市殿神社 (大津市)
Ichidono-jinja Shrine
 市殿神社 市殿神社 
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 市殿神社(いちどの じんじゃ)は、かつて付近に妙見社が存したことから「みょうけんさん」とも呼ばれている。近くに、伝教大師(最澄)生誕地とされる生源寺があり、最澄の母・妙徳夫人ゆかりの社ともいう。
 祭神は山祇姫命(やまつみひめのみこと)、また、最澄の母・妙徳夫人ともいう。
 子授け、子育ての神として信仰を集める。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、817年、妙徳が亡くなる。
 820年-891年、円珍(814-891)は比叡山花摘峰に妙徳の霊を祀る社を建立したという。日本最古の人物を祀った社とされる。
 室町時代、1392年-1572年、市殿神社は存在していた。
 江戸時代、1854年、石鳥居が再建される。
 近代、1868年、本殿を現在地に遷す。
◆妙徳 奈良時代-平安時代の女性・妙徳(747-817)。藤原藤子。山城国山ノ内に生まれたという。祖先は藤原鎌足という。河辺左大臣魚名の孫、父は藤原鷲取、母は宇気合田早良女。757-764年江州滋賀郡・三津首百枝(みつのおびとももえ)と結婚した。765頃夫妻に子供がなく、比叡山八王子山の奥(後の神宮寺)に草庵を結び、男子生誕を祈願した。766年/767年広野(最澄)が生まれたという。767年妙徳と改名する。790年母、798年父が亡くなる。800年頃、最澄は両親報恩のために生源寺、東南院を建立する。811年夫が没し、住居が凶族により焼かれたため里の山ノ内へ身を寄せる。812年山ノ内の兄・正雄宅で夫の一周忌法要を行う。また、多くの水子の冥福を祈ったという。山ノ内で没したという。
◆円珍 平安時代前期の僧・円珍(814-891、智証大師)。讃岐国に生まれた。母は空海の姪に当たる。景行天皇の15代孫という。829年15歳で比叡山に登り天台座主・義真に師事し『法華経』『金光明経』を学ぶ。19歳で天台宗年分度者になる。833年比叡山戒壇院で菩薩戒を受け、12年間籠山行に入り学頭、内供奉に任じられる。838年十二年籠山中に黄不動尊の示現に遭う。845年大峯、葛城、熊野三山、那智の滝に参籠し、三井修験道の起源となる。846年比叡山真言学頭に推される。850年伝燈大法師位に叙せられる。853年唐に渡る。福州・開元寺で印度那蘭陀寺の般若多羅三蔵により悉曇 (梵字)を学ぶ。温州の同寺で『法華経』などを授けられた。また、天台山国清寺で最澄の遺跡を訪ね、最澄が建立した禅林寺(天台日本国大徳僧院)を再興した。止観堂とも呼ばれ、日本の留学僧が利用した。各寺で止観(禅)、天台、密教などを学ぶ。6年後の858年経典類441部1000巻を携え帰国する。859年園城寺長吏になる。866年三井寺別当職(長吏)に任じられる。四国金倉寺、比叡山の山王院に住し、868年第5世座主となる。天台別院・園城寺(三井寺)を再興し、伝法灌頂の道場とした。唐より請来の経籍を唐坊に納める。888年三カ条の遺誡を描き円仁門徒との親交を諭した。890年少僧都、891年比叡山山王院で亡くなる。
 天台寺門宗の宗祖天台宗寺門派の祖。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。弟子は500余人、教えを受けた人は3000人といわれる。没後の929年第60代・醍醐天皇より智証大師の諡号(大師号)を贈られる。
◆市殿 社号の市殿神社の市殿(いちどの)とは、神に仕えた女人の意味であり、市子、一殿、市殿(市子)と称したことから市殿と名付けられたという。
 市子(いちこ/いちご)とは巫女の異名という。一殿(いちどの)もまた巫女、あるいは神楽巫女の意味があると考えられている。
 市殿と妙徳との関係については不明。
 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 当社由緒、数野夘吉氏作成年表


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市殿神社 〒520-0113 大津市坂本坂本6丁目1-296  077-578-0009  
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