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大歳神社・石作神社・灰方 (京都市西京区) Otoshi-jinja Shrine |
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大歳神社・石作神社 | 大歳神社・石作神社 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 拝殿 ![]() 幣殿 ![]() 本殿 ![]() 幣殿・本殿 ![]() 本殿、一間社流造 ![]() 大神宮社 ![]() 右より稲荷社、向日社、西ノ宮社、春日社 ![]() 稲荷社 ![]() 向日社 ![]() 西ノ宮社 ![]() 春日社 ![]() 天満宮社 ![]() 天満宮社 ![]() 遥拝石 ![]() 鎮守の森 ![]() 杉の大木 |
西京区灰方(はいがた)に大歳神社(おおとし-じんじゃ)はある。古くより鎮守の森が広がり、「栢杜(かやのもりしゃ)」、「柏森明神」とも称されていた。灰方、小塩の産土神として崇敬された。 祭神は、向日神社の祭神・御年神の父神・大歳神(おおどしのおおかみ)を祀る。農耕生産の神、方除祈雨の神、当地方の守護神になる。相殿に豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、石作神(いしつくりのかみ)を祀る。 大歳神社は、『式内式』乙訓郡十九座大五座小十四座、石作神社は、乙訓郡十九座大五座小十四座のひとつ。 飛地境内として 早尾神社(石作町)、住吉神社(出灰町)がある。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 奈良時代、718年、創建ともいう。 平安時代、859年、神階は従五位下に進む。(『新撰姓氏録』) 972年、『延喜式』神名帳に記された乙訓郡大歳神社に比定されている。 江戸時代、1680年、現在の本殿が造営された。 江戸時代、石作神社が灰方村大歳神社内に祀られているとの記述が残る。(『大日本史』巻2)。 近代、1941年、皇紀2600年事業に伴い、長岡天満宮の本殿を移築する。 現代、1974年、石作神は石工団地神社(愛知県岡崎市)に分霊された。 ◆建築 本殿は、長岡天満宮の本殿を移したという。方一間半、流造、檜皮葺。 ◆石作神社・石作氏 相殿に、式内・石作(いしつくり)神社を祀る。石作神は代々石棺などを製作する豪族の祖神とされる。火明命(ほあかりのみこと)の後裔という。また、石作氏の祖は建麻利根命(たてまりねのみこと)ともいう。 弥生時代の第11代・垂仁天皇(前69-70)后・日葉酢媛命(日葉昨姫命、ひばすひめのみこと、?-243)が亡くなった際に、石棺を献上したことから石作大連公(いしづくりおおむらじのきみ)の姓を贈られたという。(『新撰姓氏録』)。 平安時代前期、859年、石作神社は正六位より従五位下に進む。(『三代実録』)。 石作氏の衰微により、後に大歳神社に合祀されたという。旧鎮座地は、三鈷寺近くの早尾神社(西京区大原野石作町灰谷丸尾1)とも、長峰八幡宮(西京区大原野石作町40)ともいう。 石作神社の式内社は全国に6社あり、そのうち尾張地方に4社ある。叙位されたのは、当社のみという。 当社では「大歳神社系」として次のように紹介している。 天照大神━素盞嗚命 大歳神━向日神(向日神社) ┃━━┃ 大市比売 宇賀之御霊神(稲荷大社) ◆摂末社 ◈大神宮社に天照大神(あまてらすおおかみ)を祀る。 ◈稲荷社に稲荷大神(いなりおおかみ)、向日社に向日大神(むこうおおかみ)、西ノ宮社に西ノ宮大神(にしのみやおおかみ)、春日社に春日大神(かすがおおかみ)を祀る。 ◈天満宮社に菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る。 ◆灰方 この地の地名「灰方(はいがた)」では、古くより石灰(せっかい/いしばい)を産し、焼いて禁裏へ貢じていたことに因むという。(『山州名跡志』『山城名勝志』) 石灰岩を焼くと、生石灰(酸化カルシウム)に変化し、水と反応して消石灰(水酸化カルシウム)になる。これは、壁材、棺を塗り固める際の素材、石などの接合部にも使われた。粘土と混ぜると漆喰土になった。なお、清涼殿東南隅には「石灰壇(いしばいだん)」(5m×3m)があり、床を漆喰で固めている。 この地は、鎌倉時代中期以前より灰方庄だった。庄内にはほかに、「灰谷(はいたに)」、「出灰(ゆずりは/いずりは)」などの地名があり、これらの「灰」もいずれも石灰に関わる。(『看聞御記』『一休和尚年譜』)。 「石作(いしつくり)」もまた、石灰に関係するという。垂仁天皇后の石棺を石灰を用いて作ったことに因むという。 ◆樹木 クロガネモチがある。 ◆断層 京都盆地中部西縁に、灰方断層・光明寺断層・西山断層・金ヶ原断層がある。これらは、北西延長部で1つになり、老ノ坂断層(亀岡断層)になる。さらに亀岡盆地の東縁、北西の京都・西山断層帯北西半部(亀岡断層帯)に繋がっている。断層の長さ20km。 灰方断層・光明寺断層は、段丘面に低断層崖があり、東底下の上下位変位が見られる。 ◆年間行事 例祭(10月21日)、氏子祭(江戸時代中期より続く、金剛流家元による舞が奉納される。)(10月第3日曜日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』、『京都・山城寺院神社大事典』、『京都府の歴史散歩 上』、『京都の地名検証』、『京都市の地名』、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『京都の寺社505を歩く 下』、『京都 神社と寺院の森』、『京都の歴史災害』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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