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愛宕念仏寺 (京都市右京区) Otagi-nembutsu-ji Temple |
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愛宕念仏寺 | 愛宕念仏寺 |
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![]() 仁王門 ![]() ![]() 仁王門、仁王像 ![]() 仁王門、仁王像 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 地蔵堂 ![]() ![]() 本堂 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ふれ愛観音堂、絵馬堂 ![]() ![]() ふれ愛観音堂 ![]() ふれ愛観音堂 ![]() 三宝の鐘 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 公朝墓、「天台大佛師大僧正公朝法印大和尚」 ![]() 虚空蔵菩薩 ![]() 天河大辨財天社 ![]() 天河大辨財天社 ![]() 天河大辨財天社 ![]() ![]() ![]() 【参照】「愛宕念仏寺元地」の碑、旧地の東山区東弓矢町に立っている。慶俊は六道の辻に愛宕寺を建立し、後に、珍皇寺と念仏寺に分かれたという。 |
愛宕山(924m、あたごやま)の南東、愛宕参道脇に愛宕念仏寺(おたぎ-ねんぶつ-じ)はある。号は等覚山愛宕院(とうかくざん-おたぎいん)という。旧地が愛宕郷にあり、愛宕寺、愛宕念仏寺と称されていた。 天台宗、本尊は本堂に十一面千手観世音菩薩(厄除け千手観音)、火伏地蔵を安置している。 虚空蔵菩薩は福徳・財宝を授け、一三まいり、合格祈願の信仰がある。鬼子母神は子宝授かりの信仰がある。飛雲観音は航空安全の信仰がある。 洛陽三十三所観音霊場の第16番札所。 ◆歴史年表 奈良時代、第48代・稱徳(しょうとく)天皇(764-770)により開基された。かつて、旧愛宕(おたぎ)郡愛宕郷(東山区松原通大和大路東入北側弓矢町、六道珍皇寺付近とも)にあった。愛宕寺(おたぎでら)と称され、真言宗の教王護国寺(東寺)に属した。珍皇寺の旧名・愛宕寺を継いだともいう。七堂伽藍のある大寺だったという。 また、第60代・醍醐天皇の勅願により、空海(774-835)が創建したともいう。(寺伝) 平安時代初期、鴨川近くにあり、鴨川の洪水で堂宇が流失した。また、兵火により堂宇が焼失する。 延喜年間(901-923)/911年、比叡山の僧・阿闍梨・千観内供(せんかん-ないぐ)により中興される。等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺の末寺になる。千観は生涯仏名を唱え、念仏上人とも呼ばる。寺名もそれに因み愛宕念仏寺と称される。千観を開基としたともいう。(『日本往生記』)。当時は、七堂伽藍を有する大寺院だった。 中世(鎌倉時代-室町時代)以降、衰微した。 江戸時代、本堂、矢ノ根門、仁王門などが建てられていた。本堂に本尊の千手観音(六波羅観音)、火伏地蔵を安置していた。 1711年、「愛宕寺(おたぎでら)」と記されている。(『山城名勝志』) 近代、1922年、松原警察署の設置に伴う区画整理により、堂宇の保存と愛宕山の信仰により、3年の歳月をかけて旧地(東山区)より現在地(右京区)に移転する。 現代、1950年、台風の土砂崩れにより被災する。一時は廃寺になり、「京都一の荒れ寺」と呼ばれる。 1955年、住職に就いた仏像彫刻家・西村公朝により再興された。講堂には、公朝の天井画、壁画、十大弟子像公朝が残されている。 1981年以後、千二百羅漢が10年の歳月をかけて完成する。 ◆千観 内供 平安時代中期の天台宗僧・千観 内供(せんかん-ないぐ、918-984)。男性。俗姓は橘、千観。父・相模守敏貞(橘公頼の子)。12歳頃、比叡山に上がり、運昭に付く。園城寺に入り出家、受戒した。行誉(運昭とも)に師事し、天台教学を学ぶ。禁裏の内供奉十禅師を務め、空也の影響を受け浄土教になり宮中を去る。阿弥陀和讃を作る。962年、摂津国箕面山に隠遁する。963年、勅命により祈雨を祈願したという。第62代・村上天皇は、天台宗10師・法相宗10師を清涼殿宮中に招き法華講を開く。南都・北嶺の高僧による応和宗論(おうわ-の-しゅうろん)論者として選ばれ、辞退した。摂津国・金龍寺(安満寺)を再興し住した。970年、行誉から三部大法を伝授される。著『十願発心記』『八箇条起請』など。66歳。 内供とは、皇居に参内をゆるされた僧位をいう。阿弥陀和讃を作り浄土教を広めた。民衆からは念仏上人と尊称された。 念仏証人と呼ばれ、これに因んで当寺が念仏寺と呼ばれるようになったともいう。 ◆西村 公朝 近現代の仏師・僧・西村 公朝(にしむら-こうちょう、1915-2003)。男性。大阪府高槻市の生まれ。1935年、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科に入学し、1940年、卒業した。1941年、美術院国宝修理所に入る。1942年、中国に出征し各地を転戦した。