳墓の石室内

神池

御神体山
出雲大神宮 グーグルマップ・ストリートビュー
出雲大神宮 〒621-0002 京都府亀岡市千歳町千歳出雲後田  0771-24-7799 
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