明治天皇御駐輦所寒天製造場阯 (京都市左京区)  
Ruins of Agar manufacturing plant
明治天皇御駐輦所寒天製造場阯 明治天皇御駐輦所寒天製造場阯
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「明治天皇御駐輦所寒天製造場阯)」の石標

 御蔭橋(みかげばし)の西、御蔭通南側に、「明治天皇 御駐輦所 寒天製造場阯(めいじてんのう-ごちゅうれんしょ-かんてん-せいぞうじょう-あと)」の石標が立てられている。
 駐輦とは、天皇が車を留める、滞在するの意味になる。近代に第122代・明治天皇がこの地にあった寒天工製造場に立ち寄っている。
◆歴史年表 近代、1873年、この地で田中四郎左衛門/平衛が経営する寒天製造場が操業した。
 1877年、第122代・明治天皇の関西行幸が行われる。2月3日、上賀茂神社・下鴨神社に行幸した。帰途、この地の寒天工製造場に立ち寄り巡覧した。
 1938年、京都府により石標が立てられる。
 1917年/1910年、製造場は亀岡に移転した。
◆明治天皇 江戸時代後期-近代の第122代・明治天皇(めいじ-てんのう、1852-1912)。名は睦仁。幼名は祐宮(さちのみや) 。京都・中山邸で生まれた。第121代・孝明天皇の第2皇子、母は権大納言・中山忠熊の娘・慶子(よしこ)。5歳まで中山家で育てられる。1860年、皇太子になり、睦仁(むつひと)と改名した。1866年、父・孝明天皇の死により、立太子を経ずに、1867年、16歳で践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)し、左大臣・関白・二条斉敬(なりゆき)が摂政になる。幕府は大政奉還、天皇は小御所会議に出席し、岩倉具視は天皇を奉じて王政復古の大号令を発布、新政府が樹立された。1868年-1869年、戊辰戦争で東征を命じ、旧幕府勢力を制した。1868年、天皇は五箇条の誓文(政府の新方針)を公布し、明治に改元する。江戸に行幸し、江戸城を東京城として改めて皇居にする。一条美子(昭憲皇太后)を皇后にした。1869年、東京遷都し、平安京は終焉する。中央集権化の版籍奉還の上表を勅許した。1870年頃より、西郷隆盛が責任者になり、宮中改革が行われた。1871年、廃藩置県を実現した。大教宣布の詔を出し、神道国教化、天皇絶対化を図る。1873年、征韓論をめぐり、勅許により西郷隆盛の朝鮮大使派遣を中止させる。1875年、漸次立憲政体を立てるとの詔書を出し政治体制改革を進める。1877年、西郷により西南戦争が勃発する。大久保利通、岩倉具視は天皇を教育する侍補(じほ)制度を作る。1881年、国会開設の時期を明示し、自由民権運動を鎮静化した。1882年、軍人勅諭で天皇の軍隊化し、天皇は大元帥として統率する。1884年以降、内閣制度創設、立憲制の諸制度を整備した。1889年、大日本帝国憲法を公布、天皇は国の元首であり、天皇大権を規定し天皇制国家の基礎を確立した。1890年、教育の根幹である教育勅語を発した。1894年-1895年、日清戦争で大本営を指導する。1902年、日英同盟を締結、1904年-1905年、日露戦争で戦争指導し、戦後、1910年、韓国併合し、満州経営を進める。1911年、幕末以来の不平等条約の条約改正を完成させ、日本は列強国に入る。1912年、亡くなる。即日、一世一元制により嘉仁(よしひと)親王(第123代・大正天皇)が践祚した。東京で没した。61歳。
 地方巡行多く、神格化が進む。和歌を好み10万首の詠歌を残した。遺言により桃山陵(伏見区)に葬られた。
 神霊は明治神宮(東京都)に祀られた。誕生日(11月3日)は明治節(現在の文化の日)になる。
◆田中四郎左衛門/平衛 近代の実業家・田中四郎左衛門/平衛(?-?)。詳細不明。東京生まれ?。1873年、下鴨で寒天製造場を経営した。
◆寒天製造場 近代、1873年、東京遷都後の京都の復興策として、この地で寒天製造場が操業した。下鴨村南東、高野川沿いにあった。東京の田中四郎左衛門/平衛が経営した。
 冬季の下鴨は寒冷厳しかったため、その寒さを利用し、若狭のテングサを材料として糸寒天(長さ30㎝)を製造した。10月-3月に、丹波から10人ほどの男性が働きに来ていた。仕事歌を歌い、テングサを入れた臼を足でついた。1日毎に下鴨村の女性20人も雇われていた。製品は、一時輸出もされた。
 その後、高野川対岸に繊維工場が建てられ、その煤煙公害により寒天が汚れたた。1917年/1910年に寒天製造場は府下の亀岡に移転した。
◆明治天皇行幸 近代、1877年に第122代・明治天皇(1852-1912)の関西行幸が行われた。1877年に九州の士族が、西郷隆盛を擁した西南戦争を起こしたため、行幸は長期化している。京都には1月28日-2月6日、2月16日-7月28日に滞在した。
 この間の2月3日に、天皇は上賀茂神社・下鴨神社に行幸している。その帰途、寒天工製造場に立ち寄り巡覧している。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『親と子の 下鴨風土記』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 明治天皇御駐輦所寒天製造場阯 〒606-0801 京都市左京区下鴨宮河町   
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