由岐神社 (京都市左京区)
Yuki-jinja Shrine
由岐神社 由岐神社
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手水舎


拝殿


拝殿




拝殿、割拝殿になっている。


拝殿、石段上から参道を見下ろす。




拝殿


拝殿、左右に独立した形で二つの舞台が造られている。


石垣が段上に組まれ、懸造(かけづくり)(舞台造)の柱が立つ。






本殿



本殿





本殿


本殿脇の石造の狛犬


石造の狛犬、胸に一匹の仔狛犬を抱く。



社務所


四角型石灯籠


 由岐神社(ゆき じんじゃ)は、鞍馬山境内、参道脇の崖地に建てられている。「靫(ゆき)神社」、「靫明神」、「靫大明神」ともいう。
 鞍馬本町の産土神であり、かつて神仏習合期の鞍馬寺の鎮守社になっていた。
 祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)であり、医薬の祖神になる。相殿に八所明神を合祀する。 
 事業守護・会社経営、交通安全、縁結び、子授け・安産、火難除けなどの信仰を集める。
 京都洛北・森と水の会。
◆歴史年表 平安時代、御所に由岐大明神が祀られていた。
 940年、第61代・朱雀天皇の勅命により、由岐大明神を宮中から都の北の鎮めにするために現在地に遷した。当社の始まりという。これは、938年の都の大地震、939年の平将門の乱(天慶の乱)と世情不安が続いたことに起因していた。当初は「由伎」と記され、後に「由岐」に改めたともいう。
 鎌倉時代、衰微した。
 江戸時代、1610年、豊臣秀頼により本殿、拝殿が再建されている。その後、旧本殿は失われた。
 文化年間(1804-1818)、鞍馬山山頂の八所神社が合祀された。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、鞍馬寺より独立した。
◆朱雀天皇 平安時代中期の第61代・朱雀天皇(すざく てんのう、923-952)。 寛明 (ひろあきら/ゆたあきら) 。第60代・醍醐(だいご)天皇の第11皇子。母は太政大臣・藤原基経の娘・藤原穏子(おんし)。3歳まで、菅原道真の怨霊の祟りを避けて、御殿の格子を上げず、昼夜灯を灯した御帳台の中で育てられたという。925年、3歳で皇太子、930年、父の譲位により8歳で即位した。母の兄・藤原忠平が摂政(後に関白)になり実権を掌握した。在位中に、自然災害が頻発し、海賊も多く出没した。承平・天慶年間(931-947)、平将門、藤原純友が乱を起こし、武士台頭の契機になる。(承平・天慶の乱)。946年、母の言に従い、弟の成明親王(第62代・村上天皇)に譲位した。将門の乱を恐れたためという。嵯峨、醍醐、大堰川などへ行幸し、芥川野(あくたがわの)、栗隈野(くりくまの)などへ遊猟した。晩年は出家し、仁和寺に入り、仏陀寿と称した。952年、その5カ月後に没した。30歳。歌集に『朱雀院御集』がある。諡号は、譲位後に母と移った後院の朱雀院に因み朱雀院という。
 在位中に、久しく途絶えていた摂政関白が復活し、藤原氏が就いている。陵墓は醍醐陵(伏見区)にある。
◆豊臣秀頼 安土・桃山時代-江戸時代の大名・豊臣秀頼(とよとみ ひでより、1593-1615)。豊臣秀吉の次男。母は淀殿。1595年、世嗣になる。1600年、関ヶ原の戦いの後は、65万石余の一大名に転落した。1603年、内大臣になり、徳川秀忠娘・千姫(1597-1666)と結婚した。1605年、右大臣。1614年、方広寺鐘銘事件以後、徳川軍と対立する。1615年、大坂夏の陣に敗れ、最期は大坂城内で母とともに自害した。
