蝉丸神社 (滋賀県大津市大谷町)
Semimaru-jinja Shrine
蝉丸神社 蝉丸神社 
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手水舎



手水舎
 旧東海道(現在の国道1号線)の逢坂関(おうさかのせき)近くの小山上に、蝉丸神社(せみまる じんじゃ)はある。関蝉丸神社(大津市)の分社になる。旧郷社(旧村社)。
 祭神は蝉丸大神(せみまるのおおかみ)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀る。
 蝉丸大神は音曲・諸芸道、猿田彦命は街道の守護神として信仰された。
◆歴史年表 平安時代、946年、創建されたという。主祭神の蝉丸大神は、音曲芸道の祖神と仰がれた。諸芸能の生業者に崇敬され、興業には当神社発行の免許が必要とされた。
 江戸時代、1660年、現在の社殿が造替された。猿田彦命、豊玉姫命を合祀する。
◆蝉丸
 平安時代前期の歌人・音楽家・蝉丸(せみまる、 ?-?)。詳細不明。第59代・宇多天皇の皇子・敦実(あつざね)親王の雑色(ぞうしき、下級役人)とも、第60代・醍醐天皇の第4皇子などともいう。第54代・仁明(にんみょう)天皇の第4皇子・人康(さねやす)親王との混同もみられる。琵琶の名器「無名」を愛用し、盲目の琵琶法師だったともいう。雅楽家・源博雅(みなもと の ひろまさ)に秘曲を授けたという。『後撰集』以下に入集。『今昔物語集』、『平家物語』、能、近松門左衛門の浄瑠璃『蝉丸』の題材になった。
 逢坂の関に庵を結び詠んだ、「これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関」(百人一首)がある。蝉丸大神として、平安時代末期に、芸能に携わる人々に崇敬され、蝉丸神社の免許により興行が許されていた。
◆蝉丸神社 大津市には、近接して3社の蝉丸神社がある。  
 当社「蝉丸神社」のほか、大津市街地に「関蝉丸神社上社」(旧称・関大明神蝉丸宮、大津市逢坂一丁目20)、「関蝉丸神社下社」(旧称・関清水大明神蝉丸宮、大津市逢坂一丁目15-6)になる。当社は、関蝉丸神社の分社になる。当社を含むこの3社を総称して「蝉丸神社」とも呼ばれている。
 当初は坂神、関の守護神として祀られ、後に蝉丸伝説が加わり祭神にもなった。音曲芸能の祖神として崇敬され、近代以前まで、神社が芸能の免状を授けてきた。
◆建築 ◈「本殿」は、一間社流造、間口4尺 奥行1間。
 ◈「拝殿」は、入母屋造、間口2間 奥行2間5尺。
 ◈ほかに、手水舎、神輿庫、社務所がある。
◆摂末社 本殿脇に皇大神宮社が祀られている。
◆能「蝉丸」 能の「蝉丸」は、室町時代の世阿弥(1363?-1443?)作ともいう。
 延喜帝の第4子蝉丸は、琵琶の名手ながら盲目のため、逢坂山に捨てられた。清貫に伴われ逢坂山で落髪した。琵琶を手にわら屋に残ると、姉・逆髪(さかがみ)が現れる。姉は髪が逆立つ奇病を患い、狂乱し放浪していた。姉は琵琶の音に耳を留めて蝉丸と会う。2人は我が身の不遇を嘆き、やがて逆髪は去っていく。
 これを素材とした江戸時代中期の浄瑠璃・歌舞伎作者・近松門左衛門(1653-1725)作の浄瑠璃『蝉丸』がある。
◆源氏物語 この地は、『源氏物語』にある、空蝉一行が源氏一行を憚り控えた「関山」の地という。
◆車石
 石段下に車石がある。
◆基準水準点 
国土地理院の基準水準点は、神社の石段下にある。
 基20、緯度経度34°59′40″.7704、135°51′13″.2728、標高値161.8471m。
◆年間行事 例祭(5月第3日曜日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 説明碑文、『紫式部と平安の都』、『山科の歴史を歩く』 、ウェブサイト「滋賀県神社庁」、ウェブサイト「コトバンク」


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拝殿

社務所

拝所

本殿

拝所

皇大神宮社

車石、石段下

基準水準点、石段下にある。
平安京オーバレイマップ
map 蝉丸神社 〒520-0062 滋賀県大津市大谷町23-11   
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