寒天発祥の地 (京都市伏見区)  
Birthplace of Agar
寒天発祥の地 寒天発祥の地
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「寒天発祥の地 伏見區御駕籠町」の石碑






駒札


「御駕籠(篭)町」の町名
 京都市立伏見中学校の正門横に、「寒天発祥の地 伏見區御駕籠町(かんてん-はっしょうのち-ふしみく-おかご-ちょう)」の石碑・駒札が立てられている。
 江戸時代に付近の御駕籠町で寒天の製法が発見されたという。
◆歴史年表 江戸時代、明暦年間(1655-1658)/1658年/正保・万治年間(1644-1661)冬、薩摩藩19代藩主・島津光久が参勤交代の途中で、伏見に宿をとった。御駕籠町の本陣主人・美濃屋太郎左衛門は、寒天の製法を創案したという。(『伏見鑑』)
 1658年、5代目・岡本善右衛門は、寒天を材料に、「練り羊羹」を考案し売り出したという。(総本家駿河屋)
 1712年、寒天は「城州伏見の里にて之盛す」と記されている。(『和漢三才図絵』)
 1765年、寒天屋仲間が結成される。
 1780年、寒天は「元来、伏見にて作初る産物なり」と記されている。(『伏見鑑』)
 天明年間(1781-1789)、伏見に9軒の寒天屋があった。
 近代、美濃屋は御駕籠町に存在していた。(「土地台帳」)
 大正年間(1912-1926)、寒天を材料にした練り羊羹が伏見名物になる。
 現代、2020年、12月27日、有志により碑が立てられた。
◆美濃屋太郎左衛門 江戸時代前期の本陣主人・美濃屋太郎左衛門(みのや-たろうざえもん、?-?)。詳細不明。山城国(京都府)伏見御駕籠町の本陣主人だった。明暦年間(1655-1658)/1658年/正保・万治年間(1644-1661)冬、戸外に捨てた心太(ところてん)が、翌朝に凍っていることに着想を得て、寒天を創案し「瓊脂(ところてん)の干物」と名付け売り出し評判になった。
◆島津光久 江戸時代前期の薩摩(鹿児島)藩主・島津光久(しまづ-みつひさ、1616-1695)。初名は忠元、通称は又三郎。父は家久。薩摩守、大隅守になる。1638年、家督を継承し薩摩鹿児島藩主島津家2代になった。1645年、島津家に伝わる武芸の犬追物を武蔵国王子原で催し、将軍・徳川家光に観覧させた。
 島津久通(ひさみち)、禰寝(ねじめ)清雄を起用した。万治内検を実施し給地の改正を行う。大隅国串良などでの新川の掘削・新田開発、林業・紙漉・茶業の振興、永野・芹ケ野・鹿籠金山を開発した。琉球国八重山島に漂着した呂宋(ルソン)船を長崎に送付した。「寛永大系図」を幕府に献上し、「新編島津氏世録正統系図」を編集させた。79歳。
◆伏見寒天 寒天は日本特産物の低エネルギー食品であり、食物繊維の含有量が全体の80%になる。料理、製菓原料、医薬品、培養基などに使われている。寒天は、江戸時代前期に伏見で発明されたという。
 寒天の前史になる心太(ところてん)は、奈良時代に既に食用にされていた。平安京の東西市でも売られていたという。「こるもは」「こころふと」などと記されている。
 心太は、原料になる海藻の紅藻類である天草(てんぐさ)などを煮溶かす。その煮汁(熱水抽出液)を濾して型に流し入れ、冷やし固めた凝固物になる。
 江戸時代中期に、寒天は「石花采(ところてん)」の項に「城州伏見の里にて之盛す」と記されている。(『和漢三才図絵』、1712年)。また、寒天は「元来、伏見にて作初る産物なり」と記されている。(『伏見鑑(かがみ)』1780年)。
 江戸時代前期、明暦年間(1655-1658)/1658年/正保・万治年間(1644-1661)/万治年間(1658-1661)/1647年の冬に、薩摩藩19代藩主・島津光久が、参勤交代の途中で伏見本陣に休泊した。なお、光久の伏見宿泊の時期については上記のように諸説ある。1657年11月か1月初めの可能性大ともいう。本陣主人・美濃屋太郎左衛門は、天草を煮詰めた心太料理で饗応した。食べ残しを戸外へ捨てて放置した。厳冬の夜間のため、心太は自然氷結し、低温乾燥して鬆(す)の入った乾物になった。
