三井越後屋京本店記念庭園・三国稲荷大明神 (京都市中京区)
Mitsui-echigoya-kyohonten Memorial Garden
三井越後屋京本店記念庭園 三井越後屋京本店記念庭園
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門扉の三井の紋「丸に井桁三」、三井合名会社が用いていた暖簾紋、グループ内企業で様々なバリエーションがある。




三国稲荷大明神
 二条上ル冷泉町の一角に、築地塀に囲まれた三井越後屋京本店記念庭園(みつい えちごや きょうほんてん きねんこうえん)がある。この地は、江戸時代の商人・三井高利ゆかりの京本店跡地であり、三井京都創業地になる。 
 現在は、敷地(68坪、224㎡)内に建物はなく、庭園と鎮守社のみが建つ。
◆歴史年表 江戸時代、1672年、1673年とも、三国稲荷大明神は、三井越後呉服店の守護神、屋敷稲荷神として祀られたという。
 1673年、商人・三井高利は、京都にも呉服物の仕入店を開業した。当初は、室町通蛸薬師東側北寄りにあり、自ら指揮をとる。
 1676年、南寄りに仕入店を移す。
 1686年、高利が松阪より京都に住まいを移した。
 1686年、1687年とも、新町通六角に両替店を開き、事業本部とする。
 1691年、西側に家屋を広げ、南寄りと西側の両店を越後屋京本店と総称した。
 1704年、現在地の室町通二条上ル冷泉町西側の家屋敷(間口8間、奥行18間、敷地は最盛期には950坪、3140㎡)へ移る。
 近代、1893年、室町の呉服仕入店が三越京都支店になる。
 1941年、三井家所有の不動産管理のため、三井不動産株式会社が設立される。越後屋京本店の旧地を所有する。
 現代、1983年、三越京都支店は閉店する。家屋敷の三国稲荷大明神は真如堂塔頭・法伝寺に遷座される。
 1985年、三井不動産により現在地の旧地一部に、三井越後屋京本店記念庭園が竣工される。園内に三国稲荷大明神も戻され祀られた。以後、庭園は三井京都創業の地として管理・保存されている。
◆三井高利 江戸時代前期の呉服商・両替商の三井高利(みつい たかとし、1622-1694)。伊勢国松坂に生まれた。父は三井越後守高安の子・三井則兵衛高俊、母は永井氏娘。両親は酒、味噌、質商を営む。1635年、長兄・俊次の江戸の呉服店に見習いに出る。1649年、一時松坂に帰り金融業により蓄財、妻・中川氏娘かね(寿讃)との間に10男5女をもうける。1673年、兄没後、長男・高平とともに江戸本町に「越後屋八郎右衛門(三越前身)」、京都室町薬師町でも呉服業の仕入店を始めた。後に大坂にも事業展開し、1683年、江戸を皮切りに各店に両替店も併設した。「薄利多売現銀(金)掛値なし」「正札販売」の商法により、幅広く商う。幕府より公儀呉服御用達、金銀御為替御用達を命じられ、商人の理想「江戸店持京商人」(えどだな もちきょう あきんど)となる。三井家事業・三井財閥の創業者。墓地は真如堂にある。
◆三井・越後屋・三越 家伝によれば、三井家は平安時代の関白太政大臣・藤原道長(966-1027)の後裔という。平安時代末期、1100年頃、藤原右馬之助信生は京都より近江に移る。琵琶湖の領地を視察中に、三つの井戸を見つけ、財宝があったことから祝し三井の姓に改めたという。
 後の三井出羽守乗定は守護大名・六角佐々木氏に仕える。その養子・三井備中守高久は、家紋を佐々木氏と同じ「四つ目結」とした。以後、当主は名に「高」の一字を付けた。室町時代(戦国時代)、三井越後守高安の時、1568年の織田信長により六角氏は滅び、三井家一族は伊勢に逃れた。最後は松阪近くの松ヶ島に移る。
 江戸時代、高安の子・三井則兵衛高俊は町人となり、質屋、酒・味噌を商う「越後殿の酒屋」を始める。屋号は父の官位、越後守に因んだ。後の「越後屋」屋号の起源になり、さらに「三井越後屋」から短縮した「三越」へと変化する。
◆三国稲荷大明神 公園内北に鎮守社の三国稲荷大明神が祀られている。祭神は茶吉尼天(だきにてん)、商売繁盛の信仰がある。
 江戸時代、1672年、1673年とも、三国稲荷大明神は、三井越後屋呉服店の守護神、屋敷稲荷神として祀られたという。江戸時代の家屋敷以来、この地に祀られていた。
 現代、1983年、三国稲荷は、三越京都支店閉店に伴い、真如堂塔頭・法伝寺に遷座される。1985年、この地での庭園竣工を機に、三井不動産により再び真如堂より遷された。
 なお、三井越後屋呉服店は、江戸時代、延宝年間(1673-1681)、江戸日本橋町に進出する。この時、向島の方角が鬼門に当ったため、隅田川河畔の三囲稲荷(三圍稲荷、みめぐり いなり)を三井家の守護神とし邸内に勧請した。三囲稲荷は、田圃の中に祀られ、江戸時代中期には、農民に雨乞いの信仰を集めていた。江戸時代、1716年、三井越後屋呉服店は、向島の三囲稲荷に寄進し、境内、社殿を造営し大社になる。
 三国稲荷と三囲稲荷の関連について、後世、三圍稲荷の「圍」を「国」に読み間違え、「三国稲荷」になったともいう。三越百貨店屋上にも分社が祀られている。太秦の木嶋神社と同じ様式の三柱鳥居で知られている。
◆三越エレガンス 「三越エレガンス」という三越系の百貨店が、四条花見小路の西北角にあったという。昭和期(1926-1989)後期に閉店したという。詳細不明。


*非公開
*参考文献 『京都大事典』、サイト「三井広報委員会」、『お稲荷さんの起源と信仰のすべて 稲荷大神』『稲荷信仰と宗教民俗』


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 三井越後屋京本店記念庭園  京都市中京区冷泉町,二条室町通二条上る 
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