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 団栗橋 (京都市下京区-東山区) 
Donguri-bashi Bridge
団栗橋 団栗橋 
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アユ釣人


鴨川に生息するオイカワなど。


みそそぎ川


橋の下流、寛文新堤とみられる布積護岸(上部の一段部分)、その下に谷積護岸、手前はみそそぎ川


鴨川の東岸の宮川町界隈


鴨川の西、西石垣通


【参照】「団栗通り」の通り名(東山区)
 四条大橋の下流に団栗橋(どんぐり-ばし)がある。「檪橋」とも書かれた。東の宮川町と西の西石垣通を結ぶ。かつて、橋の東詰に団栗の大木があり、名の由来になったという。
◆歴史年表 江戸時代、1709年、橋は記されている。(『京大絵図』)
 1788年、天明の大火以前にすでに架橋されていたとみられる。
 近代、1885年、10月、浮橋を地方費で架け替えた。(『京の三名橋 下 五条大橋 』)
 1899年、9月7日-8日、洪水により橋の西部が18m流出し、宮川筋が浸水する。
 1914年、8月31日、木造で架け替えた。(『京の三名橋 下 五条大橋 』)
 1923年、6月27日-28日、水により橋の東端の一部、橋桁が流出する。
 1935年、6月、「鴨川大洪水」により木橋は流出した。
 現代、1963年、現在の橋が架けられた。
団栗橋 ◈ 古くは、木橋であり、東は花見小路、西は高瀬川お関橋に通じていた。長さ45間7分(81m)、幅2間6分(3.6m)あったという。洪水の度に幾度も流出していた。
 ◈ 現在の団栗橋の架設年は、現代、1963年だった。橋種は3径間連続鋼プレートガーターになる。橋長61.5m/62m、橋幅9.5m/10.2m。
◆新堤 鴨川西岸に西石垣(さいせき)通がある。西石垣の「垣」を略して西石(さいせき)とも呼ばれた。また、東岸の宮川町一丁目を俗称として「石垣町」と呼んだ。または「東石垣町」、略して「東石(とうせき)」とも呼んだ。また、東西をあわせて「石がけ」とも呼ばれた。これらの石垣の名は、江戸時代の「寛文新堤」に由来している。
 江戸時代前期、1663年の鴨川大洪水以後、京都所司代・板倉内膳正矩(1617-1673)によって、今出川通-五条通までの鴨川西岸の9㎞区間に、「寛文新堤」(新土居、1669-1700)の石垣築造が行なわれた。この付近の石垣が築かれたのは1668年ともいう。鴨川両岸の石垣は1677年に完成している。
◆天明の大火 団栗橋付近は、京都の歴史上最大の大火といわれる「天明の大火」(「団栗焼け」「団栗火事」「申年(さるどし)の大火」)と関わりがある。
 江戸時代後期、1788年旧1月30日早朝、鴨川の東岸、団栗辻子(どんぐり-の-ずし)の民家(宮川町団栗新道角の両替商の空き家)から出火し、火は南東の風に煽られ宮川筋に南下した。さらに、火の手は折からの強風にあおられ、鴨川を越えて対岸(西岸)にも飛び火した。出火原因は放火とみられている。 
 火は、洛中の寺町通高辻にあった永養寺を類焼させ、北と南、西へも延焼した。火災は旧30日(太陰暦のため31日はない)から、旧2月1日-2日の2昼夜にわたって燃え続けた。
 被災した範囲は、鴨川の東から、北は鞍馬口通、南は七条通、西は千本通の内までだった。類焼した町数は約1400町、市街地人口の5分の4(市街地の8割)が被災したともいわれている。なお、被害については諸説ある。焼失家屋は3万7000軒、罹災した世帯は6万5000ともいう。また、町数1430町、家屋65340軒、神社37、寺院201、死者140余人ともいう。(『翁草』)
 御所、二条城、東西本願寺などの大規模な建築物をはじめ、200余の神社、900余の寺院も焼失している。
 幕府は、機敏な対応をした。罹災者に対して米3000俵、銀600貫を貸与、物価高騰を厳禁にしている。
 なお、御所の西にある新在家門は、普段は開かずの門だった。この大火の際に開門されたことから、火に焙られた蛤の口が開いた様に喩えられ、以後「蛤御門」と呼ばれるようになった。
 天明の大火は、江戸時代最大の火災になり、室町時代後期の応仁・文明の乱(1467-1477)以来の大被害を及ぼした。このため、以後の京都の経済は衰微し、周辺の町並み・風俗にも影響を与えた。
◆アユ 鴨川に生息するアユには、天然アユと放流アユがある。三条大橋-松原橋間は放流アユの友釣専用区になっている。
 かつて鴨川の天然アユは、献上アユとして知られた。天然アユは、大阪湾から淀川を経て鴨川に遡上していた。その後、鴨川の水質悪化(生活排水・工業廃水)、治水工事・落差工の設置などで遡上するアユ数は激減した。
 近年では、鴨川の水質改善、新たに魚道を設けるなどして、天然アユの遡上が復活しつつある。遡上する範囲も拡大している。魚道設置場所は、大宮大橋上流の今井堰、四条大橋下流の四条落差工、三条大橋下流の三条落差工、丸太町橋下流の丸太町落差工などになる。ただ、現在、確認できない。
 鴨川にはほかに、オイカワ、フナ、ハエ、ヤツメウナギなどの魚類も生息している。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都の治水と昭和大洪水』、『京都水ものがたり 平安京一二〇〇年を歩く』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、『京の三名橋 中 四条大橋 』、『京の三名橋 下 五条大橋 』、『鴨川・まちと川のあゆみ』、『京都の災害をめぐる』、『京都・鴨川と別子銅山を歩く』、『京都のシンボル鴨川-かもがわ探偵団と伝説のアユ』、『京都の治水と昭和大水害』、ウェブサイト「コトバンク」

 
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団栗橋  京都市東山区宮川筋2丁目付近
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