宇多源氏始祖追遠之碑 (京都市右京区)  
monument of Uta Genji's founder
宇多源氏始祖追遠之碑  宇多源氏始祖追遠之碑 
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「宇多源氏始祖追遠之碑」


「宇多源氏始祖追遠之碑」

「宇多源氏始祖追遠之碑」


【参照】龍安寺領の石標


【参照】五輪塔、岩鞍
 きぬかけの路より住吉山墓地に登る途中に、右手に折れると鳥居がある。丘上に「宇多源氏始祖追遠之碑(うたげんじ しそ ついえん の ひ)」が立つ。
 宇多源氏の祖とされる源雅信(みなもと の まさのぶ)の追遠のために、子孫21家が共同で立てた。
◆歴史年表 平安時代、920年、公卿・源雅信が亡くなる。
 936年、雅信は、第61代・朱雀天皇より源姓を賜り、臣籍降下する。以来、その由来に因み「宇多源氏」と称した。
 999年、雅信の忌日に、娘・倫子(藤原道長の妻)により、仁和寺で7周忌の法事が営まれる。(『御堂関白記』)
 江戸時代、1842年、雅信850年忌に、京都在住の宇多源氏子孫の数家がこの地に集い、仮の木の標識を立てたという。(碑文)
 近代、1876年、第122代・明治天皇は、歴史学者に華族各家の系譜調査、家系分類をさせた。
 1877年、『華族類別録』で宇多源氏21家は、「皇別 第31類 源朝臣」に分類された。21家は、宇多源氏の始祖・雅信を偲び、朱山の墓所(山城国葛野郡谷口村)の地に碑を立てた。(碑文)
 1878年、『華族類別録』が刊行される。
◆源雅信
 平安時代中期の公卿・源雅信(みなもと の まさのぶ、920-993)。父は第59代・宇多天皇の第8皇子・敦実(あつみ)親王、母は藤原時平の娘。娘・倫子は藤原道長の妻になる。936年、第61代・朱雀天皇より源姓を賜る。侍従、蔵人頭、951年、参議、977 年、右大臣、978年、左大臣、従一位に至る。第64代・円融天皇、第65代・花山天皇、第66代・一条天皇に仕えた。
 一条左大臣、鷹司殿と呼ばれた。宇多源氏の祖になる。和歌、蹴鞠、音楽に秀で、雅楽声楽曲の催馬楽 (さいばら) と朗詠の模範になり流祖・源家(げんけ)になった。
 遺骸は仁和寺(右京区)に移されたという。贈正一位。
◆碑 碑は、近代、1877年に立てられた。撰文は漢学者・儒学者・阪谷素(朗廬、1822- 1881)、尊王攘夷派の公卿・大原重徳(1801-1879)、題額は福岡藩主黒田家12代・黒田長知(1839-1902)の書による。
 21家の姓名が碑の裏面に刻まれている。高さ166cm、幅76cm、奥行30cm。
◆宇多源氏 氏族の宇多源氏は、第59代・宇多天皇の4皇子である斉世(ときよし、真寂入道親王、886-927)、敦慶(あつよし、888-930)、敦固(あつたか、?-927)、敦実(あつみ、893-967)の子を祖にした。1世は藤原忠平の妻・順子(じゅんし/のぶこ、875- 925)など女性だった。
 敦実親王の3人の子である左大臣・雅信(920-993)、左大臣・重信(922-995)、寛信が源姓を賜わった。なお、雅信の娘・倫子(りんし、964-1053)は、藤原道長(966-1028)の妻になった。
 雅信の子・時仲(943-1002)の系譜は、室町時代の第102代・後花園天皇、第104代・後柏原天皇の母を出した庭田(にわだ)になる。綾小路(あやのこうじ)もある。
 時仲の弟・時方の系譜は五辻(いつつじ)になる。また、時仲の弟・扶義(すけのり、951-998)の系譜は、その子・成頼(なりより、976-1003)が、近江の宇多源氏系佐々木氏の祖になった。孫の経方(?-?)は、蒲生郡佐々木荘に住む。佐々木氏からは、室町時代の武家・六角(ろっかく)、京極(きょうごく)、塩冶(えんや)、尼子(あまご)などが出た。
 なお、雅信の兄に真言宗の僧・寛朝(かんちょう/かんじょう、916- 998)、弟に同じく雅慶(がけい、926-1012)がいる。
 宇多源氏始祖追遠之碑にはほかに、慈光寺(じこうじ)、大原 、黒田 、三宅 、森川 、竹腰、 西五辻、山崎 、朽木 、亀井 、谷 、毛利、建部などの名が記されている。
◆墓所 源雅信(一条左大臣)の墓所は、確定していない。
 碑文中に「山城国葛野郡谷口村朱山」とある。朱山は龍安寺の背後にある。 また、仁和寺の背後にある御室廟西の大内山、御室八十八箇所のある成就山ともいう。(『大日本史料』『聖蹟図志』)
◆宗族制度・華族類別録 近代、1876年に、宗族制度が発足した。岩倉具視による発案であり、堂上華族(どうじょう かぞく、元公家)と、諸侯華族(元武家)の同族化の意図があったという。系図上の血縁により皇別、神別に2分、全体で76類に分類された。
 同類華族は「宗族会」を組織し、共同して先祖の祭祀などを催した。1878年に『華族類別録』が刊行される。同年、華族会館の組織として華族部長局が設置され、正副督部長・岩倉、部長・池田慶徳が就く。
 これらの統制に対して諸侯華族は反発し、華族部長局の廃止を求めた。1882年、華族部長局は廃され、宮内省直轄の華族局が置かれている。


*きぬかけの路から、墓地へ向かう坂道を登るとすぐの場所です。小高い丘の森の中であり、周囲に人家はありません。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 碑文、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」 、ウェブサイト「コトバンク」


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map 宇多源氏始祖追遠之碑 〒616-8091 京都市右京区御室住吉山町
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