金蔵寺小塩山 (京都市西京区)
 
Konzo-ji Temple
金蔵寺 金蔵寺 
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参道途中御堂(不動堂)に立つ「西岩倉山金蔵寺」の碑


山門、仁王門 




仁王門 


参道石段


参道石段 


サクラ


紅葉


護摩堂








石垣




手水舎


麗仙池




護摩堂


開山堂


開山堂

 洛西の小塩山(おしおやま、642m)の中腹(350m)に金蔵寺(こんぞうじ)はある。平安時代に「西の岩倉」といわれ、「京三岩倉」のひとつとして朝野を問わず広く崇敬を集めていた。  
 寺は、平安時代末の説話集『今昔物語』巻17の第39に「京ノ西山ニ西石蔵(にしいわくら)ト云フ山寺有リ」と登場する。山号も西岩倉山(にしいわくらざん)と号する。
 天台宗。本尊の十一面千手観音像を安置している。
 京都洛西観音霊場第2番札所。
◆歴史年表 奈良時代、718年、女帝・第44代・元正(げんしょう)天皇の勅により、隆豊(りょうほう)禅師が開創した。向日明神の神助によるという。(『金蔵寺略縁記』)。当初は法相・三論宗だった。
 728年、天平年間(729-749)とも、第45代・聖武天皇は「金蔵寺」の勅額を贈る。
 729年、聖武天皇は「華厳経」、「法華経」、「普門品」などの経典を書写し、各所の名山霊地に埋蔵した。そのうちの埋蔵地の一つが金蔵寺寺領内といわれている。
 平安時代、794年、第50代・桓武天皇は、平安京遷都に当たり、王城鎮護のために都の四方に経典を埋めたという。西方の地の当寺にも経典が埋蔵された。このため、西岩倉山の山号を贈られたという。
 958年、良源弟子・賀登(がと)により中興され、法相・三論宗より天台宗に改宗なになる。平安時代以来、西山の名古刹として栄え、堂塔、伽藍など一時は49院が建ち並ぶ大寺になる。
 1120年頃、「京の西山に西岩蔵という山寺あり、その山寺に仙久という持経住けり」と記されている。(『今昔物語』巻17第39)
 室町時代、日記『臥雲日件録跋尤』に当山の記述が見られる。
 文明年間(1469-1486)、応仁・文明の乱(1467-1477)などの兵乱により焼失する。
 1549年、再興される。
 1560年、永禄年間(1558-1570)とも、永禄の乱により焼失した。
 1571年、元亀の乱(元亀の法難)と相次ぐ戦乱により焼失、古文書なども失われた。
 江戸時代、1691年、1687年-1705年、貞亨年間(1648-1688)とも、現在の建物が将軍・徳川綱吉の母・桂昌院により再建される。
 1693年、経堂が建立される。土中より大乗経を納めた一壺が出土した。
 その後、本堂、庫裏、客殿、護摩堂が焼失した。
 1808年、再建されている。
 近代、1868年、子院・西室坊、香禅坊、妙行院、真光坊、善光院、桜本坊が当寺と合併になる。神仏分離令後の廃仏毀釈により、愛宕大権現は愛宕山より本尊、勝軍地蔵像を当地に遷して境内に祠られた。
 現代、1953年、金藏寺護摩堂の北、清泉の上に祀られていたという式内社・石井神社が、現在地の石井神社・山王社(西京区)に合祀された。
 1987年、境内、一帯は「小塩山京都府歴史的自然環境保全地域」に指定された。
◆隆豊 飛鳥時代-奈良時代の僧・隆豊(りょうほう/りゅうほう、?-751?)。行善(ぎょうぜん)。薩摩国大守・藤原重命(しげのぶ)の子。俗称は堅部氏ともいう。幼くして多武峯の藤原鎌足の子・定恵のもとで剃髪し、行善(ぎょうぜん)と称した。元興寺・道昭(どうしょう)のもとで仏法を修め、推古天皇の代(593-628)に高麗へ留学し、高麗滅亡により放浪した。帰国後、豊前国求菩提山(たぼたいざん)に登り、護國寺を開創した。孝徳朝(645-654)-元明朝(707-715)、笈(おいずる、背負う経文などを入れる箱)を背負って遊学し、第44代・元正天皇にほめられた。718年、金蔵寺を建立した。朝廷により禅師の尊号を贈られ、隆豊禅師と改めた。
 晩年に一体の不動明王の石造を刻み不動堂に安置し、この地で亡くなったという 130歳ともいう。入亀山霊園に塔所の石造五輪塔が立ち、開山禅師塔所として現存する。
桂昌院 江戸時代の女性・桂昌院(けいしょういん、1627/1624-1705)。おたつ、おあき、お玉。京都堀川通西藪屋町の八百屋・仁左右衛門の子という。父没後、母・鍋田氏は、二条家家司・本庄太郎兵衛に嫁した。本庄氏の養女となる。伊勢内宮・慶光院住持(六条有純の娘・お梅)付女中になり、江戸下向に同行する。1639年、御小姓として3代将軍・ 徳川家光側室・お万の方に仕える。春日局の部屋子として家光に見初められ側室になる。1646年、徳松(綱吉)を産む。1651年、家光没後、落飾し、筑波山・知足院に入る。桂昌院と称された。1680年、綱吉が将軍職に就くと江戸城三の丸へ入った。従一位に叙された。
 綱吉に後継が生まれず神仏信仰を篤くした。生類憐み令を発案したともいう。諸国の寺社再興を援助した。桂昌院は、当寺に幼い頃(6歳-13歳)寄食したという。金蔵寺の境内に御廟所がある。
◆仏像・木像 本堂に安置されている「十一面千手観音菩薩像」は、奈良時代、718年に開祖・隆豊禅師が、向日明神とともに霊木の楠木より彫ったものという。天狗の爪で刻したともいう。
 
