中臣遺跡 (京都市山科区)  
The ruins of Nakatomi
中臣遺跡 中臣遺跡
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勧修寺第二市営住宅前にある案内板


「この付近 中臣遺跡」の石標(勧修寺小学校正門脇)

「中臣遺跡」碑(西金ヶ崎公園南東)

後期旧石器時代の石器(勧修寺小学校北側、74次発掘調査で出土)、説明碑より


古墳時代後期-平安時代の古墳、土壙墓、かまどの付いた竪穴建物、掘立柱建物、説明碑より

かまどの部材の復元

5世紀中頃-6世紀初頭の土壙墓に供えられていた土器類、百済地域で作られたと考えられる甕、説明碑より

6世紀末-8世紀初頭の竪穴建物(79次発掘調査)、説明碑より


竪穴建物(右)、掘立柱建物の復元図、説明碑より

 山科の中臣遺跡(なかとみ いせき)は大規模な集落遺跡であり、この地に縁があった豪族・政治家・中臣(藤原)鎌足(なかとみ/ふじわら の かまたり)の「中臣」に因んで名付けられた。旧石器時代-室町時代の複合遺跡になっている。 
 遺跡の範囲は、西の旧安祥寺川と東の山科川の合流地点北にある独立丘陵(栗栖野丘陵、栗栖野台地)になる。
 現在は、遺跡内に石碑、石標、案内板など4カ所が設置されている。そのほか、複数の関連遺跡が散在する。
◆歴史年表 後期旧石器時代、2万年-2万5000年前、この頃のナイフ形石器が、後に発掘されている。
 縄文時代、土壙が後に出土している。
 弥生時代-古墳時代、竪穴住居が後に発見される。
 飛鳥時代-奈良時代、6-7世紀(501-700)、旧安祥寺川左岸に、「中臣十三塚」の横穴式石室の古墳があり後に出土した。
 現代、1969年、中臣神社に隣接する公園で、洛東高校生によって弥生時代の土器片が発見された。
 1971年、5月、遺跡の第 1 次調査(代表・林屋辰三郎)が行われる。中臣遺跡発掘調査団 ・ 京都市埋蔵文化財研究所 ・ 京都市文化財保護課によって調査が継続される。弥生時代中期の方形周溝墓、古墳時代後期の古墳石室などが見つかる。
 1973年-1978年、土地区画整理事業に伴い発掘調査が行われる。竪穴住居建物、堀立式建物などが見つかった。
 1979年、「中臣遺跡」石標(勧修寺小学校校門脇)が京都洛東ライオンズクラブにより立てられた。
 1988年-1999年、新十条通建設工事に伴い、栗栖野丘陵頂部西側斜面の発掘調査が行われた。縄文時代の土10基、弥生時代後期の竪穴建物7棟、古墳時代後期の古墳2基、平安時代の建物跡などが見つかる。
 1994年-1995年、勧修寺第一市営住宅の建設に伴い、栗栖野丘陵頂部東側斜面などを発掘した。
 1994年2月、「中臣遺跡」碑(西金ヶ崎公園内南東)が、平安建都1200年記念として、京都洛東ライオンズクラブにより立てられた。
 1995年、第74次発掘調査は、勧修寺第一市営住宅の改修工事に伴い行われた。古墳時代後期-飛鳥時代の竪穴住居20棟以上が見つかる。土壙墓、後期旧石器時代のナイフ形石器などが発見された。
 1997年、76次発掘調査で弥生時代中期前半の方形周溝墓3基が発掘された。
 1998年11月-2000年3月、勧修寺第二市営住宅建設に伴い、第79次発掘調査が行われた。古墳時代後期の古墳(方墳)10基が出土した。
◆藤原鎌足 飛鳥時代の中央豪族・政治家・藤原(中臣)鎌足(ふじわら の かまたり、614-669)。大和国生まれ。父は中臣御食子、母は大伴智仙娘。妻は鏡王女。南淵請安の塾で儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才とされた。644年、祭官に就くことを固辞し、 摂津国三島の別邸に退く。645年、中大兄皇子(後の第38代・天智天皇)・石川麻呂らと協力し、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺し、入鹿の父・蝦夷も自殺に追う。(乙巳の変)。この功により内臣に任じられる。646年、大化の改新を進めた中大兄皇子の側近として、左大臣・阿部倉梯麻呂、右大臣・蘇我倉山田石川麻呂らと対立した。647年、新冠位制度で大錦冠を授与された。649年、梯麻呂・石川麻呂の逝去・失脚後は勢力拡大し、654年頃、大紫冠に昇格した。669年、天智天皇より大織冠を授けられ、内大臣に任じられる。藤原の姓を贈られ、翌日に亡くなる。
 最大氏族の藤原氏の始祖とされる。邸宅は「山科の陶原館(すえはらのやかた)」ともいわれている。 
◆中臣遺跡 「中臣遺跡」の遺跡範囲は、西の旧安祥寺川と東の山科川の合流地点北方の独立丘陵(栗栖野丘陵、栗栖野台地)一帯になる。現在の勧修寺第一市営住宅付近(栗栖野中臣町)が丘陵の最頂部だった。山科区東野、栗栖野、西野山、勧修寺地区(南北1.1km、東西0.8km、60ha)になる。 
