元勝軍地蔵尊・瓜生山・勝軍山城 (京都市左京区)
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元勝軍地蔵尊・瓜生山 元勝軍地蔵尊・瓜生山 
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狸谷不動院の本堂脇から瓜生山に入る山道。





山頂までは石段、山道が続いている。


「元勝軍地蔵尊道」の石標


奥の院、瓜生山山頂


奥の院内


奥の院、「奥之院 幸龍大権現」の扁額



元勝軍地蔵が祀られていた石室



石室に現在祀られている地蔵尊



勝軍地蔵、甲冑姿に右手に剣、左手に軍旗を掲げ、騎乗していたという。説明板



瓜生山山頂、かつて本丸が築かれていた。広い敷地ではない。



山頂下の山道、周辺には空堀、土塁遺構があるという。



山頂付近からの西の眺望、京都市街地が垣間見える。現在は樹木が繁茂し、見晴らしはよくない。


【参照】北白川城出丸(北城)旧跡、ここには本丸の物見の砦が築かれていたという。
 狸谷不動院の本堂脇から、東の瓜生山(うりゅうやま、勝軍山)に入ると、元勝軍地蔵尊道といわれる山道が山頂まで続く。
 瓜生山山頂(301m)には、かつて、勝軍地蔵堂に戦勝祈願の勝軍地蔵が祀られていた。現在は、奥の院の御堂に、幸龍大権現が安置されている。堂の背後(北)には石室が残され、いまは石造の地蔵菩薩が祀られている。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代
、瓜生山は歌枕として知られてい。
 876年、祇園社の祭神・牛頭天王(素戔嗚尊)が、播磨国広峰より八坂郷に遷された際に、一時、瓜生山山頂に祀られたともいう。(『雍州府志』)。北白河・東光寺(左京区岡崎)だったともいう。
 南北朝時代、1361年、瓜生山山頂に勝軍地蔵が安置されたともいう。以来、山は「勝軍地蔵山」と呼ばれた。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)で、東軍の近江京極氏の重臣・多賀高忠(1425-1486)が、輸送路の確保のために砦を築いたのが始まりという。
 近江・戦国大名・六角定頼(1495-1552)により、勝軍地蔵が祀られたともいう。
 また、1520年、12代将軍・足利義晴の配下の幕府管領・細川高国が、定頼とともに入城した。細川澄元の軍を撃破する。(『二水記』)。その際に、山頂に高国祈願による勝軍地蔵を祀ったともいう。
 1521年、左少将・鷲尾隆康は、「東山将軍地蔵」に参詣した。(『二水記』)
 1525年、隆康が再び参詣する。(『二水記』)
 1531年、高国が敗北し、城が炎上した。
 1546年、12代将軍・足利義晴により築城される。
 1547年、義晴とその子・13代将軍・義藤(義輝)、近衛稙家らは城に4カ月籠城した。だが、晴元と近江勢に攻められ、義晴父子は火を放ち近江に逃れた。
 1550年、義晴により城が再築される。義晴は入城することなく没した。
 1558年、義藤と三好長慶との戦では、城の争奪が繰り広げられた。長慶に続いて、義藤は再び籠城する。
 1561年-1562年、六角定頼の子・義賢が城に布陣し、長慶攻めを行う。
 1570年、比叡山焼討の前年に、織田信長・義昭方の明智光秀は、城を比叡山包囲の際に使った。
 江戸時代、地蔵尊は痘瘡無難の信仰を集めたという。 
 1762年、宝暦年間(1751-1764)とも、地蔵尊への参詣が困難なことから、北白川門跡・照高院忠誉法親王(1722-1788)により、地蔵尊は、南の西山(丸山)の勝軍地蔵堂(左京区北白川山ノ元町、丸山丘陵)に遷された。瓜生山の名も丸山に移されたという。
◆六角定頼 室町時代の戦国大名・六角定頼(ろっかく さだより、1495-1552)。近江国守護・六角高頼の子。幼少より相国寺に入り、光室承亀と称した。1518年、兄・氏綱の死去により、還俗して六角家を継ぐ。10代将軍・足利義稙、12代将軍・足利義晴に仕え、朝廷からの信任も得る。1546年、管領代に任じられた。1549年、江口の戦いでは三好長慶と戦う。北近江の領主・浅井久政とも戦い、従属下に置いた。領国城下において楽市を設けた。
◆細川高国 室町時代の幕府管領・細川高国(ほそかわ たかくに、1484-1531)。政春の子。細川政元の家督相続を巡る澄之と澄元との争いで澄元に付く。1507年、澄之を滅ぼした。だが、1508年、澄元を近江に追放する。1508年、前将軍・足利義尹(義稙)復帰により、右京大夫、管領に任じられ支えた。一時、澄元を擁した三好之長から奪回する。1521年、義稙を廃し、前将軍・足利義澄の子・義晴を擁立した。1526年、香西元盛の殺害により、兄弟・波多野稙通らが挙兵する。1527年、澄元の遺児晴元、三好元長らに敗れ、その後自刃した。
◆忠誉法親王 江戸時代の皇族・聖護院宮忠誉法親王(しょうごいんのみや ちゅうよ ほうしんのう、1722-1788)。第114代・中御門天皇の第3皇子、母は典侍園常子。親王宣下により忠篤、得度後の法諱は忠誉。園城寺長吏を歴任した。