開山堂に開祖・隆豊禅師、歴代の僧師が祀られている。
 護摩堂に、愛宕大権現、不動明王を祀る。
 不動堂に祀られている不動明王は隆豊禅師作という。
◆勝軍地蔵 愛宕大権現は、かつて愛宕山の勝軍地蔵が遷された。甲冑姿で騎乗し、右手に剣を立て、左手に幡を掲げる。武士には勝軍、庶民には火伏せの信仰を得る。近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈で愛宕神社より当寺に遷された。
 明智光秀(1528-1582)は、本能寺に攻め入る前に地蔵に祈願したという。
◆建築 二王門、護摩堂、鐘楼、腹帯地蔵、書院、庫裡、開山堂、愛宕大権現、長嘯亭、鎮守社などが建つ。
 江戸時代、1691年、1687年-1705年、貞亨年間(1648-1688)とも、現在の建物が将軍・徳川綱吉の母・桂昌院により再建される。
 「開山堂」は、桂昌院により建立された。
 「長嘯亭(ちょうしょうてい)」は、経塚碑の東にある。以前は北の山腹にあり、その後、移された。旧地には礎石が残る。歌人・木下長嘯子(きのした ちょうちょうし、1649-1569)は、豊臣秀吉の北政所(高台院)の兄・木下家定の嫡男になる。
 「愛宕大権現」は、近代、1870年に愛宕神社より遷された。
 御堂(不動堂)は、1980年に建立された。一つの願は叶うとされ、一願不動明王と称されている。
◆文化財 鎌倉時代の「磬(けい)」は、下部に「金蔵寺」の銘が入る。中国古代の打楽器であり、枠の中に「へ」の字形の板をつり下げ、角製の槌で打ち鳴らす。宋代に朝鮮に伝わり、雅楽に使用した。日本では奈良時代以降、銅・鉄製の「特磬」を仏具に用いていた。八葉蓮華、孔雀文の意匠が施されている。
 「犬公方の玩具」は、5代将軍・徳川綱吉(1646-1709)没後、生母・桂昌院の実家に贈られたものを移したという。三つ葉葵紋が入る。
◆創建伝承・向日明神 金蔵寺開創にまつわる伝承がある。
 隆豊は、豊前国求菩提山で夢に聖観世音が立ち、都の西方、小塩山山腹の浄地に、一宇を建立せよとのお告を受けた。隆豊は山を後にして乙訓の地を訪れる。禅師が初めて山に上った時、弓矢を手にした老翁(向日明神)が松(向日明神影向松)に現れた。翁は谷川を渡ろうとしていた金色の鹿を目がけて矢を放つ。矢は傍らの楠の大樹に当たり、矢を引き抜くと傷跡から光明がほとばしる。二人はこの木が霊木であることを感じ、霊樹より天狗の爪で十一面千手千眼観音像を彫り出した。当山の本尊として安置し、元正天皇の勅により金蔵寺を開山したという。(『金蔵寺略縁起』)
 残りの3本の矢は、大歳神社、角宮神社、勝山(向日神社)に落ちた。このため、向日明神は勝山に留まるとして消えたという。向日明神が出現したという向日明神影向松は、鐘楼近くにあり現在は枯死した。
 向日神社に祀られている大歳神(おおとしのかみ)の子・向日神(むかひのかみ)出生にまつわる伝承が残る。飛鳥時代、第42代・文武(もんむ)天皇の頃(在位697-707)、第3皇女は、8歳の時に病に罹る。諸国巡礼の後、西岩倉山中、三の滝(産滝、産ノ滝)傍に庵を結んだという。夢に少年が現れ、鏡を渡し、皇女の懐中に納めた。皇女はやがて懐妊し、男児を産む。子は「中松(なかまつ、幼名は楠松丸とも)」と呼ばれた。だが、皇女により子を育てることはかなわず、山中に捨てられた。この子が向日神という。
 なお、金蔵寺の護摩堂北の湧水「石井(いわい)」、「雲生水(うんじょうすい)」の水脈は、向日神社の「増井(ますい)」に通じているとされる。かつて、石井の水を汲み替えると数日して増井の水が濁ったという。