1945年、復員後、、三十三間堂の十一面千手観音千体像(600体)、広隆寺の弥勒菩薩像など数多くの国宝・重要文化財を含む1300体の仏像修復に携わる。比叡山戒壇院の本尊・釈迦如来像の復興、群馬県・浄法寺の伝教大師像などを制作した。1953年、青運院で得度し、1955年より、京都・天台宗愛宕念仏寺住職になる。1959年-1975年、美術院国宝修理所所長になった。1967年-1983年、東京芸大保存修復技術研究主任教授に任じられる。1975年、紫綬褒章を受章する。1982年、仏教伝道文化賞(第17回)を受章し、天台大仏師法印の称号を受けた。1987年、勲三等瑞宝章、1989年、東方文化賞を受章した。1992年、吹田市立博物館館長になる。2000年、円空大賞、2002年、大阪文化賞を受章した。著『仏像の再発見』『仏の世界観』など。88歳。 ◆仏像・地蔵 ◈本堂に、鎌倉時代の「十一面千手観世音菩薩(厄除け千手観音)」を安置する。 ◈地蔵堂には、「火除(火伏)地蔵菩薩坐像」が安置されている。平安時代初期の作になる。「火之要慎(ひのようじん)」のお札で知られる。火伏の神として信仰されている愛宕山の本地仏が、地蔵菩薩であることに由来するという。右手は膝上に置き、左手に宝珠を載せる。蓮華座に結跏趺坐する。 ◈地蔵尊の右に平安時代前期、弘仁年間(810-824)の「吉祥天女像」、左右の脇檀に「二十八部衆像」などが安置されている。 ◈左の厨子内に納められていた「木造千観内供坐像」(重文)は、鎌倉時代作になる。彩千観の肖像彫刻で、口を開け念仏を唱える姿になる。彩色、寄木造。現在は、京都国立博物館に寄託。 ◈仁王門に、「仁王像」(京都市指定文化財)が祀られている。鎌倉時代初期(中期とも)作であり、京都市内では最も古い。一時個人所蔵になり、その後戻された。 ◈ふれ愛観音堂に安置の「ふれ愛観音」は、視覚障がい者でも心の目と手で触れることができる。 ◆建築 ◈「本堂」(重文)は、鎌倉時代中期、1318年に建立された。京都市内では数少ない鎌倉時代の建築になる。かつては、二条通柳馬場西入ルにあり、室町時代後期、応仁・文明の乱(1467-1477)後、旧地に移された。その後、近代、1922年に現在地に移されている。内部の天井は小組格天井、内陣は二重折上小組格天井で、珍しい鎌倉様式の曲線を使う。面取方柱肘木。須弥檀は格狭間に意匠を施す。方五間、単層、入母屋造、瓦葺。 ◈「仁王門」は、江戸時代中期に建立されている。現代、1950年の台風で損壊し、1981年に解体修理された。三間一戸、単層、切妻造、銅板葺。 ◆石造物 ◈「名号卒塔婆」は室町時代作になる。清水寺の千日詣結願供養塔だった。室町時代後期、「永正九年(1512年)」の銘がある。 ◈「板石塔婆」は、室町時代作であり、地蔵菩薩像を陰刻している。 ◈「石造宝篋印塔」は、江戸時代作になる。 ◆羅漢 境内には石造の「羅漢」が数多く安置されている。 現代、1981年に当時の住職・西村公朝は、寺の再興のために発願し、一般の人々にそれぞれの思いを込めた羅漢像を彫ってもらう取り組みを始めた。釈迦入滅後に集った500人の弟子に因んでおり、当初は五百羅漢像を想定した。 全国から希望者が相次ぐ。公朝の指導により10年後には1200体まで造立された。いまは、「千二百羅漢」として知られている。 ◆犬神人 「愛宕念仏寺元地」の碑が、旧地(東山区東弓矢町)に立つ。当初、慶俊は、六道の辻に愛宕寺を建立し、後に、珍皇寺と念仏寺に分かれたという。 戦国時代-近世、祇園社の犬神人(いぬじにん/いぬじんにん、つるめそう)といわれる職業集団が集住していた。彼らは日常的には、弓矢の製作を生業とした。祇園祭の際には警護、清掃などの任を担った。愛宕寺の住職は、この犬神人の中から選ばれていたという。 ◆天狗の宴 旧地の弓矢町では、火除地蔵は火伏地蔵とも呼ばれた。かつて1月2日夜に、寺の客殿で犬神人による「天狗の宴(さかもり)(転供 [てんぐ] の酒盛り)」が催されていた。酒宴の様が、あたかも天狗の酒盛りのように騒がしかったためという。 悪鬼を祓うために、片木(へぎ、倍木)を持った舞いがあり、牛王杖(ごおうじょう)を持って床や壁などを叩いた。法螺、太鼓を打ち鳴らし、寺僧は牛王札を貼って回った。参詣者にも火除けの牛王札が配られていた。(『都名所図会』) ◆アニメ ◈アニメーション『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』(原作・和月伸宏、制作・スタジオぎゃろっぷ(第1話 - 第66話)・スタジオディーン(第67話 - 第94話)、1996年1月- 1998年9月、全94話)の舞台になった。5期エンディングに羅漢像が登場する。 ◆年間行事 羅漢花祭り(4月第1日曜日)、紅葉祭り・天狗の宴(11月第2日曜日)。 法要と住職の法話(毎月24日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、『京都大事典』、『京都の地名検証 3』、『京都の寺社505を歩く 下』、『新版 京のお地蔵さん』、『京都のご利益手帖』 、ウェブサイト「アニメ旅」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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