京都市考古資料館(旧西陣織物館) (京都市上京区)  
Kyoto City Archaeological Museum
京都市考古資料館(旧西陣織物館) 
京都市考古資料館(旧西陣織物館)
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南側


南側


南側、正面


南側


南側


南側


南側

南側、正面玄関


南側


内部、階段室


西陣碑
 今出川大宮東入ル北側の京都市考古資料館(きょうとし-こうこ-しりょうかん)は、財団法人京都市埋蔵文化財研究所が管理・運営を行っている。
 建物は、かつて西陣織物館として建てられ、近代の建築家・本野精吾が設計している。日本で最も早い段階のモダニズム建築作品になった。
◆歴史年表 近代、1914年、6月、西陣織物同業組合は現在地で上棟式を行う。10月、竣工し西陣織の陳列館として「西陣織物館」と命名された。
 1915年、10月、開館式が行われる。
 現代、1976年、新たに「西陣織物会館」(上京区堀川通大宮東入ル)として移転・新築になった。現在地の旧西陣織物館は京都市に寄贈される。
 1979年、11月、現在地に「京都市考古資料館」が開館する。
 1984年、 6月、建物は京都市登録有形文化財に登録されている。
◆本野精吾 近代の建築家・本野精吾(もとの-せいご、1882-1944)。東京生まれ。読売新聞社創業者・2代目社長・本野盛亨の5男。暁星中学校、第一高等学校を経て、1903年、東京帝国大学工科大学建築学科に入学した。1906年、大学卒業後、三菱合資会社地所部(現・三菱地所)の技師になる。三菱12号館の設計に関わった。1908年-1943年、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学の前身)教授・武田五一の招きにより、同校図案科教授になる。1909年-1911年、ヨーロッパに留学し、ドイツ人建築家・ベーレンス(1868-1940,Peter Behrens)設計のAEGタービン工場(1909)、モダニズム建築に影響を受けて帰国した。1914年、西陣織物館を初設計する。その後、ドイツに留学した。1918年、京都高等工芸学校の学科長になる。1927年、京都で結成された「日本インターナショナル建築会」(同人は上野伊三郎、石本喜久治、中尾保、伊藤正文、新名種夫)に参加する。関西の国際様式の中心人物になる。武田五一はその作風を批判している。1944年、従三位勲二等を叙された。61歳。
 機能性・合理主義を標榜し、日本のモダニズム建築の先駆として知られた。新構造体(鉄骨・鉄筋コンクリート)を使用し、意匠は抽象的な面・線を追究した。川崎造船デザイン顧問になり、船室、家具、舞台などの設計もした。エスペランティストとしても知られ、ローマ字普及、広告印刷物にも関わった。絵も描き、京都での西洋音楽普及にも尽力した。
 主な作品に、西陣織物館(現・京都市考古資料館、1914) 、京都高等工芸学校自習室(1924)、自邸(1924)、旧鶴巻邸(現・栗原眞純邸 、1929)、旧京都高等工芸学校本館(現・京都工芸繊維大学3号館、1930)、フルーツパーラ八百文(1931)、橘丸などの客船の船内装飾 も手掛ける。
◆建築 近代、1914年に西陣織物館は当初、西陣織物同業組合により西陣織の陳列館として建てられた。設計は本野精吾であり初設計だった。日本で最も早い段階のモダニズム建築作品になる。1984年に京都市登録有形文化財に登録されている。
 鉄筋コンクリート造の柱梁構造に、煉瓦造の壁構造を用いた混構造になっている。外観は、全体的にはモダニズムの影響を受けている。白いタイル貼の単純な箱型であり、壁に装飾、凹凸、コーナーストーンも廃されている。平板的な意匠は、当時としては斬新だった。円柱のあるポーチ(入口の屋根付の両側面の開いた部分)などには伝統様式も残されている。緑色の屋根が載る。階段室のサッシュは当時のものになる。当時の人々の印象としては、「マッチ箱のような建物」との評もあったという。
 内部は壁面に円柱、コーニス(水平の突起部)による分節がない。正円、正方形の装飾がある。1階・2階室は展示などに用い、構造補強のため室内意匠はない。3階の貴賓室は幾何学的な意匠で、壁面は西陣織のクロス(壁紙)で飾られている。
 鉄筋コンクリート造の柱梁構造、煉瓦造の壁構造を用いた混構造、3階建。
 1979年に建物補強・改修が行われている。
◆西陣織物館・考古資料館 近代、1913年3月に西陣織物同業組合は、陳列場・事務所として現在地を用地として買収した。8月に地鎮祭、11月に礎定式が催されている。1914年6月に上棟式を行う。10月に竣工し「西陣織物館」と命名された。1915年10月に開館式が行われている。
 陳列会では、織物、美術工芸品の展示、展示即売会、図案作家の作品展覧会も催されていた。1917年には年間入場者は2万人を超える。1924年には3万7609人あった。
 1976年に、新たに「西陣織物会館」(上京区堀川通大宮東入ル)として移転・新築になる。現在地の旧西陣織物館は京都市に寄贈された。1979年11月に「京都市考古資料館」が開館した。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都大事典』、『京都の洋館』、『関西の近代建築』、『建築家 本野精吾展』、『京都のモダニズム建築』、ウェブサイト「貴重な文化財建造物を後世に継承していくために-kit news vol.17 2008.3」、『京都市考古資料館と建築家 本野精吾』、ウェブサイト「コトバンク」


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