 三の滝の下流にある「烏帽子岩」には、奈良時代、784年、長岡京遷都に際して、この地に拝殿を建て、向日明神を祀ったという。
◆岩倉 平安時代、794年、平安遷都の際に、都の東西南北に岩倉が設けられ、東・青龍、西・白虎、南・朱雀、北・玄武の四神を祀ったという。また、皇城鎮護のためとして、第50代・桓武天皇は都の四方に経典(経筒)を埋めたという。この岩倉(岩蔵)とは経塚の意味という。
 東岩倉は大日山(左京区)、南岩倉は男山(八幡市)または明王院(下京区)、西岩倉は金蔵寺、北岩倉は山住神社(左京区岩倉)ともいう。
 金蔵寺では、現在の本堂の直下に経典を埋めたとされる。江戸時代、1693年、経堂建立に際して、土中より大乗経を埋めた壺が発見されたため、現在は東方の地点に経碑が立てられている。また、付近の善峰寺境内は吉峰寺経塚がある。
◆石井・石井神社 護摩堂の北に、湧水の「石井(いわい)」がある。「雲生水(うんじょうすい)」とも呼ばれ、当山の唯一の井泉になる。この付近の清泉の上に、かつて石井神社(いわいじんじゃ)が祀られていた。清水を神格化した古社という。金蔵寺は、当社の神宮寺だったという。なお、石井の水脈は、向日神社の「増井(ますい)」に通じているとされる。
 延喜式に「石井(いはいの)神社」とある。「石坐神」ともされた。(『三代実録』)。古代よりの磐坐(いわくら)信仰により、「京三岩倉」の一つに数えられた。平安時代以来、信仰を集めた。
 1953年、石井神社は山麓の山王社に遷され合祀された。現在は、金蔵寺境内の石垣上に社殿跡が残っている。
◆小塩山葉山神社 葉山神社は、1990年に建立された。富士浅間大社より勧請された本殿に木花咲弥姫大神、右殿に当山の全自然神霊、左殿に桂昌院を祀る。
◆文学 平安時代の『今昔物語』巻17第39(1120)中に、「京の西山に西岩蔵という山寺あり、その山寺に仙久という持経住けり」と記されている。
◆小塩山 小塩山(おしおやま)の名の由来は、晩年にこの地に隠棲したという、平安時代の在原業平(ありわら の なりひら、825-880)が、難波より運ばせた海水を塩焼に用いたことに因むとされる。この地の本来の地名「小入(おじお)」が、後に業平の塩焼伝説を生み、さらに小塩になったともいう。新春日山の別称もある。
 紫式部は、越前国府よりこの山を偲んだ。「ここにかく日野の杉むら埋む雪小塩の松に今日やまがへる」
 歌枕としても知られた。「大原や小塩の山もけふこそは神代のことも思ひ出づらめ」(『伊勢物語』第六段「芥川」)は、業平が藤原高子を思い詠ったという。
◆史跡 境内にはさまざまな史跡がある。
 ◈「経塚(石蔵)」は、第50代・桓武天皇が埋納したという。その場所は、現在の本堂の地ともいう。
 ◈「聖武天皇経塚碑」は、境内の東、下の川弁財天内立つ。碑は桂昌院により再興された。江戸時代、1693年、土中より大乗経を納めた一壺が出土している。
 ◈「向日明神影向松」は、向日明神が出現した松とされ、鐘楼の近くにあった。現在は枯死している。
 ◈「護法石(塚)」は、仁王門の南、参道北側にある。隆豊が初めて山を訪れた時、石上に多聞天が現れ、当山の守護を約束したという。
 ◈「笈掛石(おいかけいし)」は、護法石の東にある。隆豊が笈(行脚僧などが仏像、経、衣類などを入れて背負う道具)をかけたという。
 「三の滝(産滝、産ノ滝、岩倉ノ滝)」は、参道手前の山道傍らにある。高さ12m、三段の滝であり、ここに向日明神(幼名 楠松丸)が出現したという。
