愛宕神社・牛松山 (亀岡市) 
Atago-jinja Shrine
愛宕神社・牛松山 愛宕神社・牛松山 
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拝殿


本殿


本殿


本殿、桁部分


狛犬


三つ巴




八幡社(はちまんしゃ)



高良玉垂社(こうらたまたれしゃ)
 愛宕神社(あたご じんじゃ)は、千歳連山の牛松山(636m)の麓にある。北東にある愛宕山(924m)の愛宕神社(京都市右京区)に分霊したとして「愛宕の本宮」「本社」とも呼ばれている。 
 『延喜式神名帳』の「丹波国桑田郡」の「阿多古(あたご)神社」に比定されているともいう。
 祭神は、火産霊命(加具突智神、ほむすびのかみ)、伊邪那美命(いざなみのかみ)、大国主命(おおくにぬしのかみ)を祀る。
 火防(ひぶせ)の守護神、火難除け、魔除けの神として信仰篤い。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 古くより山を神籬(ひもろぎ、依代)として祭祀していたという。
 飛鳥時代、507年、神殿が創建されたという。
 第40代・天武天皇(673-686)の時、当社の分霊が山城国鷹峯(京都市北区)に遷されたともいう。
 大宝年間(701-704)、役行者、雲遍上人(僧泰澄)は、手向山(京都市右京区、嵯峨山)の頂上を拓く。
 奈良時代、729年、手向山に和気清麻呂、藤井慶俊により社殿が造営されたという。和気清麻呂は、第49代・光仁天皇に請願し、鷹峯より分霊を遷し、阿多古神社(愛宕神社)と称したという。
 741年以降、この地に丹波国分寺が建立される。
 平安時代、864年、当社は「丹波國正六位上愛當護神從五位下」となる。(『日本三大実録』、901)
 872年、「從五位下阿當護神從五位上」と進む。
 879年、「従五位下阿当護神従四位下」と進む。
 いつの頃からか(平安時代後期?)、国分寺の衰退により僧侶が当社で奉仕したこともあったという。神仏習合の両部神道となり愛宕権現(あたごごんげん)とも呼ばれた。境内東北の山上は干山(ひやま)呼ばれ、坊舎の東本坊、西本坊があったという。
 室町時代、1465年、神殿が創建され、信仰修験の神社として崇敬を集めたという。
 永正年間(1504-1520)初め、別当寺(江戸時代以前の神仏習合期、神社に付属して置かれた)の岩平寺(千歳町小口)は、香西孫六の乱の兵火により焼失したという。その後、一坊が再興される。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、岩平寺は明智光秀の兵火により再び焼失した。
 文禄年間(1592-1596)、また第107代・後陽成天皇の在位時(1586-1611)、山麓に草庵を結び、東光寺と称したという。
 江戸時代、亀山藩主松平家の当社への崇敬厚く、毎年弊帛(へいはく)を供進していた。
 現代、1977年、神殿は国の重要文化財に指定された。
◆愛宕 愛宕には「おたぎ」と「あたご」の呼び名がある。
 古代、この地は愛宕(おたぎ)と呼ばれていた。飛鳥時代、645年の大化の改新以来、国司制度に伴い境内西方に国府が置かれ、国分と呼ばれるようになったという。741年以降、この地に丹波国分寺、国分尼寺が建立され、近くに国府も置かれたとみられている。
 飛鳥時代、第40代・天武天皇(673-686)在位時?、当社の分霊が山城国鷹峯(北区)に遷されたという。その際に、神霊は境内北にある山道を白馬に載せ出御になった。その際の馬の足跡とされる岩石が、いまも山中に残されているという。以後、愛宕信仰の絶大な崇敬により、上賀茂、大宮、紫野、鷹峯一帯(京都市北区、左京区)を、1949年に至るまで愛宕郡(おたぎぐん)と呼んだ。
 また、阿多古(あたご)に関して、亀岡盆地の肥沃地帯の四野(稗野、湯井・千原、千歳野、矢田野)を支配した首長・阿多根命(あたごのみこと)の存在があった。上古の久我(こが)国は、知られた愛宕、葛野のみならず、この一帯の丹波桑田郡を含む広域が包括されたともいう。愛宕に関して丹波と、山城の関係も見えてくる。
