八坂神社大政所御旅所 (京都市下京区)
Omandokoro-otabisho
八坂神社大政所御旅所  八坂神社大政所御旅所 
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「八阪大神」の社号扁額


「八坂神社大政所御旅所舊址」の石標」









 烏丸通仏光寺下ルの大政所町(おおまんどころ-ちょう)に、八坂神社の大政所御旅所(おおまんどころ-おたびしょ)がある。
 かつてこの地には、祇園社御旅所が置かれていた。牛頭天王が祀られ、神輿の渡御も行われていた。 
◆歴史年表 平安時代、974年/第64代・円融天皇の頃(在位:969-984)、東洞院高辻に住む秦助正(はたの-すけまさ)は、自宅に祇園社御旅所を造り神輿を迎えたという。(「祇園社記」「大政所神主家由緒書」)
 1153年、旧4月条、「祇園大政所」が焼失した。(『百練抄』)
 1159年、旧11月条、焼失している。(『百練抄』)
 鎌倉時代、1246年、旧6月条、焼失した。(『百練抄』)
 室町時代、1536年、天文法華の乱により焼失している。その後、小祠が建てられ、八坂大神を祀り町の鎮護の社になる。
 安土・桃山時代、この地での祇園会が描かれている。(「祇園社大政所参詣曼荼羅図」)
 1591年、豊臣秀吉の都市改造に伴い、御旅所は四条寺町(現・下京区御旅宮本町)に移転させられる。その後、現在地(大政所町)には小祠が建てられた。
 近代、1911年、烏丸通拡張工事により、跡地は道路敷になる。狐塚(蜘蛛塚)なども取り壊される。
◆秦助正 平安時代中期の秦助正(はた-すけまさ、?-?)。詳細不明。東洞院高辻に住んだという。974年/第64代・円融天皇の頃(在位969-984)、夢中に神託を受け、邸内に御旅所(大政所御旅所)を造営したという。
◆御旅所 平安時代中期、974年/第64代・円融天皇の頃(在位:969-984)に、東洞院高辻に住む秦助正(はたの-すけまさ)の夢枕に、神人が現れ宣託があったという。祇園神の降臨があるとの信託を得たという。
 翌朝、庭の塚から祇園社本殿まで蜘蛛の糸が続いていた。祇園社の神官がこれを見つけ糸を辿ると、助正宅裏の狐塚に至ったという。円融天皇も同じ夢を見たという。
 助正は朝廷に事の次第を奏上し、自宅に祇園社の御旅所を造り神輿を迎えたという。助正は神官に命じられた。(「御旅所社家ノ記」・『祇園社記』、「大政所神主家由緒書」)
 祇園御旅所は、五条坊門・高辻小路、東洞院大路・烏丸小路に囲まれ方一町あったという。(『祇園社記』) 
 平安時代後期、1153年4月15日条、「祇園大政所」が焼失した。1159年11月26日条、鎌倉時代中期、1246年6月6日条にも焼失している。(『百練抄』)
 室町時代後期、応仁・文明の乱(1467-1477)以前、「感神院大政所祇園旅所」「祇園旅所感神院」があった。東西は東洞院大路・烏丸小路、南北は高辻小路・五条坊門小路に囲まれ方一町あったという。(「中昔京師図」「中昔京師内外地図」) 
 室町時代後期、1536年に天文法華の乱により焼失し、小祠が建てられ、八坂大神を祀り町の鎮護の社になる。
 安土・桃山時代には、この地で祇園会、神殿前での神楽などが描かれている。(「祇園社大政所参詣曼荼羅図」)。祇園祭の3基の神輿渡御の際には、大政所(素戔鳴尊)神輿・八王子(八柱御子神)神輿の2基が安置された。少将井(櫛稲田姫命)神輿は御旅所(烏丸竹屋町)に渡御した。
 安土・桃山時代、1591年に、豊臣秀吉の都市改造に伴い、御旅所は現在の四条寺町(現・下京区御旅宮本町)に移転させられる。以来、3基の神輿が新たな御旅所に渡御するようになる。
 その後、現在地(大政所町)には小祠が建てられた。神明宮(しんめいぐう)、別当・大善院(だいぜんいん)、狐塚(蜘蛛塚)などが残されていたという。
 近代、1911年に烏丸通拡張工事にともない、跡地は道路敷になった。狐塚(蜘蛛塚)などは取り壊される。
◆大政所町 大政所町(おおまんどころ-ちょう)は、南北通りの烏丸通(旧・烏丸小路)を挟んでいる。町名の由来は、祇園御旅所に因んでいるとみられている。
 平安時代の平安京では、左京五条三坊三保一一町東側・同町一四町西側だった。平安時代中期以降は、五条坊門烏丸小路南になる。
 平安時代中期、974年に祇園御旅所が創立された際には、大政所町の東列頬(つら、面した場所)が御旅所の敷地内に含まれていた。この頃、「感心院政所」「大政所」とも呼ばれた。
 江戸時代前期、1637年には「大政所丁」とあった。(「洛中絵図」)
 江戸時代中期、1762年には、町名由来を安土・桃山時代-江戸時代前期、慶長年間(1596-1615)に豊臣秀吉の母・大政所(1513-1592、天瑞院)の第宅がこの地にあったためとしている。(『京町鑑』)。
◆勅板 祇園祭では、神輿の前に神宝である「勅板(ちょく-ばん)」という細い板が捧げられる。錦の袋に入れられ、狩衣姿の氏子が持つ。この勅板と当御旅所には関わりがある。
 勅板は、江戸時代中期のものとされる。上部に「感神院政所」、下に東洞院高辻の秦助正にまつわる当御旅所の由緒(上記)、裏に平安時代中期、「天延二年(974年)」と書かれている。由緒書は室町時代の「大政所神主家由緒書」を下敷きにしている。
 秦家は、神主職を継承し、13代以降に断絶した。その後、御旅所の下級神職・宮仕が自らの正統性証明のために勅板を作ったという。勅板は、近代、1881年に八坂神社に奉納された。
 縦183.4㎝、幅20.7㎝、厚さ1㎝。
◆年間行事 例祭(祇園祭の長刀鉾稚児が大政所御旅所の参拝を行う。宗近作真刀の一般拝観が行われている。)(7月16日)、 祇園祭還幸祭(中御座・東御座・西御座の3基の神輿が立ち寄り、神輿を降ろし神職は玉串を奉納する。)(7月24日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 京都市の駒札、『京都市の地名』、『京都まちかど遺産めぐり』、ウェブサイト「コトバンク」


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八坂神社大政所御旅所 〒600-8413 京都市下京区大政所町678-3,烏丸通仏光寺下ル
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