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悪王子社 (京都市下京区) Akuoji-jinsha Shrine |
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悪王子社 | 悪王子社 |
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![]() ![]() ![]() 「元悪王子町」の地名が残る。 ![]() 【参照】室町時代後期の「上杉本洛中洛外図屏風」に描かれた悪王子、鴨川二条大橋の説明板より |
元悪王子町(もと-あくおうじ-ちょう)に、悪王子社(あくおうじ-じんしゃ)の小祠が祀られている。 祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)を祀る。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 平安時代、974年、八坂神社の摂社として、現在の東洞院四条下ル元悪王子町(下京区)に建立された。 安土・桃山時代、1590年、烏丸通五条に遷されたともいう。(『京都坊目誌』) 1596年/天正年間(1573-1592)/慶長年間(1596-1615)以前、豊臣秀吉は、現在地の南、烏丸通万寿寺下ル悪王子町(下京区)に移転させた。以後、現在地は元悪王子町、移転先は悪王子町と呼ばれた。(『京町鑑』、案内板)。 また、四条京極の御旅所、その後は四条大和大路に遷されたともいう。 江戸時代、1637年、この一帯は「悪わう子丁」と記されている。(『洛中絵図』) 元禄年間(1688-1704)、一帯に桧皮葺職人が多く住み、「ひわた丁」と呼ばれていた。 近代、1877年、八坂神社(東山区)境内に遷されたという。 現代、1998年、旧地(現在地)に新たに祠が建てられ、悪王子社として分霊が祀られた。 ◆荒御魂 祭神に素戔鳴尊の荒御魂(あらみたま)を祀る。悪王子の「悪」とは「強力」の意味になる。荒御魂は現実に姿を顕 した霊験あらたかな神を意味している。祇園社(八坂神社)の午頭天王(素戔鳴尊)は、和御魂(にぎみたま)とされる。荒御魂と和御魂の二神は、祇園祭で一体化することにより、初めて「神秘の極み」になる。 記紀によれば、素戔嗚尊は、出雲の国、肥河(ひのかわ)の川上で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した。その王子への敬称として、「悪王子」の称号を贈られた。素戔嗚尊の若き日の勇猛心を荒御魂として祀り、悪王子神社と称された。 平安時代には、戦乱、疫病流行、天変地異などが相次ぐ。これらは、非業の死を遂げた怨霊の仕業によるとされ、御霊会が行われた。これが祇園祭の起源になる。当初は、疫病が流行ると御霊会が行われた。後に、流行の前に行われるようになる。 やがて悪王子社は、祇園祭行列の無事を祈願する神として変化していく。実際には、東洞院四条の辻で、四方に斎竹を立て、注連縄(しめなわ)を曳き渡し、神に供え物を捧げる神供(しんく)式を行う。かつて、この辻より巡行の列は発していたという。 ◆大国主社 大国主社も、安土・桃山時代、1590年以前は当町に祀られていた。後に、悪王子町に遷される。近代、1877年、八坂神社境内に遷されている。 ◆年間行事 神事(7月16日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 案内書「悪王子社と祇園祭」、『京都市の地名』、『京都の地名検証 3』、『京都まちかど遺産めぐり』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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