 いつの頃からか当社は両部神道になり、神仏習合の神号・愛宕権現(あたごごんげん)と呼ばれた。(『愛宕本宮 愛宕神社』、愛宕神社)。この両部とは、仏教の真言宗(密教)に基づく神仏習合思想を指し、愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した。現在、愛宕権現は当社西の養仙寺に遷されている。
◆建築 覆屋内の「神殿」(重文)は、鎌倉時代の建立という。一間社流造。1977年に重要文化財に指定された。現存する社殿として亀岡市内で最も古いとされている。
 「拝殿」は、江戸時代に建立された。
◆末社 当社の冊子には、東の末社として火防大神社、神明宮、国分八幡宮、高良玉垂神社、西の末社として恵比須社、天満宮社、大穴牟知社、太郎坊宮社、少毘古那社、稲荷社、稚産霊神社と記されている。
◆火防神 火防(ひぶせ)の守護、災難除け、魔除けの神として知られ、火を扱う業者の守護神、五穀豊穣の祖神ともされている。例年、4月から5月中旬にかけて、生後3歳で参詣すると生涯にわたり火難、災難から免れるとする「愛宕三ッ参り」の信仰がある。また、かつては「お伊勢七度、熊野へ三度、愛宕さんには月参り」といわれるほど篤い信仰を集めていた。
◆木 境内にはご神木の大杉(亀岡の名木)が立つ。胸高幹回り5.07m、樹高39m。幹に洞があり、齧歯目リス科のムササビが生息している。鎮守の森に長年にわたり繁殖していることから、京都の自然200選に選ばれている。
 マツ科のモミの大木は胸高幹回り3.6m、樹高32mある。
 マキ科マキ属の常緑針葉高木、イヌマキの大木(亀岡の名木)もある。
◆牛松山 牛松山(うしまつやま)は、愛宕神社の東に位置している。山容が美しいため「丹波富士」とも呼ばれた。千歳連山の一つであり標高は636mある。さらに北東には愛宕山がある。この山を詠んだとみられる鎌倉時代の公卿・藤原定長に「ひとしほの春は緑の色そへて霞たなびく牛松の山」がある。
 山頂近く南東に金比羅神社が祀られている。江戸時代、寛延年間(1748-1751)の創建という。保津川の船筏に乗る者たちの守護神であり、参詣のためには南東より登頂するため身体強健にもつながった。
 山は古く、石松山と呼ばれたともいう。牛松山の山名の由来について、金比羅神社に牛肉を祀ったとされ呼ばれたともいう。山が牛の背を連想させるためともいう。
◆千歳山 歌枕になっている千歳山(ちとせやま)は、千歳周辺の山を指すともいう。
 最も古い歌で平安時代、970年の「今年より千とせの山は声たえず君が御世をぞいのるべらなる」(『拾遺和歌集』609、大中臣能宣)がある。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、祈念祭(2月14日)、鎮火祭(4月24日)、中元祭(8月15日)、国分八幡宮祭(9月16日)、秋祭(10月21日)、新嘗祭(11月24日)、注連縄造り・大掃除(12月末)。
 月次祭(毎月1日、15日、24日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『愛宕本宮 愛宕神社』『京都・山城寺院神社大事典』『京都の地名検証』『京都の地名検証 3』


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萩森大明神(はぎもりだいみょうじん)、宇都宮大明神(うつのみやだいみょうじん)

萩森大明神、宇都宮大明神

大山咋神社(おおやまくいのかみしゃ)、大山祇神社(おおやまづみしゃ)

大杉

モミ

境内背後の牛松山、かつては神奈備山だった。
愛宕神社 〒621-0003 亀岡市千歳町国分南山ノ口1   0771-23-9341
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