◆智成法親王
 江戸時代末期-明治時代初期の皇族・天台宗の僧・智成親王(さとなり ほうしんのう、1856-1872)。伏見宮邦家親王第9子、母は鷹司政煕の娘、生母は堀内信子。1860年、第121代・孝明天皇の養子になり、聖護院門跡雄仁法親王(後の聖護院宮嘉言親王)附弟になる。1866年、親王宣下を受け、聖護院に入り、落飾し信仁入道親王と称した。1868年、照高院宮を称した。還俗し、再び智成親王を称した。その後、聖護院宮を継承した。1869年、三品に叙せられる。1870年、所在地に因み北白川宮に改称し、初代になる。
 墓は照高院跡の北西近くにある。
◆瓜生山 瓜生山(うりゅうやま、310m)は、北白川北東にあり、勝軍山ともいう。花折断層により、比叡山より分離して成立した。花崗岩よりなる。
 歌枕にもなった。「瓜生山紅葉の中に鳴く鹿の声は深くも聞こえ来るかな」(『元真集』111)、「つらなげる気色を見るに瓜生山ならし顔にも立ち出でたるかな」(『赤染衛門集』163)。
◆勝軍地蔵 石造の「勝軍地蔵(白川勝軍地蔵、将軍地蔵)」(71.6㎝)は、かつて瓜生山頂の石窟に祀られていた。江戸時代、1762年に、忠誉法親王により丸山丘陵(左京区北白川山ノ元町)に遷された。
 戦勝祈願の地蔵尊は、平安京の東にあり、都の守護の意味もあった。西の愛宕山にも同様の地蔵尊が祀られ、平安京の東西に2つの地蔵が安置された。かつて、聖護院門主の大峯入りの前には、地蔵尊前で護摩供を行ったという。江戸時代には、痘瘡(天然痘)平癒の信仰も集めた。
 室町時代作という。地蔵菩薩を半跏像に浮き彫りし、甲冑姿に右手に剣、左手に軍旗を掲げ、騎乗する。これは、仏敵降伏の三昧に住する姿という。
◆勝軍山城 瓜生山山頂に築かれた山城の「勝軍山城」は、「東山御城」、「北白川城」、「瓜生山城」などとも呼ばれた。本丸跡には、現在も空堀、土塁、土橋の遺構がある。
 当時の築城は、山の地形を利用した山城で、後世には平城に移行する。城郭群跡は、安土・桃山時代、1587年、1588年頃の居城的な瓜生山(301m)を中心に6カ所残されている。山頂(Ⅰ群)に主郭、曲輪、土塁、堀切、堅堀がある。南尾根に畝状空堀群がある。山頂東方に若狭の武田氏が築造したとされる東山新城が3カ所あり新しい普請による。さらにその北東の一乗寺堀切に削平地がある。山頂南西600m、標高212mにも腰曲輪などの遺構がある。
 城は、室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)で、東軍の近江京極氏重臣・多賀高忠(1425-1486)が、輸送路の確保のために砦を築いたのが始まりという。若狭守護・武田氏は山中越の通行を監視したという。室町時代、1520年、細川高国(1484-1531)により築城され、六角定頼(1495-1552)らとともに入城する。京都攻略に使われ、細川澄元(1489-1520)の軍を撃破する。その後、焼失した。1546年、12代将軍・足利義晴(1511-1550)により築城される。翌1547年、義晴と子で13代将軍・義藤(義輝)(1536-1565)、近衛稙家(1502-1566)らと城に4カ月籠城した。だが、晴元と近江勢により攻められ、義晴父子は火を放って近江に逃れた。
 1550年、義晴により再築されるが、義晴は入城することなく没した。義藤は六角軍と戦い近江に逃れ、自ら火を放ち落城する。1558年、義藤と三好長慶(1522-1564)との戦では城の争奪が繰り広げられ、6月の長慶に続いて、6月-11月に義藤は再び籠城した。1561年7月-翌年3月、六角定頼の子・義賢(1521-1598)が布陣し、長慶攻めを行う。
 比叡山焼討の前年、1570年9月-11月に、信長・義昭方の明智光秀(1528-1582)が比叡山の包囲の際に使っている。他方、山門の後援を得た越前・朝倉義景、近江・浅井長政は比叡山に入っている。
◆北白川城出丸 瓜生山に置かれていた本丸の東400mに白鳥山(331.3m)がある。この地は本丸より標高が高く、西側以外の眺望が効いた。このため、北白川城出丸(北城)が築かれていた。出丸には、本丸の物見の砦が建てられていた。
◆幸龍大権現 現在、奥の院の御堂には、幸龍大権現が祀られている。
 背後(北)の石室は残されており、いまは石造の地蔵菩薩が安置されている。
 

*参道の山道は狸谷不動院本堂より15分程度です。急な坂道があります。周囲に人家はありません。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都大事典』『京都の地名検証』 『歴史家の案内する京都』『昭和京都名所図会 3 洛北』 、ウェブサイト「コトバンク」  


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元勝軍地蔵尊 〒606-8295 京都市左京区北白川清沢口町瓜生山山頂 
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