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小泉仁左衛門邸跡 (京都市西京区) Site of Koizumi Nizaemon Residence |
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小泉仁左衛門邸跡 | 小泉仁左衛門邸跡 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 油壷 ![]() 付近の旧山陰道の町並み ![]() 【参照】樫原の地名 |
樫原、旧山陰街道沿い北側に、小泉仁左衛門(こいずみ-にざえもん)宅跡がある。現在はマンションが建てられ、家並を再現した塀だけが再現されている。 仁左衛門は、長州藩御用達の油商を営んだ。現在は一角に当時の油壷が置かれている。 幕末に付近で、禁門の変(蛤御門の変)で逃れた長州藩士などが小浜藩兵に斬殺されている。 ◆歴史年表 江戸時代、1864年、旧7月19日、禁門の変(蛤御門の変)で天王山から出陣した長州藩士らは、小泉邸で朝食を摂り御所に出陣した。当日、御所より逃亡した長州藩・楳本僊之助(うめもと-せんのすけ)、薩摩藩・相良新八郎(さがら-しんぱちろう)、頼元(よりもと)兄弟の3人がこの付近、樫原札の辻で斬殺される。 旧7月21日、3人の葬儀が密かに高円寺(樫原塚ノ本町)で行われた。 ◆小泉 仁左衛門 江戸時代後期の油商・小泉 仁左衛門(こいずみ-にざえもん、 ?-?)。男性。樫原村の生まれ。川島村の大庄屋・山口薫次郎(直)の親族。小泉家当主になる。長州藩御用達の油商を営む。私財を投じ尊王攘夷を論ずる私塾(三条東洞院梅忠町)を建てた。講師に儒者・森田節斎、若狭小浜藩士・志士・梅田雲浜があった。雲浜には、援助を行っている。門弟に肥後熊本藩士・松田重助、長州藩・吉田稔麿、播州の志士・大高又二郎、近江の志士・西川耕造らがいた。小泉邸には、水戸藩士・鵜飼吉右衛門、志士・儒者頼三樹三郎らが訪れた。 ◆樫原・樫原宿 樫原(かたぎはら)は、古代には大岡宿、中世には岡郷と呼ばれた。丹波街道(山陰道)の西岡丘陵の入口にあたる。西国街道の山崎宿と四条街道を結ぶ物集女(めずめ)寺戸道も通じている。なお、近代、1889年に葛野郡岡村(樫原)は川島村と合併し、川岡村になった。1931年に京都市に編入されている。 参勤交代の大名行列は、洛中の通過が許されなかった。このため、東海道から西の山陰道へは、大津、伏見、樫原を経て老ノ坂に向かった。丹波から大坂へは、樫原から南下し山崎に向かっていた。樫原はいずれも迂回路の要衝にあった。 江戸時代、樫原には本陣、旅宿があり、樫原宿(かたぎはら-じゅく)と呼ばれていた。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 案内板、『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』、『京都市の地名』、『京都大事典』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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