京都當道会 (京都市上京区)  
Kyoto-Todokai
京都當道会 京都當道会
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「京都當道会」の駒札、石標


「京都當道会」の石標


京都當道会


京都當道会
 京都御苑の西、出水通室町東入ル北側に、「京都當道会(きょうと-とうどうかい)」の石標、駒札が立てられている。
 会は、中世の琵琶法師の自治組織だった当道座(とうどうざ)を継承している。現在は、一般社団法人になっている。
◆歴史年表 近代、1871年、明治政府は「盲官廃止令」により当道制度を廃止した。当道職屋敷(下京区高倉通り仏光寺上ル)も廃される。
 1878年、京都當道会が設立される。
 明治期(1868-1912)初期、検校有力者によりこの地に建物が復興され、以後、活動の拠点になる。
 現代、2007年、建物の大幅な改修が行われている。
◆明石覚一 鎌倉時代後期-南北朝時代の琵琶奏者・明石覚一(あかし-かくいち、1299/1300?-1371?)。初名は城了、 明石検校、覚一検校、覚都。関東の生まれ。足利尊氏の従兄弟で、尊氏から明石を領地として与えられ、明石姓を名乗ったという。平曲の始祖・生仏(しょうぶつ)の孫弟子/直弟子・城一(じょういち)と同一人物ともいう。幼年時に失明したともいう。播磨(兵庫県)書写山の僧であり、中年時に失明し平曲家に転向したともいう。筑紫出身の平曲一方(いちかた)流の祖・如一(じょいち)の弟子になる。
 視覚障がい者の団体である当道職屋敷を創設し、総検校(当道座の最高位)の地位に就いたという。晩年、筆録させた『平家物語』の詞章、曲節を改訂、増補した『覚一本』を完成した。「天下無雙の上手」と呼ばれた。一方流平曲を大成し、芸能の域にまで高め隆盛の基になる。第96代・南朝初代・後醍醐天皇、光明院(北朝第2代)、崇光院(北朝第3代)などの寵愛を受けた。天皇から『平家物語』の清書本「雲井の書」を賜ったという。覚一・真一は、『平家物語』中の源頼政が鵺退治し、褒美に菖蒲の前を賜る段の平曲を演奏し、聴衆の高師直(こう-の-もろなお)らを感動させたという。(『太平記』)
 平曲中興の祖、当道の祖になる。門弟に、通一、霊一、清一、景一などがいる。
◆生仏 鎌倉時代前期の平曲家・生仏(しょうぶつ、?-?)。法名は性仏。東国の生まれ。比叡山の検校職を務めた。壮年で失明し、天台座主・慈円(慈鎮、1155-1225)の庇護を得た。慈円のもとにあった貴族・雅楽名手・信濃前司行長(しなののぜんじ-ゆきなが)と協力し『平家物語』を作り、初めて琵琶伴奏で語ったという。
 生仏については『徒然草』に記されている。平家琵琶(平曲)の開祖とされる。
◆当道座・職屋敷 平安時代後期-鎌倉時代前期の天台僧・慈円(1155-1225)に扶持されていた雅楽の名手・信濃前司行長(しなののぜんじ-ゆきなが、?-?)は、視覚障がい者・生仏(しょうぶつ、?-?)の協力を得て『平家物語』を作ったという。生仏は、琵琶伴奏で語った。琵琶法師らも琵琶の弾奏に合わせ、語物(かたりもの)を伝えたという。(『徒然草』226段)。
 琵琶法師は諸国を巡り平曲(平家琵琶)を演奏し、字の読めない多くの人々にも迎えられた。武家社会に受け入れられ、室町幕府の庇護を受けた。琵琶法師は、地方の民謡を都にもたらし、流行歌(はやりうた)、小歌、早物語なども取り入れていく。
 室町時代初期に、平曲を演奏する男性視覚障がい者の芸能僧たちは、布教・勧進のための宗教組織から離れ、琵琶法師の自治組織である当道座(とうどうざ)を結成した。第54代・仁明天皇の皇子・人康親王(さねやす、831-872)を、雨夜尊(あまよみこ)と崇め始祖にした。村上源氏に属する久我家が本所になった。886年には親王の近侍した者に検校、勾当の官位が与えられたともいう。
