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須賀神社・交通神社 (京都市左京区) Suga-jinja Shrine,Kotsu-jinja Shrine |
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須賀神社・交通神社 | 須賀神社・交通神社 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本殿、右に須賀神社、左に交通神社 ![]() 白龍大明神・稲荷大明神 ![]() 白龍大明神・稲荷大明神 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ササゲ ![]() 懸想文売り ![]() 須賀多餅、節分の時だけ社頭で売られる。 |
須賀神社(すが-じんじゃ)は、聖護院の南にある。祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が「わがこころすがすがし」と語り名付けられたという。かつて、西天王社(にしてんのうしゃ)と呼ばれていた。旧聖護院村の産土神だった。交通神社(こうつう-じんじゃ)も祀られている。 祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田比売命(くしいなだひめのみこと)。交通神社に、久那斗神(くなどのかみ)、八街比古神(やちまたひこのかみ)、八街比売神(やちまたひめのかみ)を祀る。 須賀神社は植林土木建築の神、無事故祈願として知られる。交通神社は旅館業の守護神になる。夫婦和合、邪気祓い、疫病除け、美人祈願、縁結びの神・良縁祈願、交通安全、旅行安全、旅館業守護などの信仰を集めている。 御朱印(須賀神社、交通神社)が授けられる。 ◆歴史年表 平安時代、869年、創建された。かつて、西天王塚辺り(現在の平安神宮内蒼龍楼の東北付近、西天王塚)にあり、西天王社と呼ばれていた。牛頭天王を祀る御霊社だった。東天王社(現在の岡崎神社)と対をなしていた。 また、1142年、鳥羽天皇皇后・美福門院の御願寺の歓喜光院(かんぎこういん)の建立に伴い、その鎮守社として創建されたともいう。(寺伝) 鎌倉時代、1332年、兵乱により歓喜光院が焼失した。当社は、吉田神社のある吉田神楽岡大元宮の西麓下に移転したという。 近代、1924年、現在地(旧御旅所)に移り、須賀神社と改称した。 現代、1964年、交通神社の社殿が建てられる。久那斗神、八街比古神、八街比売神の三座を祀る。 2005年、本殿、拝殿が焼失する。その後、再建された。 ◆美福門院 平安時代後期の第74代・鳥羽天皇の皇后・美福門院(びふく-もんいん、1117-1160) 。女性。得子(とくし)、法名は真性定。父・藤原長実(ながざね)、母・源俊房(としふさ)の娘・方子。鳥羽天皇は皇后・待賢門院(たいけんもんいん)と不和で、高陽(かや)院を皇后とした。美貌の得子も寵愛し入内させる。1139年、女御となり、皇子・体仁(なりひと)親王(第76代・近衛天皇)が生まれた。得子は、生後3カ月の親王を第75代・崇徳天皇の皇太子とし、鳥羽法皇を説き崇徳天皇退位を強いた。1141年、3歳で近衛天皇は即位する。准三宮宣下、皇后として権勢も高まる。1149年、美福門院の院号宣下。1155年、近衛天皇没後、崇徳上皇の皇子・重仁親王を退け、第77代・後白河天皇を擁立し、1156年、保元の乱の要因になる。同年、鳥羽法皇の没後、落飾し真性定と称した。白河の金剛勝院(押小路殿)に住した。44歳。 墓は高野山陵(和歌山県伊都郡)。 美福門院御所は、八条通の烏丸-室町間(現在の東塩小路釜殿町、京都駅構内)にあった。 ◆建築 本殿は右に須賀神社、左に交通神社が祀られている。 ◆摂末社 白龍大明神・稲荷大明神は、祭神は倉稻魂命(うかのみたまのみこと)になる。商売繁盛・金運上昇神の信仰がある。 ◆文化財 剣鉾「鉾」の茎銘は、近代、1936年であり、身140.1㎝、茎49.6㎝、全長189.7㎝になる。現在は使用されていない。 ◆祭礼 ◈「節分祭」(2月節分)は、烏帽子に水干姿、覆面という出で立ちの懸想文(けそうぶみ)売りが、梅の枝に文を付けた懸想文(恋文)を社頭で授与する。 平安時代以来、読み書きのできない庶民のために、公家、武家の者が身分を隠して恋文の代筆、代読を行っていた。この文を人に知られないようにして鏡台や箪笥に入れておくと、容姿端麗になり、衣装も増え、良縁に恵まれるといわれている。祭礼は、現代、1955年に復活した。 2日は翁と媼姿の追儺招福の豆まきが行われる。 ◈「例祭(神幸祭)」(5月第2日曜日)は、「角豆祭(ささげ-まつり)」ともいわれる。 このササゲは「大角豆」「角豆」とも書かれ、ササゲ属マメ科の一年草をいう。平安時代には「大角豆」と記されている。(『新猿楽記』)。縄文時代以来、飢饉の際には食用になったともいう。 角豆祭では、かつて、氏子の家に広く縁者が集まり、ササゲのつる葉に多くのさや豆がつくように、子孫、氏子の繁栄を祝った。 剣鉾は、菖蒲鉾(本家西尾八ツ橋)、葵鉾(聖護院八ツ橋総本店)、橘鉾(本家八ツ橋西尾為忠商店)の3基があり、各店舗が護持している。東山系の鉾差しを招いて神幸列に供奉する。聖護院門跡(左京区)前では、神輿は僧侶により読経を受ける。 かつて、剣鉾は鉾仲間により護持されていたという。葵鉾の祭壇飾りの高坏箱書きに、江戸時代後期、「文化十三年(1816年)」「葵鉾仲間」と記されている。現代、1999年頃までは剣(つるぎ)鉾、2009年頃までは菊鉾があり、祭礼に加わっていた。 ◆樹木 カリン、キササゲがある。 ◆年間行事 初荷(正月)、節分祭(2月2-3日)、例祭(神幸祭、角豆祭)(5月10日)、鎮座記念祭(交通安全大祓)(12月3日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、『京都大事典』、『京都府の歴史散歩 中』、『剣鉾まつり』、『京都のご利益めぐり』、『京都のご利益手帖』、『京のしあわせめぐり55』、『京都の隠れた御朱印ブック』、『京都 神社と寺院の森』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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