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鳥居本・五山送り火「鳥居形」 (京都市右京区) Toriimoto |
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鳥居本 | 鳥居本 |
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![]() ![]() 愛宕街道 ![]() 愛宕街道 ![]() 愛宕街道(600m)沿いに愛宕神社の鳥居、茶店などが建ち並んでいる。 ![]() 愛宕神社一ノ鳥居 ![]() 平野屋 ![]() 平野屋 ![]() 平野屋、「あゆよろし」の提灯 ![]() 平野屋 ![]() ![]() ![]() ![]() 平野屋 ![]() 平野屋 ![]() ![]() 亀石 ![]() 亀石 ![]() 【参照】平野屋・愛宕神社一之鳥居の模型(1930年頃)、嵯峨鳥居本町並み保存館の展示模型より ![]() 【参照】平野屋の模型(1930年頃)、嵯峨鳥居本町並み保存館の展示模型より ![]() 嵯峨菊 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() つたや ![]() 八体地蔵 ![]() 【参照】嵯峨仙翁花、松本仙翁の絞り花、嵯峨鳥居本。 ![]() |
愛宕山(標高924m)の南東に、鳥居本(とりいもと)は位置している。茅葺の農家風の家並み(600m)が残されている。 ◆歴史年表 奈良時代、大宝年間(701-704)、愛宕神社は役小角と泰澄により開かれた。古くよりこの一帯は、愛宕神社への参詣道の一つにあたった。愛宕神社一ノ鳥居の付近に門前町が形成され、以来、「鳥居本」と呼ばれるようになる。 室町時代末、農林、漁業(保津川の鮎の水替)の集落が形成される。 江戸時代、17世紀(1601-1700)中頃、町並みが形成されたという。五山送り火の一つの鳥居形大文字が催される。 享保年間(1716-1736)、愛宕詣りのための腰掛茶屋2軒が創業した。 江戸時代中期、参道は愛宕詣で賑わう。愛宕神社の門前町になる。 江戸時代末より、茶屋なども建ち並ぶようになったともいう。 近代、1931年、京都市に編入された。 現代、1979年、5月21日、嵯峨鳥居本町カ(2.6ha)は、全国伝統的建造物群保存地区協議会により、地域の約50軒による門前町の家並みが、「嵯峨鳥居本重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。現在、通り一帯には、茅葺の茶店・民家などが建ち並ぶ。 ◆建築 ◈茅葺の農家風建物、くずや(葛屋)葺(茅葺、草葺)の「くずや」の家並み(50軒)がある。 本来の農漁村の集落に、門前町が形成された。参道西には、農家風の茅葺の民家が建つ。千本格子、米屋格子などを用いたものがある。 参道東には、瓦葺、むしこ造りの町家風民家が建ち並んでいる。 ◈平野屋は、近代、19世紀(1801-1900)前半の建築とみられる。主屋は間口7間・奥行3.5間あり、後に後背部に4室の座敷を増築している。近年になり、一部増築・改築が行われている。店の正面は、近代、昭和期(1826-1989)初期には雨戸があり、昼間は開放されていた。現在は腰高障子になっている。 片入母屋造、茅葺屋根。 ◆亀石 平野屋の脇に、注連縄が張られた「亀石(かめ-いし)」が祀られている。「上り亀石」と呼ばれる。 石は、愛宕山山頂に祀られている「下り亀石」と対になっている。役行者(634-701)が祀ったともいう。 ◆映画 映画「大菩薩峠 第二部」(監督・内田吐夢、1958年、東映)の撮影が行われた。 ◆五山送り火 曼荼羅山(万灯籠山)で8月16日の8時20分に五山送り火「鳥居形」が行われている。 平安時代に、空海(774-835)が石仏千体を刻み、開眼供養の際に点火したのを起源にするという。 また、近くの鳥居本八幡宮(右京区)では神仏習合期に、仏式により法要が執り行われていたという。8月16日には、本社・石清水八幡宮が紀良子の生家であるため送り火をした。それが送り火の起源ともいう。 旧鳥居本有志により奉仕されている。かつて、地面に杭を打ち込み、青竹を結んで火床にしていた。現在は鉄製の受け皿を置いている。これに、薪松明(ジン、細く割り、広げて束にしている)により点火している。 笠木72m、柱76m、火床108基。 ◆年間行事 五山送り火「鳥居形」(8月16日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都大事典』、『昭和京都名所図会 4 洛西』、嵯峨鳥居本町並み保存館、『京都シネマップ 映画ロマン紀行』、ウェブサイト「全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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