浄教寺 (京都市下京区)
Jokyo-ji Temple
浄教寺 浄教寺
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本堂、「灯籠堂古蹟」の扁額があるという。                                                       
玄関   


「内大臣平重盛公之碑」、江戸時代後期-近代の有栖川宮熾仁親王(1835-1895)筆。皇族、政治家、軍人。                                                                                                                                                                                                                                             
 寺町四条下がった繁華街にある浄教寺(じょうきょうじ)は、山号を多聞山という。平重盛の東山小松谷の邸内にあった精舎の後身とされ、堂号燈籠堂とも称する。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 平安時代後期、承安年間(1171-1175)初め、武将・平重盛は、東山小松谷の邸内に燈籠堂を建立している。(『平家物語』)。その後、荒廃する。
 室町時代、1449年、1446年とも、立誉は東洞院高辻(当時の五条、下京区東洞院松原灯籠町、現在の本燈籠町)に移し、第95代・花園天皇より贈られた寺号の浄教寺と改称した。
 安土・桃山時代、1591年、天正年間(1573-1592)とも、豊臣秀吉の都市改造に伴い、寺町通の現在地に移転している。
 江戸時代、伊予宇和島藩主・伊達宗城(在任1844-1858)の宿舎となる。
◆平重盛 平安時代末期の武将・平重盛(たいら  の しげもり、1138-1179)。清盛の長男、母は右近将監・高階基章の娘。1156年、保元の乱では父とともに源為朝と戦う。1159年、平治の乱でも戦功をあげ伊予守に任じられる。1163年、後白河上皇の蓮華王院(三十三間堂)造営にともない、公卿に列し近臣となる。1167年、権大納言、東国、西国の山賊・海賊追討を命じられた。1177年、内大臣となる。妻は平家打倒の謀議、1177年、鹿ケ谷事件に首謀・藤原成親の妹だったため、平家一門内で孤立した。
 信仰厚く、燈籠堂では毎月14日、15日に融通大念仏会を行っていたという。平家、他家の美貌の女房を堂に集め称名念仏を行い、燈籠大臣と呼ばれた。遺体は六波羅第に葬られた。平氏都落ちの際に焼き捨てられた。
 東山小松谷、五条坊門万里小路に邸があった。浄教寺は、小松殿の東山燈籠堂の後進といわれている。
◆立誉 江戸時代の僧・立誉上人(?-1859)。立誉定意。華頂宮家から知恩院門跡となった有栖川宮織仁親王の第8王子・尊超法親王の子。八幡の西遊寺22世。
◆法然と重盛 1206年、法然は、四国へ流される半年ほど前、東山大谷から公卿・九条兼実(1149 -1207)の別邸・小松殿に移った。なお兼実は、1202年に法然により授戒出家している。
 小松殿はもと平重盛邸であり、当時は、近くの月輪に屋敷を構えていた兼実が領有していた。1207年、法然はこの地から四国へと向かう。
 なお、重盛の孫・源智は、法然の弟子のひとりになる。
◆源智 鎌倉時代前期の浄土宗の僧・源智(げんち、1183-1239)。父は平清盛五男・師盛(1171? -1184)。源智は重盛の孫にあたる。紫野門徒の祖。妙法院法印とも称された。号は勢観房(せいかんぼう)。1185年、平家滅亡後、母・秘妙は密かに子・源智を法然弟子・真観房感西に託した。1195年、法然の弟子となる。また、慈円の下で出家したともいう。源智は、終生身分を隠し、感西、法然両師に仕えたという。法然臨終の際に、『一枚起請文』を授けられている。1234年、知恩院を再興し、百万遍知恩寺の基礎を築いた。
◆仏像・木像 本堂に本尊・「阿弥陀如来」、「平重盛像」を安置している。
◆文化財 平家琵琶が残されている。江戸時代の『京雀跡追』(1678)には、京極四条辺りで作られる筆・琵琶が名絃の誉れ高かったという。かつて、琵琶法師の座があり、平家琵琶が演奏されていたという。
燈籠堂 平安時代後期、承安年間(1171-1175)初め、武将・平重盛は東山小松谷の邸内に燈籠堂を建立している。
 48間(87.2m)の精舎を建て、各柱間毎に一体ずつ、全部で48体の阿弥陀仏を安置していた。また、1間ごとに6官女(全体で280人)を置き念仏を唱えさせ、48個の燈籠を掲げたことから燈籠堂と呼ばれた。このため、重盛は「燈籠大臣」と呼ばれた。(『平家物語』)
◆鎮守社 鎮守社には重盛が勧請した熊野大権現が祀られている。
◆碑 境内に「内大臣平重盛公之碑」が立つ。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 上』『京都 歴史案内』『京都大事典』



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浄教寺 〒600-8031 京都市下京区貞安前之町620,寺町通四条下る東側  075-351-2913
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