八瀬天満宮社・秋元神社 (京都市左京区八瀬) 
Yase-temmangusha Shrine
八瀬天満宮社・秋元神社 八瀬天満宮社・秋元神社 
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摂社・秋元神社


摂社・秋元神社


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神ノ幸 



八幡大神



若宮大明神 
 比叡山に連なる御所谷山麓、八瀬坂の登り口に、八瀬天満宮社(やせ てんまんぐうしゃ)はある。「天満宮社」ともいわれる。八瀬の産土神であり、平安時代以来の御霊社という。 
 祭神は菅原道真(すがわら の みちざね)を祀る。旧村社。
◆歴史年表 
創建の詳細不明。
 平安時代、比叡山法性坊(ほっしょうぼう)の阿闍梨・尊意(そんい、866/ 876-940)が、菅原道真の没後に勧請したという。
 南北朝時代、1336年、第96代・後醍醐天皇の軍勢2万は、足利尊氏の軍勢を避け比叡山に登った。その際に八瀬坂を辿る。(『太平記』巻十四)。この時、村人が天皇を防護したという。
 江戸時代、1708-1710年、八瀬と比叡山延暦寺の間で境界争いが起こる。
 1710年、秋元但馬守喬知は、八瀬村の私領、寺領200石余りをほかへ移し、この地は禁裏御料になった。以後、年貢、諸役が免除になる。
 1714年、境内に摂社・秋元神社が建立される。
 現代、2018年、9月、台風21号により御神木3本を含む倒木被害があった。
◆菅原道真 平安時代前期の公卿、文章博士、歌人の菅原道真(すがわら の みちざね/ みちまさ/どうしん、845-903)。菅原是善の3男。母は伴氏。幼少より漢詩、和歌に優れた。862年、文章生試験に合格する。866年、円仁『顕揚大戒論』序文を書く。 867年、文章徳業生、870年、方略試に合格、871年、少内記、872年、存問渤海客使に任じるが、母が亡くなり解官された。877年、式内少輔、文章博士を兼ねる。第59代・宇多天皇、第60代・醍醐天皇に重用される。879年、従五位上。880年、父が没し、家塾「菅家廊下」を継承した。883年、加賀権守を兼任した。884年、太政大臣職掌の有無について意見を奏上する。888年、阿衡問題について藤原基経に意見書を送る。891年、式部少輔、左中弁兼ねる。892年、従四位下、『三代実録』『類聚国史』を編じる。893年、参議、式部大輔、左大弁、勘解由長菅・東宮亮を兼任した。894年、遣唐大使に任命されるが、大 使の中止を建議し、中止になる。侍従兼任。895年、近江守兼任、中納言、従三位、春宮権大夫を兼任した。897年、正三位、中宮大夫兼。899年、右大臣になる。900年、三善清行は道真に辞職勧告する。901年、従二位、左大臣・藤原時平の讒言(ざんげん、告げ口)により、大宰権帥に左遷される。903年、 太宰府で没した。
 道真没後約50年、都では、旱、疫病(疱瘡)、月食、大彗星、地震、天候不順などが続いた。道真の政敵・藤原菅根の死(908)、藤原時平の死 (909)、左遷を命じた醍醐天皇の皇太子保明親王の死(923)、保明親王の第1王子慶頼王の死(925)、清涼殿落雷による藤原清貴震死(930)と平希世の死(930)、醍醐天皇の死(930)が相次ぐ。これらの異変は、道真の怨霊の仕業と恐れられた。道真怨霊についての文献初出は、平安時代中期 『日本紀略』、923年「菅師霊魂宿芬のなす所也」と記されている。このため、没後、923年に正一位、太政大臣を追贈されたが異変は止まなかった。当初、雷神、祟り神として畏怖され、後に天神、学問の神として崇敬された。
 境内には、道真が比叡山の尊意のもとに教えを請い、山に登った際に腰を下ろしたという「菅公腰掛石」がある。
◆尊意 平安時代中期の天台宗の僧・尊意(そんい、866/876-940)。京都に生まれた。876年、11歳で仏道を志し、栂尾寺・賢一に学ぶ。879年、比叡山に登り、17歳で剃髪した。諸国で修行し、河内国で霊木により千手観音像を刻み帰依した。887年、登壇受戒、12年籠山、増全・玄昭に台密を、円珍に菩薩戒を受けた。第60代・醍醐天皇、第61代・朱雀天皇の護持僧に就く。926年、天台座主になり14年間在任した。930年、菅原道真の御霊による仕業とされた清涼殿落雷後に天皇を加持し、平将門の乱(935-940)では大威徳法を修した。諸国一万塔の修補、大般若経、観音像を六十余国に安置することを朝廷に請い許された。
◆秋元喬知 江戸時代前期の大名・秋元喬知(あきもと たかとも、1649-1714)。戸田忠昌の長男。上総国・秋元家の養嗣子。1657年、遺領を継ぎ、甲斐国谷村藩の藩主になる。1659年、但馬守、1677年、奏者番、1681年、寺社奉行兼帯、1682年、若年寄、1699年-1707年、老中として5代将軍・徳川綱吉を助けた。1704年、武蔵国川越へ転封、城主になる。その後も加増された。谷村藩、川越藩での治水、殖産策により秋元家中興の英主といわれる。ただ、1681年、減租を求める領民一揆が起きている。
 老中在任時に、八瀬と比叡山の村境争いに関与した。喬知は八瀬に赴き視察した。
