極楽寺 (京都市東山区) 
Gokuraku-ji Temple
極楽寺 極楽寺 
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本堂



本堂





本尊阿弥陀仏





宝篋印塔
 伏見街道(本町通)の東に面して極楽寺(ごくらくじ)はある。 
 寺号は平安時代の公卿・藤原基経(836-891)、その子・時平(871-909)が建立した深草・極楽寺の旧号を継いだという。山号は金龍(竜)山という。
 浄土宗禅林寺派。本尊は阿弥陀仏を安置する。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、925年、公卿・藤原忠平が創建したという藤原氏氏寺・法性寺(ほっしょうじ)の、十王堂(じゅうおうどう)の故地だったという。
 江戸時代、その地名は残っていたという。
 その後(創建年不明)、僧・岷空、僧・鳳山の二僧が開基したという。(『京都府地誌』)
◆藤原時平 平安時代前期-中期の公卿・藤原時平(ふじわら-の-ときひら/しへい、871-909)。通称は本院大臣、中御門左大臣。太政大臣・藤原基経の長男、母は人康親王(第54代・仁明皇子)の娘。父の威光により、第58代・光孝天皇に重用された。886年、元服に際し光孝天皇自ら加冠役を務めた。正五位下。887年、従四位下、左近衛中将、蔵人頭になる。890年、従三位、891年、基経が没し参議になる。第59代・宇多天皇は、藤原氏の専権抑制のために菅原道真を抜擢した。892年、権中納言、897年、大納言、左大将、氏長者になる。第60代・醍醐天皇下で、899年、左大臣になり、「延喜の治」を推進した。右大臣に任じられた道真を排斥し、901年、道真を讒言(ざんげん、告げ口)により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷する。902年、最初の荘園整理令など、律令制の再編強化のために諸法令を出し「延喜の治」を推進した。その後、政治的に失墜し、急逝した。著『時平草子』『外記蕃記(げきばんき)』など。39歳。
 没後、正一位、太政大臣を追贈された。国史の編纂として『日本三代実録』『延喜式(えんぎしき)』の撰修に関与した。その死は道真怨霊の祟りとされ、子孫も転落し消滅した。
 墓は宇治陵(宇治市)に包括されている。宇治陵35号陵は「時平塚」ともいう。
◆本尊 本堂安置の本尊、丈六の阿弥陀仏坐像は、奈良時代の唐よりの渡来僧・鑑真(688-763)作ともいう。
◆十王堂 十王堂は法性寺の門外、南にあり、本尊は閻魔王を安置した。冥界における十人の裁判官である十大王を安置していたという。(『拾遺都名所図会』)。
◆井戸 境内の古井戸は弘法大師空海(774-835)の杖の跡という。十王堂の閻魔像はこの土で作られたといい、伏見人形との関わりもあるという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』


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極楽寺 〒605-0981 京都市東山区本町22丁目489-1  075-541-0613 
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