嵯峨天皇 嵯峨山上陵 (京都市右京区)  
Imperial mausoleum of Emperor Saga
嵯峨天皇 嵯峨山上陵 嵯峨天皇 嵯峨山上陵
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「嵯峨天皇 嵯峨山上陵 参拝道」の石標


参拝道










「嵯峨天皇 嵯峨山上陵」の石標


朝原山(御廟山)中腹から見た嵯峨野、広沢池


大沢池、大覚寺




朝原山(御廟山)
 北嵯峨朝原山町(きたさが-あさはらやま-ちょう)の朝原山(御廟山、190m)山頂に、嵯峨山上陵(さがの-やまのえ-の-みささぎ)はある。 
 奈良時代-平安時代初期の第52代・嵯峨天皇(さが-てんのう)が葬られている。なお、嵯峨の地名は、唐の文化に憧れていた天皇が、この地を唐の都・長安北方の景勝地、嵯峨山になぞらえたことに因んでいる。
◆歴史年表 平安時代、842年、7月15日(新暦8月24日)、嵯峨天皇は亡くなる。(『続日本後紀』)。天皇は薄葬を望み、25日に葬儀が行われ葬られた。
 中世(鎌倉時代-室町時代)以降、陵の所在地は不明になる。
 江戸時代、1808年、陵は、大覚寺北西の現在地の「御貌山」とされた。(『山陵志』)
 1862年-1863年、文久の修陵でも現在地が踏襲された。
 1865年、修補され、巡検使が派遣された。
◆嵯峨天皇 奈良時代-平安時代前期の第52代・嵯峨天皇(さが-てんのう、786-842)。神野(かみの、賀美能)。京都の生まれ。第50代・桓武天皇の第2皇子、母は皇后・藤原乙牟漏(おとむろ)。806年、同母兄の第51代・平城天皇の皇太弟になる。809年、平城天皇の譲位により即位した。皇太子は平城天皇の皇子・高丘(たかおか)親王を立てた。810年、蔵人所を設置する。平城太上天皇の変(薬子の変)では、平城宮に移った平城上皇が復位を望み、嵯峨天皇と対立した。上皇は平城京還都を号令し挙兵した。この「二所朝廷」に対して、嵯峨天皇は、遷都を拒否し、坂上田村麻呂に命じて反乱を鎮圧した。藤原仲成は捕らわれ、寵妃・内侍(ないしのかみ)・藤原薬子は自害する。嵯峨天皇は、戦勝を祈願し、賀茂斎王(斎院、初代は娘・有智子内親王)を置く。宮城警衛の六衛府(ろくえいふ)を改制した。823年、第53代・淳和天皇に譲位した。譲位後の上皇御所として冷泉院と朱雀院を設けた。嘉智子と共に冷泉院、嵯峨院(後の大覚寺)で過ごし、834年、嵯峨院で亡くなる。57歳。死後2日後に藤原良房の陰謀である承和の変が起こる。
 蔵人所(くろうどどころ)、検非違使(けびいし)を設け、律令制の補強を行う。約30年にわたり天皇・上皇の権威による政治安定があった。宮中の「弘仁文化」が開花する。『新撰姓氏録(しょうじろく)』の編纂、律令制を修正・補足した「弘仁格式(こうにんきゃくしき)」40巻、法典『内裏式(だいりしき)』などを編纂した。白馬節会(あおうまのせちえ)の創始者ともいう。三筆の一人(ほかに空海、橘逸勢)に数えられた。漢詩文を好み、漢詩集『文華秀麗集』の勅撰事業を行う。勅撰漢詩集『凌雲集』などに詩を残した。神泉苑などで詩宴を持ち、儀式・服装・宮城諸門の名も唐風に改める。後宮制度を改め、喫茶を奨励した。財政圧迫軽減のため、49人の皇子女に源姓を与えて臣籍に降下させた。賜姓源氏(しせいげんじ)の初例になり、源信(まこと)、常(ときわ)、融(とおる)などがある。
 陵墓は嵯峨山上陵(右京区)になる。
◆陵墓 陵は朝原山(御廟山、190m)山頂にあり、円丘(直径38m)で南東面している。
 平安時代、842年7月15日(新暦8月24日)、嵯峨天皇は亡くなる。(『続日本後紀』)。天皇は繰り返し薄葬を望み、翌25日に葬儀が行われ葬られる。天皇は、自らの陵墓について、「山北幽霊僻不毛地」に封も築かず、盛土をせず平らにして、穴は棺を容れれば足り、樹木も植えず、草木が生えるままにして、永く祭祀も行わないことと遺した。実際に葬儀は即日で終わり、遺骸は人知れない山中に葬られたという。このため、『延喜式』諸陵寮にも記されていない。即位、改元に際しては山陵使が立てられた。中世(鎌倉時代-室町時代)以降、陵の所在地は不明になる。二尊院(右京区)、清凉寺(右京区)内の石塔が陵ともされた。
 江戸時代、現在地には、7個の自然石の巨岩があったという。1808年、儒学者・蒲生君平(がもう-ぐんぺい、1768-1813)は、陵地を大覚寺北西の現在地「御貌山」とした。(『山陵志』)。この御貌山の名は「御廟山」の転訛ともいう。以来、巨岩は「嵯峨天皇御陵岩」と呼ばれた。1862年-1863年の文久の修陵でも、この地が踏襲された。1865年、陵は修補され、巡検使が派遣された。『文久山陵図』(1867)には、山頂に巨岩が描かれている。石垣、木柵で囲まれ、拝所、参道が修補されている。


50 桓武天皇(在位:781-806)→51 平城天皇(在位:806-809)→52 嵯峨天皇(在位:809-823) →53 淳和天皇(在位:823-833)

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『検証 天皇陵』、『天皇陵 謎解き完全ガイド』、『歴代天皇125代総覧』、『京都市の地名』、『歴代天皇年号事典』、『図説天皇陵』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 嵯峨天皇 嵯峨山上陵 〒616-0000 京都市右京区北嵯峨朝原山町
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