 鎌倉時代後期-南北朝時代の覚一(1299/1300?-1371)は、初代の最高責任者である職検校(一老検校/総検校/惣検校)に就く。覚一は当道職屋敷(とうどうしき-やしき)の「清聚庵」(東は高倉通、西は東洞院、北は仏光寺通、南は高辻通)を賜り政務を行った。屋敷には職検校をはじめ十老検校までの10人(職十老、十﨟)が詰めた。職務として、当道座支配のための官位免許、官金配分、裁判などを取り仕切り、治外法権的な立場を獲得した。
 当道座は当道職屋敷に置かれた。官位は盲官と呼ばれ、覚一より定まったともいう。平曲の技量に合わせて四官あった。検校、別当、勾当(こうとう)、座頭の4級の官位を整備し統轄した。江戸時代には官位はさらに細分化され、四官十六階七十三刻とされた。官位に応じ上納金を収めて官位を得ることができた。
 16世紀(1501-1600)に入り平曲の衰退が始まり、後半には三味線が入り演奏楽器になる。後に筝も加わった。
 江戸時代前期、1634年に惣検校・小池凡一らが平曲の由来・当道制度を成文化した『当道要集』を江戸幕府に答申している。以後、幕府の保護を受け、自治権も与えられる。1670年に土地下付により屋敷を拡張している。元禄年間(1688-1704)には、江戸に惣(総)六屋敷が置かれ、長は総録と称した。関東8カ国は江戸が支配した。
 検校は将軍への拝謁も許され、惣検校は大名と同様の権威と格式を持っていた。座法による裁判権も有している。表芸の平曲(平家琵琶) 、裏芸として三曲(箏、地歌三味線、胡弓、後に地歌、箏曲) 、鍼灸(しんきゅう)、按摩(あんま)などの生業を独占した。ほかに学者、棋士、元禄年間(1688-1704)以降は金銭貸付業に就く者もあった。別組織として、盲僧座、瞽女(ごぜ)座などもあった。
 1788年の天明の大火で屋敷は被災している。その後、復興される。1864年に蛤御門の変で再び屋敷は焼失する。その後は、再建されなかった。
 近代、1869年に、跡地は収用され豊園小学校が開校した。1871年に、鶴岡惣検校の時に、太政官布告により当道制度が廃止され屋敷も廃される。1878年に京都盲唖院、それを中心にした京都當道会が設立されている。
◆當道会館 近代、1871年に当道職屋敷(下京区高倉通仏光寺上ル)が廃されている。當道会館は、明治期(1868-1912)初期に、有力検校によりこの地に復興された。2007年に、大幅な改修が行われている。
  1階には所蔵品の各種楽器類、古文書などが展示され、2階には舞台、大広間がある。
◆文化財 ◈「明石惣検校像」がある。詳細は不明。
 ◈「平家琵琶(銘・小孔雀」は、琵琶法師が平家物語を語る際に使用した。足利尊氏(1305-1358)の所蔵とされる。最後の琵琶奏者・幾山検校より当会が受け継いでいる。
 ◈「 絹本著色 日吉山王本地仏曼荼羅図」1幅(京都府指定有形文化財)、「 絹本著色 日吉山王垂迹神曼荼羅図」1幅(京都府指定有形文化財)は、いずれも鎌倉時代(14世紀)作で、伝・巨勢金岡(こせ-の-かなおか、?-?)筆による。
 比叡山の護法神である山王曼荼羅は天台信仰、延暦寺の守護神であり、精緻な描写になっている。京都府内に伝存する曼荼羅の中でも最も古いという。
 2幅は當道の守護神として崇められ、職検校の居室に安置されていた。検校の遠行(死去)に伴い、次の総検校が引き継いだという。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*入館は要予約

参考文献・資料 「京都當道会」の駒札、『京都當道会史』、『筝と筝曲を知る事典』、ウェブサイト「京都當道会」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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