円山陵墓参考地(正子内親王陵墓参考地) (京都市右京区)  
Maruyama mausoleum reference site
円山陵墓参考地 円山陵墓参考地
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円墳の北側


宮内庁の制札


円墳の周囲


羨道入口の天井石

 嵯峨大覚寺門前登り町に、円墳の円山陵墓参考地(まるやま-りょうぼ-さんこうち)がある。円山古墳とも呼ばれている。古墳時代後期の「大覚寺古墳群」の一つであり、1号墳になる。
 平安時代前期の第52代・嵯峨天皇皇女・正子(せいし/まさこ)内親王の陵墓参考地になっている。
◆歴史年表 詳細は不明
 古墳時代(3世紀中後期-7世紀前半)後期、嵯峨野の豪族墓である「大覚寺古墳群」の一つである1号墳(現・円山陵墓参考地)が築造された。
 平安時代、879年、4月18日、正子内親王が亡くなる。
◆正子内親王 平安時代前期の皇女・正子内親王(せいし/まさこ-ないしんのう、810- 879)。法名は良祚(りょうそ)。第52代・嵯峨天皇の皇女。母は皇后・橘嘉智子。同母兄弟に第54代・仁明天皇。823年頃、叔父・第53代・淳和天皇に入内した。825年、恒貞(つねただ)親王(仁明天皇皇太子)を産む。827年、基貞(もとさだ)親王を産む。皇后になった。829年、恒統(つねむね)親王を産んだ。833年、淳和天皇が退位し皇太后になる。恒貞親王が立太子する。840年、淳和上皇の死後、落飾した。842年、恒貞親王が承和の変(じょうわのへん、廃太子の変)で廃太子になり、正子内親王は出家した。854年、太皇太后になる。860年、天台座主・円仁より受戒し、法名は良祚と称した。71歳。
 仏教に帰依し、孤児を救済した。嵯峨・大覚寺を開き、僧尼のための済治院を開く。
 陵墓は円山陵墓参考地(右京区)とされる。
◆承和の変 平安時代、842年に承和の変(じょうわのへん、廃太子の変)が起きた。公卿・藤原良房(804-872)の陰謀とされ、伴氏、橘氏の排除を謀ったという。
 833年に第54代・仁明天皇が即位した。淳和上皇(第53代)の皇子・恒貞(つねさだ)親王が皇太子になる。仁明天皇には藤原冬嗣の娘(良房の妹)・順子(じゅんし)との間に生れた道康(みちやす)親王 (後の第55代・文徳天皇) がいた。
 842年に、嵯峨上皇(第52代)の没後、春宮坊帯刀(とうぐうぼう-たちはき/たてわき) ・伴健岑(とも-の-こわみね)、但馬権守・橘逸勢(たちばな-の-はやなり) 、その同族らが謀反を企てたとして逮捕される。阿保(あぼ)親王(第51代・平城天皇皇子)が、健岑らの陰謀があるとして太皇太后・橘嘉智子に密書を持って密告した。健岑らは上皇死後の混乱に乗じ、恒貞親王を奉じ東国での乱を謀ったとされた。逸勢は伊豆配流になり、途中の遠江で亡くなる。健岑は隠岐に流され、恒貞親王は皇太子を廃された。大納言以下60余人が連座した。
 その後、道康親王は皇太子になり、良房は大納言に昇る。良房の娘・明子(めいし)は皇太子妃とした。850年、文徳天皇即位に伴い、明子の産んだ惟仁(これひと)親王(後の第56代・清和天皇)を皇太子にした。857年に良房は人臣最初の太政大臣に進む。以後、藤原北家(ほっけ)による摂関政治が進む。
◆陵墓 ◈ 円山陵墓参考地は、円山古墳と呼ばれている。平安時代前期の第52代・嵯峨天皇皇女・正子(せいし/まさこ)内親王の陵墓参考地になっている。陵墓参考地は宮内庁が指定・管理している。天皇・皇族を埋葬した可能性はあるものの、特定に至る資料が存在しない墳墓とされている。
 古墳時代(3世紀中後期-7世紀前半)後期、飛鳥時代に築造された4基の古墳群「大覚寺古墳群」があり、その1号墳になる。周濠を廻らし、両袖式の横穴式石室になる。現在は、墳丘南側の羨道入口に天井石1個のみが露出し、開口していない。
 円墳、直径50m、高さ9.1m。
◆ほかの大覚寺古墳群 円山陵墓参考地周辺に古墳が点在している。
 いずれも古墳時代(3世紀中後期-7世紀前半)後期に築造された。嵯峨野の豪族墓である「大覚寺古墳群」は4基があった。内部主体はすべて横穴式石室になっている。 
 ◈ 「2号墳(入道塚古墳)」(右京区嵯峨大沢柳井手町)は、平安時代前期の恒貞(つねさだ、825-884)親王入道塚陵墓参考地になっている。親王は、第53代・淳和天皇の第2皇子であり、母は皇后・正子内親王になる。現在は大部分の墳丘は失われ、石室の複数の大石が露出している。
 方墳、南北25m、東西30m。
 ◈ 「3号墳(南天塚古墳)」(右京区嵯峨大覚寺門前登り町)は、入道塚古墳の西隣にあった。現在は、京都府立北嵯峨高校グラウンド地下に埋められている。1975年に開校した高校の建設に伴い消失した。
 墳形詳細も不明、南北8m、東西13m。
 ◈ 「4号墳(狐塚古墳)」(右京区嵯峨大覚寺門前堂ノ前町)は、入道塚古墳の南東方向に現存している。墳丘も残り、南側に羨道入口が開く。
 円墳、径28m、高さ4.5m。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『私の古寺巡礼』、ウェブサイト「大覚寺4号墳第2次発掘・測量調査の概要-龍谷大学考古学 研究室」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 円山陵墓参考地 〒616-8412 京都市右京区嵯峨大覚寺門前登り町  
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