五条坂 (京都市東山区)
Gojo-zaka
五条坂  五条坂
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五条坂




清水寺境内にある仁清記念碑


清水寺境内にある尾形乾山の記念碑 




若宮八幡宮にある清水焼発祥之地五條坂の碑


和気亀亭家旧宅跡


民芸作家の河井寛次郎記念館
 五条坂(ごじょうざか)は、清水寺の参道のひとつになる。五条通(旧六条坊門通)が東大路通と交差し、北東の清水坂に至る坂道(400m)を意味した。古くは西は大和大路通までを含んだ。現在は、国道一号線が通じている。
◆歴史年表 詳細は不明。
 室町時代中頃、清水焼が始まったともいう。
 安土・桃山時代、瀬戸の陶工により京都に陶芸がもたらされたともいう。
 江戸時代、1643年、「清水焼」の初出になる。(『隔蓂記(かくめいき)』)
 元和年間(1651-1624)、慶長年間(1596-1615)とも、瀬戸の陶工・三文屋九右衛門により、粟田口三条通に窯が開かれたともいう。
 寛永年間(1624-1644)、名陶工といわれた御室の野々村清兵衛(仁清、にんせい)により清水焼が始まったともいう。
 1782年、京焼問屋の株仲間を結成する。
 文化年間(1804-1818)より、磁器が始められ次第に栄えた。
 文政年間(1818-1830)、青木木米、仁阿弥道八、欽古亀祐ら多くの名陶工が生まれた。輸出品として海外での評価も高まる。
 近代、1879年、五条坂の西大谷前北側に、ドイツ人化学者・ワグネルは、舎密局管轄の陶磁器実験工場を建設し使用する。
 1883年、焼物問屋の商工組合が結成される。
 1886年、陶磁器蒐集場が設置される。
 1896年、陶磁器試験場が設立された。
 第二次世界大戦中、五条坂では金属代用品として陶製手榴弾の製造が行われた。陶製のロケット用燃料装置も製作された。 
 1945年、空襲対策のために五条通で建物の強制疎開が始められた。
 現代、1949年、若宮八幡宮に、陶祖・椎根津彦命(しいねつねひこのみこと)が合祀され、陶器神社と呼ばれる。
 1960年頃より、登り窯の煙公害が問題化し、電気窯、ガス窯への転換が進められた。陶業者は日吉、泉涌寺区へ移転、その後、山科清水焼団地、宇治市炭山などへ移転する。
◆五条坂 清水坂とともに、清水焼の陶工が多く住んだ。京焼(京焼・清水焼)は、栗田(口)焼、清水焼、楽焼などの総称で、大日山で採れる良質の土が原料になっていた。
 清水焼の起源については、確定的ではなく諸説ある。安土・桃山時代に、瀬戸の陶工により京都にもたらされたともいう。江戸時代、元和年間(1651-1624)、慶長年間(1596-1615)とも、瀬戸の陶工・三文屋九右衛門により、粟田口三条通に窯が開かれたともいう。高温で焼かれ「粟田焼」と呼ばれ、色絵陶器を生産したという。 
 清水焼が室町時代中頃に始まったとする説もある。生産地は、江戸時代半ばに五条坂に移され、以来、「清水坂」「五条坂焼」という呼び名が生まれた。「清水焼」の初出は、江戸時代の『隔蓂記』(1643)になる。
 清水焼の祖は音羽屋惣左衛門といわれている。江戸時代、寛永年間(1624-1644)に、名陶工といわれた御室の野々村清兵衛(仁清、にんせい)により清水焼が始まったともいう。仁清は産寧坂で窯を作ったのが始まりという。仁清の号は、仁和寺の「仁」と自らの名の「清」から取った。それまでの中国風から、日本風の独自意匠による色絵京焼を完成させる。作品は茶道具が中心で、公家に重用された。続いて初代・清水六兵衛、2代目・六兵衛、尾形光琳の弟尾形乾山(けんざん)、奥田頴川(えいせん)などが続いた。
 また、江戸時代、宝永年間(1704-1711)までは五条坂に、3基の窯しかなかったともいう。文化年間(1804-1818)から磁器が始められ次第に栄えた。名陶工としては2代・高橋道八家、和気亀亭家、水越与三郎兵衛家などがある。文政年間(1818-1830)、青木木米、仁阿弥道八、欽古亀祐ら多くの名陶工が生まれた。輸出品として海外での評価も高まる。
 近代以降、1879年、ドイツ人・ワグネルの招へいなどによる陶芸近代化により、酸化コバルト、西洋絵具の導入、工業陶磁器の製造も始められる。
◆大戦・戦後 第二次世界大戦中、五条坂では金属代用品として陶製手榴弾の製造が行われた。また、陶製のロケット用燃料装置も製作された。
 京都初の空襲になった東山区馬町(渋谷通東大路)の「東山空襲」(1945年1月16日)では、死者34人(41人とも)、被災家屋44戸(141戸とも)の被害が出た。その後、3月には空襲対策のために五条通でも建物の強制疎開が始められた。坂より南側の建物が取り壊され、50m道路に拡張されている。
 戦後、1960年頃から登り窯の煙公害が問題化し、電気窯、ガス窯への転換が進められた。陶業者の日吉、泉涌寺区への移転は、その後、山科清水焼団地、宇治市炭山などへ移転する。
 現在、京都市内の陶磁に係る事業所は200、従業者は1200人といわれている。
◆音羽川 東山から清水寺の南を流れる音羽川は、西大谷の南に流れていた。現在は五条パイパスの開通とともに暗渠になっている。
◆周辺 現在も陶芸関係の店舗、遺跡が多く残されている。現在、五条坂周辺の登り窯は、藤平陶芸などに5基あるが使われていない。
 界隈には仁清、仁阿弥道八住居跡、清水六兵衛窯、袋中庵跡(6丁目)、陶磁器協同組合、河井寛次郎記念館、藤平陶芸など陶芸に関連した史跡や施設が点在している。
◆陶器まつり 毎年8月7日-10日まで、陶器まつりが催されている。若宮八幡宮に、戦後復興期(1949)に、陶祖・椎根津彦命(しいねつねひこのみこと)が合祀され、陶器神社と呼ばれることに由来し、それ以来続いている。
◆映画 現代劇映画「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」(監督・山田洋次、第29作、1982年、松竹)では、鴨川で知り合った寅(渥美清)と五条坂の陶芸家(13世・片岡仁左衛門)が意気投合する。酔った寅は陶芸家宅(河井寛次郎記念館)に泊まる。五条坂で寅とかがり(いしだあゆみ)のやりとりが撮影された。


*参考文献 『京都絵になる風景』『京都大事典』


  若宮八幡宮      陶匠・青木木米宅跡      仁和寺     ワグネル顕彰碑                 

五条坂に続く清水寺参道の「茶碗坂」

陶器まつり、期間中は、清水焼き、さまざまな陶器を売る店、露天が建ち並ぶ。
 五条坂 京都市東山区東大路五条北西 

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