日吉神社 (京都市左京区) 
Hiyoshi-jinja Shrine
日吉神社 日吉神社
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 日吉神社(ひよし じんじゃ) は、真如堂の東に位置し、換骨堂(元真如堂) の南に隣接する。かつて、真如堂の鎮守社として置かれた。山王権現社とも呼ばれた。浄土寺町、真如町の産土神として崇敬されている。
 日吉山王、国常立尊(くにのとこたちのかみ) の二神を祀る。 
◆歴史年表 平安時代、この地には、東三条院の宮(962-1002)の御所「女院離宮」があった。
 984年、994年とも 、比叡山の戒算(かいさん)が、延暦寺常行堂に安置の阿弥陀如来像を女院離宮に遷して、真如堂(現在の換骨堂・元真如堂の地) が開創されたという。請願は、東三条院の宮による。
 992年、離宮は寺に改められた。
 鎌倉時代、比叡山の守護神、日吉神を山王権現としてこの地に勧請された。以後、真如堂村の氏神として祀られる。日吉神は、平安時代末期より、魔除けの神、「日吉の摩去る(まさる、魔猿) 」として信仰を集めていた。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477) 以後、真如堂本尊が各地を移転する間も、日吉神社はこの地を離れることなかった。地主神として崇敬を集める。
 近代、1868年、神仏分離令後、換骨堂(元真如堂) 、真如堂から離される。
◆東三条院 平安時代の女御・東三条院(ひがしさんじょういん、962-1001)。藤原詮子(せんし/あきこ)。太政大臣・藤原兼家の娘。母は藤原時姫。978年、第64代・円融天皇の女御になり、980年、従四位下に叙せられる。東三条邸で懐仁親王(後の第66代・一条天皇)を産む。だが、関白・藤原頼忠の娘・遵子に后の座を奪われ、父・兼家と共に里邸の東三条邸に篭り、天皇の召還にも応じなかった。986年、一条天皇即位により、皇太后の宣下を受けた。991年、円融法皇が没し出家した。皇太后宮職を廃止し、太上天皇に準じ女院号の最初「東三条院」を授けられる。
 宇治陵に葬られた。
◆神像 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、神殿に神像が秘蔵されていた。現代、1971年の調査により、神仏習合時代の神像は、日吉(ひえ) 山王七社のうちの十禅師(じゅうぜんし) の本地仏(ほんじぶつ) だった、桧一木造、極彩色立像の地蔵菩薩と判明した。
 日吉山王七社権現の一つ十禅師とは、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を権現とした。国常立尊(くにのとこたちのみこと)から数えて第10の神であり、地蔵菩薩の垂迹(すいじゃく) とされている。
 垂迹は、本地垂迹説に基づき、人々の救済のために、仮に神の姿をして現れた仏・菩薩とされている。本地仏も、神の本来の姿の仏・菩薩をいう。 


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』 、ウェブサイト「コトバンク」  


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境内から西の景観、山は大文字山
日吉神社 〒606-8414 京都市左京区浄土寺真如堂町53 
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