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教蔵院〔本法寺〕 (京都市上京区) Kyozo-in Temple |
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教蔵院 | 教蔵院 |
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教蔵院(きょうぞう-いん)は、本法寺の塔頭の一つであり、山号は妙光山(みょうこう-ざん)という。 親師法縁の寺であり、室町時代前期-後期の日蓮宗の僧・日親(1407-1488)を縁祖とする。この法縁寺院は全国に約700寺ある。 日蓮宗、本尊は曼荼羅になる。 ◆歴史年表 安土・桃山時代、1594年、教蔵院日悦の創建による。 近代、1868年以降、明治維新により離散し、荒廃した。 現代、1949年、24世・小泉恵照(教蔵院日宏)の時、本堂・正面門が建立された。 1973年、25世・小泉友鴻(教蔵院日鴻)の時、庫裡改造・書院の新築される。 ◆日悦 安土・桃山時代-江戸時代前期の日蓮宗の僧・日悦(?-1615)。詳細不明。教蔵院日悦。久遠成院日親の法孫になる。1594年、教蔵院を開いた。 ◆桜沢如一 近現代の思想家・食事理論家・桜沢如一(さくらざわ-ゆきかず、1893-1966)。京都の生まれ。幼年期に両親と死別し、貧困・病気に苦しむ。 1913年、肺結核に罹患し、「食育の祖」とされる陸軍少将・陸軍薬剤監・石塚左玄の食養法で体調が回復した。以後、西洋医学に疑問を抱く。京都市立第一商業高校を卒業後、各種職を経て貿易商になる。1924年、 食養会の復興活動に専念し、講演・執筆などを開始する。1929年、 パリへ渡り、ソルボンヌ大学などで学び、処女作『無双原理(Le principe unique)』」を仏語で出版した。 太平洋戦争(1941-1945)中に、ソビエト連邦に対し停戦を訴えるため国境線を越え、軍部に逮捕・投獄される。戦後、アフリカのシュバイツァー博士に会う。 食を中心とした生命思想は、正食(マクロビオティック[macrobiotic])として知られる。 墓は教蔵院(上京区)にある。 ◆本尊・仏像など ◈本尊は曼荼羅になる。 ◈祖像は折伏像であり、安土・桃山時代、1594年に作になる。 ◈仏像は三宝尊、四菩薩、四天王、宗祖、日親、清正公像になる。 ◆文化財 摩利支天画像、本法寺55世・日昇、中山遠寿院29世日健本尊など。 ◆墓 桜沢如一(1893-1966)の墓がある。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 『日蓮宗寺院大鑑』、ウェブサイト「メディペディア」、ウェブサイト「フードヘルス石塚左玄塾」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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