 遺跡の特徴は広大な複合遺跡であり、縄文時代-平安時代の集落跡、古墳群「中臣十三塚」がある。1968年に初めて集落跡が発見され、1969年に中臣神社に隣接する公園で、洛東高校生・岡本洋によって弥生時代の土器片が発見された。1972年以降に土地区画整理に伴う道路工事、宅地開発に先立ち、その後も発掘調査が続けられている。1995年には後期旧石器時代の「ナイフ型石器」が発見されている。
 集落跡は、山科川と旧安祥寺川に面した段丘面を中心に、弥生時代末-古墳時代前期、古墳時代後期のものが存在している。
 古墳時代後期-奈良時代とみられる掘立柱建物、縄文時代の土堀、縄文時代晩期の土器を利用した甕棺、弥生時代中期の方形周溝墓、平安時代中期の建物群・井戸なども発見された。
 遺物は縄文・弥生土器、石器、鉄器・緑釉・灰釉陶器、桶などの木器も出土した。
 集落には、2期の盛期があった。
 1.弥生時代後期-古墳時代前期の竪穴住居集落(50軒)は、その後、争乱により焼失している。集落は琵琶湖地方との関わりがあったといわれている。
 2.古墳時代後期-後期の竪穴住居(60軒以上)、堀立柱建物(40棟以上)の大集落がある。藤原(中臣)鎌足の邸宅だった「山科の陶原館(すえはらのやかた)」との関係の可能性も指摘されている。集落は、平安時代まで及んだ。
◆ナイフ型石器 「ナイフ型石器」は、1995年の勧修寺第一市営住宅( 〒607-8146 京都市山科区東野舞台町13-5)の改修工事に伴い、第74次発掘調査で発見された。
 後期石器時代、2万5000年-2万年前のナイフ型石器、製造過程の石器なども見つかっている。槍先に付ける基部に舌状の茎(なかご)がある「有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)」、皮鞣(かわなめし)に使うヘラ状の「掻器(そうき)」、細かいものを切り削る「削器(さっき)」なども出土している。
 京都市内では一番古い石器になる。サヌカイト製、長さ8.5㎝。
◆第二市営住宅前 1998年11月-2000年3月、第市営住宅の建て替えに伴い、第79次発掘調査が行われた。
 遺構は、古墳時代後期-平安時代の古墳・土壙墓、竪穴建物・掘立柱建物などの集落建物跡だった。
 古墳は主に方墳で、5世紀中頃-6世紀初頭のものが9基あった。墳丘と埋葬部は失われ、周溝が残されていた。周溝の一画に陶質土器で硬質の「須恵器(すえき)」5-6個を納めた遺構があり、葬儀・祭祀に関わったと見られている。地面に細長い穴を掘っただけの「土壙墓(どこうぼ)」も8基あり、その一つには、朝鮮半島の百済製と見られる甕(かめ)が出土した。
 6世紀末-8世紀初頭の地面を掘り込んで建てた「竪穴建物(たてあなたてもの)」64棟、7世紀中頃-9世紀の地面に穴を掘り柱を立てた「掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)」26棟も見つかった。建物は住むためのものではない。これらは、飛鳥時代-平安時代の集落遺構になる。
◆石碑・石標 発掘調査で出土した遺構の保存はされていない。現在、遺跡範囲内に設置されている石碑・石標には次のようなものがある。
 ◈「中臣遺跡」の石碑・カマドの復元 〒607-8211 京都市山科区勧修寺東栗栖野町35-6、中臣遺跡公園、第2市営住宅前。
 ◈「中臣遺跡」の石標
 〒607-8211 京都市山科区勧修寺東栗栖野町42 勧修寺小学校正門脇。
 ◈「中臣遺跡」の石碑
 〒607-8212 京都市山科区勧修寺西栗栖野町303 西金ヶ崎公園内。
 ◈「ナイフ型石器」の発見場所・説明板。 
 〒607-8146 京都市山科区東野舞台町13-5 歩道上。
 ◈中臣遺跡として折上神社(中臣群集墳跡の稲荷塚古墳)、宮道朝臣列子墓(宮道古墳)のほか、中臣神社、花山神社、坂上田村麻呂の墓(将軍塚)なども中臣遺跡との関係があるともいう。 


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 京都市(京都市埋蔵文化財研究所)の説明板、『遺跡から見た京都の歴史』『つちの中の京都2』、ウェブサイト「中臣遺跡 (京都市の埋蔵文化財-最近の発掘調査[特集]) -京都市埋蔵文化財研究所-」、ウェブサイト「中臣遺跡ナイフ形石器発見場所-京都市山科区役所」 、『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』『山科事典』


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