冠者殿社 (京都市下京区) 
Kajadono-sha Shrine
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冠者殿社


冠者殿社


冠者殿社
 貞安前之町、四条通南に、冠者殿社(かじゃどのしゃ/かんじやでんしゃ/かじゃでんしゃ)がある。八坂神社の境外末社であり、「官者殿社」ともいう。
 祭神は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらたま)を祀る。天照大神(あまてらすおおみかみ/あまてらすおおかみ)ともいう。俗に、土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)の霊も祀るという。
 商人、芸舞妓などが商売、仕事上で使った嘘を払い、神罰を逃れるという信仰がある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 かつて、烏丸高辻の大政所御旅所(大政所町)にあり、その後、幾度か遷された。万寿寺通高倉東入官者殿町に遷る。
 安土・桃山時代、1592年、豊臣秀吉の命により現在地に遷される。
 江戸時代、1863年、焼失した。
 その後、すぐに再建された。
◆土佐坊昌俊 平安時代後期の僧・武士・土佐房昌俊(とさのぼう しょうしゅん、?-1185)。大和・興福寺西金堂の堂衆。後に土肥実平の仲介で源頼朝に従う。『平治物語』では渋谷重家の子・金王丸とし、源義朝に仕えたという。1185年、源頼朝の命を受け、頼朝の弟・義経暗殺のために鎌倉から上洛する。義経の詰問に対し、謀事を否定する誓文を書く。一旦、宿所に引き返し、六条室町の義経邸を急襲した。計略は失敗し、鞍馬山に逃げ、追っ手に捕えられる。六条河原で斬首、晒し首にされたという。(『吾妻鏡』)
◆誓文払い 「誓文払(せいもんばら)い」(恵比須講、起請返し)(10月20日)は、商人、花街の篤い信仰がある。
 誓文とは、神に誓う起請文のことをいう。嘘の罪を払い、神罰を免れるために行う。これにあやかり、一年間の商い上の駆け引き、嘘を免罪できるとされた。商店ではその前後に、「誓文払い」と銘打ち廉売されていた。
 神話では、姉弟神の天照大神、素戔鳴尊の間に誓約(うけひ)が交わされたという。弟・素戔鳴尊が天に昇ってきた時、姉・天照大神は攻めてきたと思い、武装して構えた。素戔鳴尊は反攻の意思がないとし、身の潔白を晴らすために子を産むと誓う。もしも、男児であれば清心であり、女児であれば濁心とした。男児5柱が生誕したことから、誓約された神として崇められるようになったという。
 土佐房昌俊は、源頼朝の密命により義経を討つ。熊野詣を装い上洛した。1185年10月17日、昌俊は義経の堀川邸を訪ねた。義経と弁慶の詰問を前にして、昌俊には二心はないとした。身の潔白のため7枚の誓文を起請した。そのうちの3枚は八幡宮に、1枚は熊野権現に、残りの3枚は誓いの証として灰にして呑み込んだ。だが、昌俊は誓文を破り、義経の堀川邸に夜襲をかけた。義経の勢に捕えられる。首を刎ねられる直前に、自らが忠義のために偽りの誓文を立てたことを悔い、その罪の救済を願じたという。以後、土佐房昌俊も、起請返(きしょうがえ)しの神、誓文払(せいもんばら)いの神として祀られるようになったという。
◆誓文払い 誓文払いは、かつて10月17日に行われていた。江戸時代以降は、二十日えびす講の日(10月20日)に変わる。
 商人、芸舞妓などが商売、仕事上で使った嘘を祓い、神罰を逃れるという信仰がある。
◆無言詣 商人、芸舞妓により、当社参詣の際には、「無言詣(むごんもうで)」が行われていた。
 その後、祇園祭で御旅所に神輿が滞在する7夜間(7月17日-24日)に、深夜に願掛けのために詣でるようになった。たとえ馴染み客、知人に出会ったとしても、口を開かなければ大願成就するとされる。
◆文学 川端康成の『古都』では、千重子が御旅所への七度参りしていた苗子に出会う。
◆年間行事 無言詣(7月17日-24日)、社祭(八坂神社により社祭が行われる。誓文払いの行事で、神符や撤饌が授けられる。)(10月20日)。 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都 歴史案内』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京都大事典』『京都のご利益徹底ガイド』『文学散歩 作家が歩いた京の道』 、ウェブサイト「コトバンク」  


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冠者殿社 〒600-8031 京都市下京区貞安前之町609,四条通寺町東入ル南側 
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