◆天満宮社 菅原道真を祀る北野天満宮(北区)よりも、八瀬天満宮社の創建が古いともいう。
 道真は、少年時代に尊意の教えを受けた。権帥として左遷された地、太宰府で没した道真の怨霊は、尊意の庵を訪れる。道真の霊は、尊意に藤原一門から依頼された調伏(ちょうぶく)の祈祷をやめるようにと訴えた。だが、尊意はこれを拒む。道真の亡霊は、仏前の柘榴を噛み砕き、妻戸に吐きかけた。戸は燃え上がったという。(『都名所図会拾遺』『北野天神縁起』と酷似)。
◆秋元神社・赦免地踊 摂社・秋元神社には、秋元大明神が祀られている。かつて、八王子社(現在は氏神社摂社)、「山王さん」と呼ばれる祭神・大山昨神(おおやまくいのかみ)を祀った。
 秋元神社についての逸話がある。江戸時代、1707年、日光准后の申出により延暦寺の結界が認められた。結界内に女人牛馬が入り込み、浄界が汚濁するというのが理由だった。1708年に幕府は女人牛馬、八瀬者一切の立入を禁じる裁決を下した。
 この八瀬と延暦寺との間での境界争い(1708-1710)により、薪を生業としていた村人の立入り規制は死活問題になる。八瀬の人々は後醍醐天皇の綸旨(りんじ)を添え幕府に訴えた。綸旨とは、天皇の意思・命令を伝える文書であり、奉書形式の私的書状、公文書の性質をおびる。
 八瀬の人々は江戸に赴き、老中筆頭の武蔵川越5万石・秋元但馬守喬知(たかとも)に愁訴した。一年半にも及ぶ訴訟の結果、1710年に結界の変更は行われなかった。ただ、村は禁裏御料になり、年貢諸役が免除になるなどの特権を得た。この際に、裁定に当たった秋元は、八瀬の現地を訪れ巡検している。
 1714年、秋元が亡くなる。一説では自決したともいう。八瀬の人々によって、その怨霊を鎮めるために、境内に摂社・秋元神社が建立される。秋元大明神として祀られたという。
◆摂社 境内には十禅師社、八王子社、八幡大菩薩、白井大明神、六所大権現、若宮大明神、白鬚大明神、岩上神社、貴船大明神などが祀られている。
◆御所谷 御所谷は、背後の山腹にある。山道を200mほど登る。後醍醐天皇は、比叡山行幸の際に、この地に鳳輦を駐めたという。かつて、山王権現を祀っていた。
 天皇の命日の神事「御所谷参拝」(9月16日)がある。
◆宮座 秋元町、近衛町により祭礼を執り行う宮座がある。左座、右座が宮座行事を行う。
 当宮に宮司はいない。住民は持ち回りで、1年間の「高殿(こうどの)」の役に就く。天満宮の神事・祭事一切を取り仕切る慣わしになっている。
◆菅公腰掛石 境内の「菅公腰掛石」がある。道真が比叡山の尊意のもとに教えを請い、山に登った際に腰を下ろした石という。
◆弁慶背較石 参道脇の「弁慶背較(競)石(べんけい せくらべいし)」は、比叡から下りた弁慶がこの石で背較べをしたという。弁慶が比叡山西塔より運んできたともいう。「弁慶石」とも呼ばれていた。(『雲根志』『京都民俗志』『都名所図会』巻3)
 弁慶の身長は、六尺三寸二分(1.92m)あったという。現在の石の高さは2.4mある。
◆矢負地蔵 鳥居の南に「矢負坂(やおいさか)地蔵」が安置されている。矢負坂とは社前旧道の名称という。平安時代後期の源平合戦(1180-1185)の犠牲者を弔うためという。
 立像で右手に錫状、左手に宝珠を掲げている。鎌倉時代後期作とみられ、二重円光背、蓮華座は線彫り、像高98cm、石高は1.5m、花崗岩製。
◆秋元祭 「秋元祭」(10月初旬)に奉納される、京都市無形民俗文化財「赦免地踊(しゃめんちおどり)」(燈籠祭)がある。年貢諸役免除を記念し、赦免されたことに因み始められたという。
 当日は、祭りを取り仕切る「十人頭」の最年少者が、燈籠を準備する宿元(長老)を訪ねる。女装した8人の少年の「燈籠着、とろき)」は、頭に火を灯した切り子燈籠を載せる。燈籠は赤い紙の透かし彫りになっている。燈籠着は、町を練り歩いて天満宮社に集まる。踊りは、中世の風流踊と念仏踊系の燈籠が混交しているという。
 また、少女の踊り子10数人による踊りも奉納される。花笠を被り、友禅の小袖姿で踊る。
◆年間行事 弓始めの儀式(1月20日)、八瀬天満宮の春祭・例祭(5月4日-5日)、神事「御所谷参拝」(後醍醐天皇の命日)(9月16日)、秋元祭(10月初旬)、「山王様御火焚祭(ジャンジョコさんの火焚祭)(11月25日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 中』『史跡探訪 京の七口』『京都の地名検証』 『昭和京都名所図会 3 洛北』『ワールドミステリーツアー13』 『京都の寺社505を歩く 上』『新版 京のお地蔵さん』 、ウェブサイト「コトバンク」   


八瀬    高野川          弁慶石         

六所大権現

白井大明神

白鬚大明神、岩上神社、貴船大明神

吉野 後醍醐天皇遥拝所

「菅公腰掛石」

後醍醐天皇御旧跡の碑


途中の山道

御醍醐天皇「御所谷碑」


参道脇にある「弁慶の背くらべ石」

「大君の 御幸祝ふを 八瀬童子踊りくれたり 月若き夜に」皇后御歌、2004年

地蔵尊祠

地蔵尊

赦免地踊
八瀬天満宮 〒601-1252 京都市左京区八瀬秋元町639  
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