◆ゆき 由岐神社の「ゆき」の語源は、矢を納める武具の「靫(ゆき/ゆぎ)」にある。「靱(うつぼ)」、「空穂(うつぼ)」とも記される。
 矢を入れ、腰に下げ持ち歩く筒形の容器をいう。長い竹籠(たけかご)製で、外側を動物の毛皮や鳥の羽などで覆った。靫に矢を入れる際には鏃(やじり、ぞく)を上にし、羽を下にした。これは、古墳時代からの習わしという。かつては、靫負(ゆげい/ゆきえ)という武人がいたという。靫を背負って行軍し、示威の意味があった。平安京には、門を守る衛門府は「靫負の府(ゆげいのつかさ)」と呼ばれていた。
 『諸社根源記』、鎌倉時代末期の吉田兼好『徒然草 』第203段にも靫の名がみえる。元来は疫神であり、社前に靫を掲げ、天皇の病の平癒、世の安泰を祈願したという。同様の疫神は今宮神社の韓神、五条天神社にもあり、いずれも靫と同体という。
◆八所神社 江戸時代には、鞍馬山山上にあり、鞍馬寺の鎮守社だった。江戸時代、1814年の火災により焼失し、その後再建されなかった。後、江戸時代、文化年間(1804-1818)までに由岐神社に合祀される。 
 八所明神は、宮中賢所の祭神である八柱の神を迎えて祀ったという。鞍馬寺本殿金堂裏の鐘楼傍に、祠が現在も祀られている。
 鞍馬の火祭(10月22日)は、由岐神社、八所神社両社の例祭であり、由岐明神、八所明神の2基の神輿が渡御する。
◆末社 ◈ 「岩上社」の祭神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)を祀る。かつては鞍馬の岩上の森に祀られていた。山岳登山安全の信仰がある。祭日(5月5日)。 
 ◈ 「冠者社」の祭神は、素戔鳴命(すさのおのみこと)になる。鞍馬の冠者町に祀られていた。商売繁昌、家運隆昌の信仰がある。祭日(7月17日)。
 ◈ 「大杉社」の祭神は、樹齢800年の大杉の御神木(京都市指定天然記念物)であり、その根元に祀られている。この願掛け杉の神木に一心に願えると叶うといわれている。祭日(3月21日)。
 ◈ 「白長弁財天社」の祭神は、白長弁財天になる。この地にあり、霊験あらたかな神という。商売繁盛、健康長寿の信仰がある。祭日(8月第1日曜日)。
 ◈ 「三宝荒神社」の祭神は、三宝荒神大神(さんぽうこうじんおおかみ)になる。この地の火の神様、竈の神様、火難除け、災難除けの信仰がある。祭日(5月第4日曜日)。
 ◈ほかに、八幡宮社、石寄大明神社がある。
◆建築 江戸時代、1610年、豊臣秀頼により奉行・建部内匠頭光重が本殿、拝殿を再建した。(擬宝珠刻銘)。この本殿はその後に失われた。
 ◈ 「拝殿」(重文)は、傾斜地の石段途中に建てられている。割拝殿(わりはいでん、荷ない拝殿)になる。正面6間の偶数軒であり、右から3間目が抜け、間の1間に石段の通路がある。左に偏るのは、崖地の地形を利用したためという。屋根は軒唐破風になる。正面と両横に高欄、擬宝珠の親柱が立つ。通路上に蟇股に内部彫刻がある。安土・桃山時代の代表的建造物になる。
 懸造(かけづくり)(舞台造)、6間2間、一重、入母屋造、檜皮葺。
◆文化財 ◈ 「四角型石灯籠」1対は、本殿前石段左右にある。江戸時代、「慶長一五年」(1610年、1615年とも)の銘がある。
 ◈ 「石造狛犬」1対(重文)は、本殿扉左右にあった。鎌倉時代作の玉取獅子になる。中国宋代のものという。
 右の口を開いた阿形(あぎょう)は、前足で子獅子を抱く。左の口を閉じた吽形(うんぎょう)は、前足で鞠を抱く。子授け祈願、子孫繁栄・安産の信仰がある。京都国立博物館保管。
 
