|
|
平安宮 内裏東限・建春門跡 (京都市上京区) Heian Palace Site of Dairi East Limit,Kenshunmon(Gate) |
|
平安宮 内裏東限・建春門跡 | 平安宮 内裏東限・建春門跡 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() 「源氏物語ゆかりの地」 ![]() 平安宮復元図、現在地は右端の赤字部分、黄土色の四角部分は内裏内郭回廊、「源氏物語ゆかりの地」の説明板より ![]() ![]() ![]() 「此付近 聚楽第南外濠跡」の石標 |
智恵光院通出水下ルの松林寺北門脇に、「平安宮 内裏東限と建春門跡 (へいあんきゅう-だいり-とうげん-と-けんしゅんもん-あと)」の説明板が設置されている。 平安時代に、松林寺境内の西域は内裏東限に当り、付近には外郭築地の正門だった建春門が開いていた。後世の安土・桃山時代には、聚楽第南外濠が築造されている。 ◆歴史年表 平安時代、833年、建春門の北側に雌雉が集まり、衛視に射獲されたという。 886年、9月、「於建春門前左衛門陣外、召散位従五位下幸世王」と記されている。(『三代実録』) 907年、第60代・醍醐天皇は仁和寺行幸の際に、建春門から出御した。 現代、2008年、3月、京都市は「源氏物語ゆかりの地」の説明板を設置した。 ◆建春門 建春門(けんしゅんもん)は、 平安京内裏外郭十二門の一つになる。内裏の4門のうち、東側の外郭築地に設けられた正門であり、内郭の宣陽門(せんようもん)に相対していた。門には左衛門府の官人が詰めており、左衛門の陣(さえもんのじん)ともいわれた。外記門(げきもん)とも称された。 この門を入り次の内郭回廊に設けられた宣陽門を潜ると、温明殿、綾綺殿(りょうきでん)を経て紫宸殿に至った。 平安時代前期、833年には建春門の北側に雌雉が集まり、衛視に射獲されたという。平安時代中期、907年には、第60代・醍醐天皇が仁和寺行幸の際に、建春門から出御したという。 ◆ほかの史跡 「此付近 聚楽第南外濠跡」の石標も立つ。 安土・桃山時代には、聚楽第南外濠が築造された。聚楽第は、豊臣秀吉により、1587年に完成し、1597年に破却されている。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 京都市の説明板「源氏物語ゆかりの地」、『源氏物語ゆかりの地』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
|
![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|