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尊陽院〔本法寺〕 (京都市上京区) Sonyo-in Temple |
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尊陽院 | 尊陽院 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ムラサキシキブ ![]() フジバカマ ![]() ![]() まえかけ地蔵菩薩尊 ![]() まえかけ地蔵菩薩尊 ![]() まえかけ地蔵菩薩尊 ![]() まえかけ地蔵菩薩尊 ![]() まえかけ地蔵菩薩尊 ![]() まえかけ地蔵菩薩尊 ![]() まえかけ地蔵菩薩尊 ![]() ![]() 玄関 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂内陣・客殿 ![]() 本堂内陣、雲龍図 ![]() 本堂外陣、祈りの天井画 ![]() 祈りの天井画 ![]() 祈りの天井画、アサギマダラ ![]() 祈りの天井画 ![]() 祈りの天井画 ![]() 祈りの天井画 ![]() 祈りの天井画 ![]() ![]() ![]() 客殿 ![]() 客殿 ![]() 客殿 ![]() 客殿「無量寿」 ![]() 客殿 ![]() 客殿 ![]() 客殿 ![]() 庭園 ![]() ![]() 庭園 ![]() 庭園 ![]() 【参照】アサギマダラ、フジバカマ ![]() 【参照】本山・本法寺の庭園 ![]() 【参照】本山・本法寺の庭園 ![]() |
本法寺の境内東に、塔頭・尊陽院(そんよう-いん)がある。親師法縁の寺であり、室町時代前期-後期の日蓮宗の僧・日親(1407-1488)を縁祖とする。この法縁寺院は全国に約700寺ある。 日蓮宗、本尊はお題目「南無妙法蓮華経」を安置する。水子供養の信仰を集める。色鮮やかな様々な御朱印が授けられる。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 安土・桃山時代、1575年、4月6日、本法寺の塔頭として尊陽院日恵を開山として創建された。 1587年、豊臣秀吉により現在地に移転になる。 江戸時代、1788年、天明の大火により堂宇は焼失する。その後、塔頭の中で最初に12世・日元により再興される。 現代、一時無住になり荒廃した。 2008年、現在の住持・30世・伊丹瑞彰(ずいしょう、日慶[にっけい])・理恵(りけい)夫妻により再再興が始まる。 2022年、Mais(マイス)により天井画が完成した。夏より公開が始まる。 ◆日恵 安土・桃山時代の日蓮宗の僧・日恵(?-?)。詳細不明。男性。尊陽院1世になる。1575年、尊陽院を開山したという。 ◆日元 江戸時代後期の日蓮宗の僧・日元(?-?)。詳細不明。男性。尊陽院12世になる。1788年、天明の大火後に、尊陽院を再興した。 ◆Mais 現代の美術家・アートディレクター・Mais(マイス、1982-)。女性。滋賀県の生まれ。Web制作会社で企業用のイラストを描く。2007年頃、Maisとして創作活動を始める。2017年、パリで個展を開催し、掛け軸を題材にした作品展示により反響を呼ぶ。 2018年度・2019年度、「文化庁こどもの育成事業アーティスト」に任命された。 琵琶湖畔にアトリエを構える。「祈りの彩」を題材に、多色・鮮やかな色彩を用いて表現する。特に赤色を好む。色彩により音の表現も試みる。絵画のほか、壁画・寺院の天井画・襖絵・掛軸・大津絵・花器・インテリア・アパレルなど多様な創作を手掛けている。 ◆本尊・仏像など ◈本尊内陣に、お題目「南無妙法蓮華経」を安置する。 ◈「祖像(説法像)」を安置する。 ◈「一塔両尊(題目宝塔・釈迦如来・多宝如来)」・四士像(安立行菩薩・浄行菩薩・上行菩薩・無辺行菩薩)」を安置している。 ◈厨子内に、「鬼子母神」を安置する。安産・子育の神の信仰がある。 ◆建築 旧「本堂」は、江戸時代後期、1788年の天明の大火後で焼失している。 その後、12世・日元の時に、本山・本法寺の余材を用いて再建されたという。西陣の豪商(染物屋)・矢倉某が寄進したという。 建物は庫裏、本堂、客殿(書院)が一体化している。 ◆まえかけ地蔵 「まえかけ地蔵菩薩尊」は、山門を入って左手に立つ。子どもを守護する。 周囲に小さな地蔵尊が数多く祀られ、数々の供え物がある。 ◆天井画 ◈内陣天井に水墨による「雲龍図」が描かれ、法脈を守護している。狩野派の作とされる。 ◈「祈りの天井画」は、外陣天井に描かれている。2022年に現代の美術家・mais(マイス)により制作された。 中央の大きな円内に、独特の色彩と造形により花々が描かれる。それを囲むように、4匹の瑠璃色の大きな蝶(アサギマダラ)が翅(はね)を広げる。その周囲の小さい金地の円内に、20の花々が咲き誇っている。 いずれも色を何層にも塗り重ねたという多色の彩りと、独特の造形により表現されている。 ◆庭園 ◈ 本堂の西側に枯山水式の庭園がある。白砂、苔地、石組、石橋、蹲踞、植栽などにより構成されている。背後の本山・本法寺の伽藍が借景になっている。 ◆アサギマダラ 「渡りチョウ」といわれるアサギマダラ(和名・浅黄斑蝶、英語名・chestnut tiger、学名・ Parantica sita)は、昆虫綱鱗翅(りんし)目マダラチョウ科に属する。和名は、浅黄色(浅葱色、淡青色)に透き通ったマダラチョウの意になる。 蝶の分布は、日本全土・朝鮮半島・台湾・中国・東南アジア・西北ヒマラヤ・カシミールなどという。日本・台湾種は、かつて亜種の一つとみられていた。現在では独立種ともいう。ほか4種の土着種がある。 翅(はね)の開張(90-100mm程度)は大きく大形の蝶になる。翅は非常に横長で、前翅は黒色地、後翅は赤褐色地に淡青白色の半透明班紋がある。雌雄の色彩・斑紋は同様であり、雄では後翅の後方に表裏に黒斑状の光沢のない性標がある。 母蝶は、幼虫の餌になるガガイモ科(双子葉植物リンドウ目)のキジョラン・カモメヅル・サクラランなどの葉の裏側に産卵する。年に3-5回は発生する。 南方・低地で羽化した成虫は、春季・夏季に北東・高地へ移動する。夏季は、高原地帯(標高1000m以上)が主な生息地になる。この間も定着せず、短・中距離の移動を繰り返す。晩夏-秋季に、蝶の子・孫世代は北上した低地・南へ移動する。休眠せずに1-2齢幼虫で越冬する。温暖な沖縄・奄美などでは、冬季でも成虫が見られる。これらの温暖地では夏季にはほとんど見られない。 北上する雄は、スイゼンジナ・スナビキソウ・海岸のモンパノキの幹の汁を吸う。夏季の高原ではヨツバヒヨドリ、秋季にはヒヨドリバナ・フジバカマなどにも集まる。これは、雄が雌を交尾に誘うためのフェロモン獲得のためとみられている。雄は、花蜜・葉などに含まれる、ある種のアルカロイド(植物塩基、塩基性窒素を含んだ有機化合物)を原料にして、体内でフェロモンを生成していると考えられている。 現在では、日本で唯一の「渡り」をする「渡りチョウ」として知られている。ほかに、南・北アメリカ原産種のオオカバマダラ(大樺斑蝶)がある。アサギマダラの飛翔は緩く、上昇気流を利用し上空に舞い上がり、風に乗る形で移動している。渡り途中で海面近くを舞い、海面にとまるという。その詳細については分かっていない。 1980年より「鹿児島昆虫同好会」は、捕獲した蝶個体に標識をつけて放すマーキング調査を行った。1981年に長距離移動が初めて確認された。鹿児島県種子島から飛翔した蝶は、福島県・三重県で再捕獲された。これまでの調査により、夏季-秋季にかけて東北地方から、東海地方、紀伊半島・四国、鹿児島県喜界島・沖縄方面へと移動していた。なお、現在のマーキングされた蝶の再捕獲の確率は1%程度とされている。 長距離移動例としては、2000年に台湾-日本間、2001年に日本-台湾間が見つかった。2002年には、本州-沖縄県・南大東島間(1000km)、2003年の本州-南大東島間では渡り日数わずか5日、四国-南大東島間は3日で移動していた。2005年-2006年、本州-小笠原諸島・父島、長野県-台湾台東沖の島・蘭嶼間(2000km)の移動も確認されている。2013年には、専門家らによる「アサギネット」は、大分県姫島村-北海道上ノ国町間(1200km)の渡りを確認している。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 「尊陽院の物語」、ウェブサイト「尊陽院」、『日蓮宗寺院大鑑』、ウェブサイト「絵描きのmais | mai mais」、ウェブサイト「海を渡る蝶 アサギマダラ 2007年5月号 -ナショナル ジオグラフィック」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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