ワグネル顕彰碑 (京都市左京区)  
Honoring monument of Wagner
ワグネル顕彰碑 ワグネル顕彰碑
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ワグネル顕彰碑


ワグネル像





【参照】廃止された市電、隣接する公園内に保存展示されている。
 岡崎公園の一角に、近代のドイツ人化学者・ワグネル顕彰碑が立てられている。碑の北には銅鋳署名板もある。
 ワグネルは京都に招かれ、舎密局(せいみきょく)、京都医学校で教えた。3年間に陶磁器、七宝釉薬、石鹸、ガラス、飲料の製造、染色改善などを指導する。
◆歴史年表 近代、1878年-1881年、京都府知事・槙村正直は、ワグネルを京都に招く。舎密局で各種工業化学製品の研究・改良の技術指導に当たる。同局に新設された化学校で化学工芸を教えた。京都医学校(京都府立医科大学の前身)では理化学を教えた。
 1879年、五条坂の西大谷前北側に舎密局管轄の陶磁器実験工場を建設し使用する。
 1881年、舎密局の廃止により失職し、京都を去る。
 1892年、東京で亡くなる。
 1924年、岡崎公園で開催の「東宮殿下御成婚奉祝万国博覧会参加五十年記念博覧会」に際し、京都市はワグネルの業績を顕彰し顕彰碑を立てた。
◆ワグネル 近代のドイツ人化学者・ワグネル(Wagner Gottfried、1831-1892)。ドイツのハノーバー生まれ。1846-1848年、地元の工芸学校に学び、鉄道に就職した。1849-1851年、ゲッティンゲン大学でガウス、ベルリン大学の数学者・ディリクレに学ぶ。1852年、同大学から数学論文で博士号を取得。その後、パリで数学を教え、数カ国語・化学を学ぶ。1860年-1864年、スイスのショー.ド.フォンの工業学校で数学・自然科学を教える。1864年、失職し、ドイツで義兄と溶鉱炉事業、パリで弟と化学工場設置を計画し失敗、一時療養した。1868年、来日した。上海のアメリカ商会より、長崎での石鹸工場建設を依頼される。石鹸は売れず事業は成功しなかった。1870年、肥前佐賀藩・有田の郡令・百武作十の発案により製陶近代化を指導した。酸化コバルトを有田小樽山の土で希釈、山林乱伐による水害防止のために植林を指導する。石炭・木炭両用の窯を奨励した。佐賀藩の佐野常民を知る。1871年、大学南校(東京大学前身)、1872年、東校(東京大学医学部前身)の講師として物理、化学を教える。ウィーン万国博覧会御用掛になる。1873年、ウィーン万国博覧会の欧日両政府顧問を務め、出品物の選択・製作を指導し成功に導く。日本は職工24人、総員77人で参加し、出品した京都の美術工芸品などは大好評を博した。閉会後、佐賀の伝習生・納富介次郎らが現地に残り技術習得した。同年、近代的な中等専門技術教育機関設置を文部省に建議した。1874年、東京開成学校(東京大学の前身)で理化学を教えた。文部省が開成学校内に開いた技術教育のための製作学教場の教師になる。1875年、内務省に設置の殖産興業政策部署顧問、博物館兼勤。農商務省で技術指導をした。勧業寮内の試験製作所でも教えた。1876年、フィラデルフィアの万国博覧会でも日本政府の顧問になる。1877年、製作学教場が廃止され、七宝製造の研究を行う。1878年、京都府に招かれる。舎密局(せいみきょく)、京都医学校(京都府立医科大学の前身)で教える。舎密局内に自ら設計した薪・石炭を使用する陶器窯(耐火煉瓦製)を築く。1879年、五条坂に舎密局管轄の陶磁器実験工場を建設し使用する。1881年、舎密局の廃止に伴い、東京大学理学部化学科教授として製造化学を教える。1882年、農商務省の依頼で陶器焼成窯を設計・製作した。1883年、植田豊橘を助手に、神田の東京大学理学部化学教室で陶器「吾妻焼(旭焼)」の創製の研究を開始した。1884年、小石川の江戸川町で吾妻焼の製造実験を開始した。東京大学教授解任後、東京職工学校(東京工業大学前身)化学工芸部の専修科目窯業学を教えた。1885年、農商務省兼勤になる。吾妻焼製造実験工場を麻布霊南坂下に移転する。1886年、ワグネルの提言により、陶器玻璃(はり)工科が開設され主任官に就任した。純日本風の改良陶器「旭焼(吾妻焼より改称)」を東京職工学校に移し創製する。1890年、教え子の窯業技術者・藤江永孝を伴い、愛知・岡山・山口・佐賀・長崎の陶業地を視察した。途中で発病し、ドイツに一時帰国し療養した。1892年、東京に戻り亡くなる。ドイツの採鉱冶金学者・クルト.ネットーとの共著『日本のユーモア』など。61歳。
 旧来の徒弟教育でなく、近代的な技術教育の設置に尽力した。日本古来の美を愛し、伝統工芸を海外に紹介した。京焼・永楽善五郎、日本陶器創立者・飛鳥井孝太郎らが教えを受ける。陶家・入江道仙、永楽和全と交流した。島津製作所創業者・島津源五郎も旋盤技術をワグネルから習得した 。助手の小泉俊太郎、上田勝行らは後に京都薬科大学を生む。陶磁器、ガラス、石鹸、薬物、染織、ラムネ(鉄砲水)などの改良・研究も行う。
 墓は遺志により東京・青山墓地(港区)にある。記念碑は京都岡崎(左京区)、東京工業大学(目黒区)構内にある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 ウェブサイト「 近創史No.6/2008年 日本の美を工業化したワグネル 佐賀・京都・東京で広く活躍」、『増補版 京都の医史跡探訪』、『京の医学』、ウェブサイト「東京工業大学 ドクトル・ゴットフリード・ワグネル略年譜」 、ウェブウェブサイト「コトバンク」   


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map ワグネル顕彰碑 〒606-8343 京都市左京区岡崎成勝寺町 
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