 「烏帽子岩」は、三の滝の下流にある。奈良時代、784年、長岡京遷都に際して、この地に拝殿を建て、向日明神を祀ったという。また、滝をご神体として岩を拝殿にしたという。
 ほかに、山中に賀登上人の「来始岩(らいしがん)」、上仙法師の「仙人窟」、「雲庵(うんあん)地蔵」などがあるという。
◆小塩山の植生 小塩山は「小塩山京都府歴史的自然環境保全地域」(28.38ha)に指定(1987)にされている。1997年の京都府「京都の自然200選 歴史的自然環境部門」に「小塩山」として選定された。頂上には平安時代の淳和(じゅんな)天皇陵がある。
 金蔵寺から小塩山かけてモミの林、コナラ、アベマキなどの落葉広葉樹がみられる。かつては、これらの木々は、薪炭に利用されていたという。さらに、スギ、ヒノキの植林地も広がる。
 付近は温暖帯に属する。温暖帯から冷温帯への移行帯ともみられている。
◆野生生物 ミヤケハタケゴケ(苔類、準絶滅危惧種)、オオミゴケ(蘚類、絶滅危惧種)がある。2015年現在。
◆花暦 境内は、桜、八重咲であり原種という秋明菊(9月中旬-10月中旬)、紅葉(楓、銀杏)の名所として知られる。
◆墓 開山(隆豊)禅師塔所は、入亀山霊園に石造五輪塔が立つ。
 桂昌院廟の石塔下に、桂昌院の遺髪が納められている。
 梶井宮墓がある。
 小塩山山頂付近に淳和天皇陵がある。
◆梅若丸塔 参道途中の不動堂脇に、「美少年の墓」として、右に梅若丸(うめわかまる)の「五輪石塔」が立つ。
 左に並んで金蔵寺8世・桂海(けいかい)の「宝篋印塔」が立つ。桂海は、石山寺観音の利益(りやく)により、稚児・梅若丸を愛し、真の信仰に入ったという。(南北朝時代の御伽草子『秋夜長物語』)。これらの塔は、後世に立てられた。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都・美のこころ』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 上』『昭和京都名所図会 6 洛南』『京都市の地名』『京都の地名検証』『京を彩った女たち』『紫式部と平安の都』『京都 神社と寺院の森』『古都歩きの愉しみ』『京都の寺社505を歩く 下』『新版 京のお地蔵さん』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』


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鐘楼

安産腹帯地蔵尊

庫裏

庫裏「西岩倉山」の扁額

愛宕大権現


愛宕大権現本殿


下の川弁財天

聖武天皇経塚碑

本堂

本堂

本堂

本堂

桂昌院廟

桂昌院廟、石塔下に、桂昌院の遺髪が納められている。


三社


葉山神社

葉山神社

式内社・石井神社の清泉

式内社・石井神社の旧鎮座地

金蔵寺からの京都市内南部、向日市市街地の眺望、標高は360m。

長嘯亭

【参照】寺へ向かう山道の途中にある不動明王滝(産の滝)

【参照】入亀山霊園の隆豊禅師の石造五輪塔、開山禅師塔所

【参照】参道途中にある御堂(不動堂)

【参照】御堂(不動堂)、「不動坂石像開山作」の石碑が立つ。


【参照】御堂(不動堂)、「美少年の墓」として梅若丸、律師桂海の名がある。
 金蔵寺 〒610-1134 京都市西京区大原野石作町1639   075-331-0023
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