◈本殿脇の「石造の狛犬」は、それぞれ胸に一匹の仔狛犬を抱いており珍しいという。
◆安産祈願 石造狛犬が子を抱くことから子授け、安産祈願の信仰も篤い。戌の日の腹帯を巻く習わしは、当社を起源にするともいう。
 また、鞍馬の火祭の神輿の曳き綱を握ると、安産のご加護があるという。
◆文学
 ◈平安時代中期の紫式部『源氏物語』第5帖「若紫」巻で、光源氏と紫上の出会った北山「なにがし寺」、つづら折りの下の「なにがし僧都」庵は、鞍馬寺が設定されているともいう。光源氏は「おこりの病」の加持祈祷のために「北山」の聖を訪れた。
 ◈由岐神社参道脇の小川にある「涙の滝」は、光源氏が「吹き迷ふ 深山おろしに 夢さめて 涙もよほす 滝の音かな」と詠んだ。
 ◈鎌倉時代後期の吉田兼好の『徒然草』第203段に当社が記されている。勅勘(勅命による咎め)を受けた家の門には靫(ゆき)をかけたという。天皇の病、流行り病に対しては、五条天神、鞍馬の「ゆぎの明神」にも靫をかけた。看督長(かどのおさ)の背負った靫を家の門にかけられると、家人は出入りができなかった。後にそれが忘れられ、現在では門に封をするようになったという。
◆樹木 境内のスギの巨木3本(京都市指定天然記念物)は、大杉社の御神木になる。割拝殿が建築された鎌倉時代に植えられたともいう。樹齢800年、最大のもので樹高49.0m/53m、胸高幹周6.42mある。2本は「玉杉さん」「大杉さん」と呼ばれている。
 カゴノキ(京都市指定天然記念物)は、分布北限に近いものとしては最大級になる。樹高18.5m/17m、胸高幹周2.45m。
◆鞍馬の火祭 「鞍馬の火祭」(10月22日、旧暦9月9日)は、由岐神社、八所明神社例祭をいう。かつては「神楽松火」と呼ばれた。「京都三大奇祭」(ほかに、太秦・広隆寺の「牛祭」、今宮神社の「やすらい祭」)の一つに数えられる。
 松明はツツジの柴を用いている。油分が多く燃えやすい。この柴の束を藤の根で縛る。近年では、材料の入手が困難になっているという。
 肩に大松明を担ぎ、手に松明を掲げ、道筋に篝火を焚く。「祭礼(さいれい)、祭礼(さいりょう)」と叫びながら、御旅所に渡御し、鞍馬寺山門前の石段、地区を練る。
 起源は、平安時代、御所内にあった由岐明神の勧請に因むという。940年9月9日、鞍馬への遷宮の際に、鞍馬の人々は、鴨川に生えていた葦で松明を作り、道々に篝火を焚いた。神道具を先頭に、10町(1km)の祭列により鞍馬まで勧請された。以後、鞍馬門前村民の内、名衆(みょうしゅう)仲間により継承されている。
 氏子は上在地、中在地、下在地(宮本)の7組に分かれている。各町内では、精進竹立て、火改め、注連縄張が行われる。午後6時頃、「神事にまいらっしゃれ」の合図により、各家門口の篝火が灯される。各家々で最初は、「小松明(トックリ松明)」(1m)を子どもたちが担ぐ。襦袢、前掛に、武者草鞋を履いている。松明は次第に大きくなり、続いて少年らが担ぐ。8時頃、大松明(長さ4-5m重さ100㎏)を男衆が2、3人で担ぐ。締め込みに草鞋履きをしている。「サイレイ、サイリョウ」の掛け声とともに、3地区より、篝火、大松明の行列が街道を練りながら鞍馬寺に向かう。行列は、第一、第二の注連縄を越える。
 9時頃、鞍馬寺仁王門下に3地区の松明、大小250本が集結する。各々の松明は石段に立てられ、石段下は炎に包まれる。合図の太鼓により、石段奥の精進竹に建てられた注連縄が切られる。石段下に、一カ所に松明が集められる。松明の火は一つになり燃やされ、高い炎が周囲を焦がす。
 10時頃、神輿渡御が始まり、2基の神輿が登場する。御輿の柄の先に、若者2人(チョッペン)が足を広げて載る。これは、成人の通過儀礼になる。御輿は揺さぶられながら石段を駆け降りる。神輿は、囃子とともにそれぞれの氏子地区を練り、女性たちも綱を引くのが特異とされている。これには安産のご利益があるといわれている。
 御輿は夜半に御旅所に着く。神事があり、最後は御輿の担ぎ手らが、御旅所より飛び降りる。翌日に還幸する。
◆年間行事 弓の神事(1月15日)、節分祭(2月3日)、由岐会大祭(4月19日)、大祓祭(夏越祓祭)(6月30日)、宵宮祭(10月16日)、例祭(10月22日)、お火焚祭(11月9日)、古神符焼納祭(11月23日)。


*年間行事などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 中』『昭和京都名所図会 3 洛北』『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『源氏物語を歩く旅』『古代地名を歩くⅡ』『京都のご利益めぐり』『京都のご利益手帖』『京都 神社と寺院の森』『週刊 京都を歩く 13 鞍馬』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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松明

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鞍馬の火祭り宵宮(10月16日)

鞍馬の火祭り(10月22日)
由岐神社 〒601-1111 京都市左京区鞍馬本町   075-741-1670
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