玉村家住宅 (樫原本陣跡) (京都市西京区)  
Tamamurake family house
玉村家住宅 (樫原本陣跡) 玉村家住宅 (樫原本陣跡)
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玉村家住宅




玄関門


乳鋲


玄関




虫籠窓(むしかごまど)


煙り出し






【参照】樫原の地名
 樫原(かたぎがはら)の玉村家住宅(たまむらけ じゅうたく)は、「樫原本陣」とも呼ばれている。玉村家は、岡村樫原宿で本陣を勤めた。旧樫原宿の中ほどにあり、旧山陰道の北に位置している。
 江戸時代の京都市内で唯一現存する本陣宿遺構であり、近世町屋建築になる。
◆歴史年表 江戸時代、1683年、本陣宿の始まりともいう。本陣役は、当初は広田(廣田)氏が務めていた。(「玉村家文書」中「玉村(尹)家入用抜書」中の願書)
 18世紀(1701-1800)以降、本陣の史料が確認できる。
 1719年、当地の豪族・廣田庄兵衛永帳は、京都所司代・板倉氏の依頼により、「頼まれ本陣」として経営に従事したともいう。
 1766年、現在の土蔵が建てられた。
 1797年、12月、晦日に本陣は類焼した。(「玉村家文書」中「玉村(尹)家入用抜書」中の願書)
 1799年、建物は再建されたという。(「玉村家文書」中「玉村(尹)家入用抜書」中の願書)
 1800年、4月、丹波・丹後・但馬の12藩などの合力銀・拝借金により再建されたともいう。
 1854年、樫原が衰え、本陣、人馬継立などが困難になる。(「玉村家文書」中「玉村(尹)家入用抜書」中の願書)
 1855年、安政年間(1855-1860)とも、松尾下山田の豪族・足利直系の玉村新太郎正継に継承された。
 近代、1869年、樫原宿の人馬継立などは無用との通達が出された。(「樫原公会堂所蔵文書」)
 現代、1992年、建物は、京都市指定有形文化財に指定される。
◆広田家・玉村家 玉村家は、旧山陰道のほぼ中央付近、街道沿いの北側にある。江戸時代に樫原集落は宿場町として栄えた。玉村家は本陣として丹波国方面の参勤交代した大名の宿舎になった。
 江戸時代、1683年、本陣宿の始まりともいう。本陣役は、当初は広田(廣田)氏が務めた。(「玉村家入用抜書」)。18世紀(1701-1800)以降に、本陣の史料が残されている。1719年に、豪族・廣田庄兵衛永帳が京都所司代板倉氏の依頼により、「頼まれ本陣」として経営した。
 1797年12月晦日に本陣は類焼した。(「玉村家入用抜書」中の願書)。1799年に建物は再建されたという。(「玉村家入用抜書」中の願書)。また、1800年4月に、丹波・丹後・但馬の12藩などの合力銀・拝借金により再建されたともいう。
 1855年、安政年間(1855-1860)とも、松尾下山田の豪族・足利直系の玉村新太郎正継が継承した。その後、5代にわたり継承されている。
◆建築 玉村家住宅は、江戸時代、1797年12月晦日に類焼した。(当家所蔵文書)。その後、1799年に再建された。1800年4月に再建されたともいう。1992年、京都市指定有形文化財に指定される。
 屋敷は街道に南面して建てられ、玄関門、主屋、土蔵が建てられている。
 ◈「玄関門」は乳鋲(ちびょう)で飾られ、乳門といわれている。諸大名が出入に使用した。
 ◈「主屋」は江戸時代後期に建てられたとみられている。7間ある。玄関の間の土間の天井板には、宿泊者の名を書いて掲げた宿札(やどふだ/しゅくさつ)が貼られている。「高松少将御宿」「松井伯耆守御宿」などが残っている。
 控えの間、6帖、8帖、6帖、ほか7室ある。内部の一部は改造されている。東から正面に土間が鍵型に配され、その西に9室が3列に並ぶ。東寄りは農家風の造になる。西、正面寄りの各室は改造が少ない。
 西列最奥の上段の間(6帖)は、7寸(21㎝)高い。欄間・床・違棚のある書院造になる。柱は面皮柱であり、西面に床・棚がある。上段の間横に護衛の武士が控えた隠れ間もある。上段の間の南に、書院造の二の間、三の間が続く。本陣座敷として使われた。
 二階があり、釣り階段がある。
 ◈「土蔵」は、主屋の北にある。江戸時代、1766年に建てられた。
◆庭園 各室から望む奥庭がある。街道に面して狭い前庭がある。
◆文化財 ◈おもに樫原宿本陣役に関した、江戸時代の「玉村(尹)家文書」(1792-1873)がある。「当家入用抜書」のほか、高松藩主の宿割帳(1862)、素人旅籠取締触写、諸事件の聞き書き(1858-1862)、触を書き留めた「記録帳」、「玉村家氏系図後巻」、「田地水帳写」、愛宕・葛野・乙訓・紀伊郡総村高帳などもある。
 ◈大名の関札が残る。
◆樫原・樫原宿 樫原(かたぎはら)は、古代には大岡宿、中世には岡郷と呼ばれた。丹波街道(山陰道)の西岡丘陵の入口にあたる。西国街道の山崎宿と四条街道を結ぶ物集女(めずめ)寺戸道も通じている。なお、近代、1889年に葛野郡岡村(樫原)は川島村と合併し、川岡村になった。1931年に京都市に編入されている。
 参勤交代の大名行列は、洛中の通過が許されなかった。このため、東海道から西の山陰道へは、大津、伏見、樫原を経て老ノ坂に向かった。丹波から大坂へは、樫原から南下し山崎に向かっていた。樫原はいずれも迂回路の要衝にあった。
 江戸時代、樫原には本陣(玉村家、神谷二郎家)、旅宿があり、樫原宿(かたぎはらじゅく)と呼ばれていた。ただ、正規の「本駅」ではなかった。(『京都府地誌』)。『京羽二重』(1685)に樫原宿の記述がある。『山城名跡巡行志』(1754)にも記されている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 駒札、京都市の案内板、『京都市の地名』、『史料京都の歴史 15  西京区』、『史料京都の歴史 第15巻 西京区』、ウェブサイト「西京区の文書 解説」、『京都大事典』


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map 玉村家住宅 〒615-8177 京都市西京区樫原下ノ町5 
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