山王神社 (京都市東山区) 
Sanno-jinja Shrine
山王神社 山王神社
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拝殿


「山王神社」「山王出世大國社」社号扁額が掛る。





 東大路通から渋谷通を東へ入り、急坂の途中、北西に小社・山王神社(さんのう-じんじゃ)はある。かつて旧清閑寺全村は清閑寺の境内地になっていた。中世(鎌倉時代-室町時代)、寺勢の衰退に伴い分割された。 
 祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ) 、大名牟遅神(ななむろのかみ)、田心姫神(たごりひめのかみ)、大山荒魂(おおやまぐいのかみあらみたま)、白山姫神(しらやまひろのかみ)、鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)、鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめあらみたま)の7座。また、国常立命(くにのとこたちのみこと)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀るともいう。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、802年、清閑寺(東山区清閑寺山ノ内町)は、比叡山の紹継(しょうけい)法師が開創したともいう。天台宗(現・真言宗)の清閑寺の鎮守社として、山王神社はその山門の内にあったという。近江・日吉社より勧請され、分霊を祀っていたともいう。一帯の清閑寺村の産土神だった。
 江戸時代、1711年、清閑寺が山王神社を祀る理由として、清閑寺が開山当初は天台宗だったからとしている。(『山州名跡志』)
 近代、1901年、山王神社は清閑寺村の村社だった。清閑寺より独立し、その境内より現在地に移る。
 現代、1967年頃まで、清閑寺山ノ内町も氏子地域だった。
◆祭礼 大祭(5月第2日曜日)では、剣鉾(鳳輦)は、台車に載せて曳行している。巡幸列に鉾も供奉する。
 江戸時代中期、1717年頃には、「神輿これ無し」「四月晦日神事、神幸これ無し」(『京都御役所向大概覚書』)。とあり、この頃、神輿・神幸祭も行われていなかったとみられている。
 現代、1967年頃まで、清閑寺山ノ内町も氏子地域だった。このため、山王神社の神幸列は、清閑寺(東山区清閑寺山ノ内町)門前まで巡幸していた。同1967年に五条バイパス(1975年に国道1号線)が開通しており、神輿巡幸が困難になったとして清閑寺山ノ内町は氏子地域から外れたという。
◆年間行事 大祭(5月第2日曜日)。


*年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『京都大事典』、『日本地名大辞典 京都府 上』、『山科事典』、『剣鉾まつり』


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本殿

本殿

境内裏を流れる谷川
山王神社 〒605-0923 京都市東山区清閑寺池田町 
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