桂宮東ノ墓地 (京都市上京区)  
grave of the Katsuranomiya higashi-no-bochi
桂宮東ノ墓地 桂宮東ノ墓地
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宝篋印塔
 相国寺の塔頭・慈照院の東に、桂宮東ノ墓地(かつらのみや-ひがしのぼち)がある。江戸時代の桂宮家(京極宮)の歴代(7代-11代)、その妃など7人の宮墓地がある。
◆歴史年表 江戸時代、1629年、桂宮初代・智仁親王が亡くなり、この地に葬られた。
 1662年、八条宮(桂宮)第2代・智忠親王が亡くなり葬られた。
 1665年、八条宮(桂宮)家3代・穏仁親王が亡くなり葬られる。
 1675年、八条宮(桂宮)家4代・長仁親王が亡くなり葬られた。
 1689年、八条宮(桂宮)家5代・尚仁親王が亡くなり葬られる。
 1692年、作宮が亡くなり葬られる。
◆智仁親王 安土・桃山時代-江戸時代前期の桂宮初代・智仁親王(としひと-しんのう、1579-1629)。幼名は六宮・古佐麿(胡佐麿)など。八条宮。誠仁親王(陽光院)の第6皇子、母は新上東門院。第107代・後陽成天皇の弟。幼少で豊臣秀吉の猶子になる。1589年、秀吉に鶴松が誕生し、宮家を創立し、八条宮と称した。1591年、親王宣下を受け元服、式部卿に任ぜられた。1601年、一品。和歌・連歌を好み、細川幽斎に学んだ。1625年、第108代・後水尾天皇に古今伝授を授ける。以来、御所伝授になる。1615-1616年、創設した別邸は、2代・智忠親王により桂離宮として完成された。四親王家の一つになる桂宮初代になる。51歳。
 墓は桂宮東ノ墓地(上京区)にある。法号は桂光院。
◆常子 江戸時代前期の智仁親王妃・常子(?-? )。京極常子。常照院。大名・丹後国主・京極高知(きょうごく-たかとも)の娘。智仁親王の正室になる。1620年、智忠親王を産む。
 墓は桂宮東ノ墓地(上京区)にある。
◆智忠親王
 江戸時代前期の八条宮(桂宮)第2代・智忠親王(としただ-しんのう、1620-1662)。八条宮智仁親王第1王子、母は丹後国主・京極高知の娘・京極常子。1624年、第108代・後水尾天皇の猶子になる。1626年、親王宣下、忠仁(ただひと)と称し、後に智忠に改称する。1629年、元服し、中務卿に任じられる。同年、父没後、宮家を継承した。1642年、前田利常の娘・富子を妃にする。後嗣はなく、1654年、後水尾天皇第13皇子・穏仁親王を養子にした。1657年、二品。学問を好み、和歌・連歌、書に秀でた。父造営の別荘(桂離宮)を改修し、整備した。44歳。
 墓は桂宮東ノ墓地(上京区)にある。
◆穏仁親王 江戸時代前期の八条宮(桂宮)家3代・穏仁親王 (やすひと-しんのう、1643-1665)。幼称は幸宮。第108代・後水尾天皇の皇子。母は逢春門院。1655年、式部卿になる。1662年、智忠親王の跡を継ぐ。23歳。
◆長仁親王  江戸時代前期の八条宮(桂宮)家4代・長仁親王(おさひと-しんのう、1655-1675)。幼称は阿茶麿。第111代・後西天皇の第1皇子。母は明子女王。1666年、八条宮(桂宮)家4代を継ぐ。1669年、親王になる。21歳。
◆尚仁親王 江戸時代前期の八条宮(桂宮)家5代・尚仁親王(なおひと-しんのう、1671-1689)。幼称は員宮(かずのみや)。第111代・後西天皇の第8皇子。母は藤原定子(六条局)。1675年、八条宮(桂宮)家5代を継ぐ。1684年、親王になる。1686年、弾正尹になった。19歳。
◆作宮 江戸時代前期の作宮(さくのみや、1689-1692)。幼名は正宮(まさのみや)。第112代・霊元天皇の第8皇子。1689年、八条宮(桂宮の初称)尚仁(なおひと)親王の跡を継ぐ。常磐井宮(ときわいのみや)に改めた。1692年、夭逝する。4歳。
◆墓 塀、門に閉ざされ墓地内を窺うことはできない。域内には桂宮家7人の宝篋印塔などが立てられている。
 被葬者は初代(八条宮初代)・智仁親王、智仁親王妃・常照院、2代(八条宮2代)・智忠親王、3代(八条宮3代)・穏仁親王、4代(八条宮4代)・長仁親王、5代(八条宮5代)・尚仁親王、作宮(常盤井宮初代)になる。
 なお、参拝道西の桂宮西ノ墓地には桂宮家(京極宮)歴代(7代-11代)、その妃など8人の墓地(宮墓地)がある。
◆桂宮 安土・桃山時代-近代の宮家、桂宮(かつらのみや)は、世襲の四親王家(ししんのうけ)の一つになる。称号は当初の八条宮の後に、常盤井宮、京極宮、桂宮と変遷する。
 安土・桃山時代-江戸時代の誠仁親王(陽光院)の、第6皇子・智仁(としひと)親王(1579-1629)を初代にする。第106代・正親町天皇の皇孫にあたる。智仁親王は幼少で、豊臣秀吉の猶子になった。安土・桃山時代、1589年、秀吉に鶴松が誕生し、猶子は解消される。親王は親王家の取り立てを申請し、秀吉は所領(丹波山城、宇治)を献じた。1590年、八条宮が創立された。江戸時代、2代将軍・徳川秀忠は、山城国下桂川村に知行を贈る。親王は桂川の畔に別邸「桂山荘」を営んだ。継承した2代・智忠(としただ)親王(1619-1662)の時に完成した。現在の桂離宮になる。
 その後、第108代・後水尾天皇皇子の3代・穏仁(やすひと)親王(1643-1665)、第111代・後西天皇皇子の第4代・長仁(おさひと)(1655-1675)親王が継ぐ。
 第112代・霊元天皇皇子の第5代・尚仁(ひさひと)親王(1671-1689)には継嗣がなく、継嗣に予定されていた霊元天皇皇子・作宮(さくのみや、常磐井宮)も夭折した。このため、同元天皇皇子の6代・文仁(あやひと)親王(1680-1711)が継承し、京極宮(きょうごくのみや)に改めた。作宮の兄になる。
 その後、文仁親王の王子の第7代・家仁親王(1704-1768)、孫の第8代・公仁親王(1733-1770)にも継嗣なく、第119代・光格天皇皇子の第9代・盛仁(たけひと)親王(1810-1811)が引き継ぎ、1810年に桂宮に改称した。第120代・仁孝天皇皇子の第10代・節仁(みさひと)親王(1833-1836)、続いて同皇女の第11代・淑子(すみこ)内親王(1829-1881)が継承する。近代、1881年、内親王が没したため、桂宮家は断絶した。
 桂宮家屋敷は京都御苑内の今出川門付近にあった。菩提寺は相国寺塔頭・慈照院(上京区)になる。内閣文庫に歌集『桂宮本万葉集(かつらぼん まんようしゅう)』がある。「五大万葉集」の一つで、現存最古の万葉集写本という。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 桂宮東ノ墓地 〒602-0898 京都市上京区相国寺門前
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