 冬場の屋外で心太は自然凍結・解凍し、天日乾燥により寒天が偶然に生まれた。原料中の水分が凍結状態のままで、蒸発除去され乾燥していた。これらは、現代では凍結乾燥・冷凍乾燥(フリーズ・ドライ)製法と呼ばれている。
 これに着想を得た太郎左衛門は寒天製法を考案したという。当初は「瓊脂(ところてん、心太)の干物」「凍(こおり)瓊脂」と名付けて売り出され評判になる。水に戻して食すると、海藻臭もなく透明で見た目もよかった。
 江戸時代前期、万治年間(1644-1661)に、黄檗宗の開祖・萬福寺の隠元隆琦(いんげん-りゅうき、1592-1673)は、「晒(かんざら)し」による「ところてん」を略して「寒天」と名付けたという。(『伏見鑑』)。「仏家の食用として清浄これにまさるものなし」と評したともいう。  江戸時代中期、1700年代後半/明和・天明年間(1764-1788)/1787年-1788年頃/明和年間(1764-1772)に、摂津国(大阪府)嶋上郡原村城山(現・高槻市塚脇・東城山町付近)の宮田半平は、伏見の寒天製法を習い、郷里(高槻市内の原・塚脇地区)で大規模な製造を始めた。半平は心太の塊を細く麺状にした「細寒天」の工夫を考案し、凍結・乾燥過程を短縮した。
 この地が寒天製造に適していたのは、冬季の寒冷、天草を煮溶かすのに必要な薪・炭の確保、原料の入手・製品出荷に必要な淀川の水運立地があったことによる。一帯は「寒天の里」と呼ばれ海外にも知られた。このため、伏見の寒天作りは次第に衰微していく。
 江戸時代後期、1800年頃に、宮崎でも寒天は製造されていたという。1830年頃/天保年間(1830-1844)に、生産地は信濃国(長野県)諏訪地方に伝わる。諏訪郡穴山村(現・茅野市玉川地区)の行商人・小林粂左衛門は、出稼ぎで訪れた丹波地方(兵庫県)の寒天作りを見て、その製法を故郷に持ち帰り諏訪地方に広めた。近代、1905年に鉄道の中央線が開通したのを契機に、地元の名産品になった。
 近代以降も、大阪府三島郡北部、京都府南桑田郡樫田村(現・大阪府高槻市)、長野県などで生産されていた。現在、国内でも、主な天然寒天(角寒天)の生産地は諏訪地方になっている。伏見での生産は行われていない。
◆天然寒天の製法 ◈海藻加工品である天然寒天製造は、手作業で行うため手間がかかる。気候条件にも左右され、製造時期も限定されている。
 製法は、テングサ科の天草などの原藻を日光に晒して乾燥・漂白する。洗って一晩水につけ、あく抜きをする。大釜で鉄分の少ない水で、70-80℃で煮溶かすと熱水抽出液になる。一晩、釜で蒸し置きし、翌朝濾過する。かすは二番釜でこの工程を繰り返す。粘質液を濾過し、木箱に流し入れ、固めると凝固物の心太になる。
 冬季に木箱を戸外に並べ、1週間程度、寒気(零下5-零下10℃)により自然凍結させ、低温(5-10℃)の日光の下で自然解凍・乾燥の工程を繰り返す。心太は、凍結により寒天質と氷の結晶に分かれ、解凍時に寒天質と水が次第に分離し寒天が完成する。
 寒天は、食物繊維80%が主成分であり、複合多糖類に分類される高分子炭水化物(主成分はアガロース、アガロペクチン)になる。
 ◈現在は、量産可能な工業用寒天(化学寒天)製品が主になっている。
 オゴノリ科の紅藻オゴノリ(於期苔)など、品質の低い海藻を水酸化ナトリウム、塩化カルシウムで処理し、多糖を凝固可能な状態にしている。
◆練り羊羹・駿河屋 室町時代中期、1461年に、初代・岡本善右衛門は、山城国舟戸の庄(伏見区郊外)の船着き場付近で、饅頭屋店「鶴屋」を創業した。
 安土・桃山時代、1589年に、豊臣秀吉(1536-1598)に「紅羊羹(べに-ようかん)」を献上している。鮮紅色の染料である生臙脂(しょうえんじ)で、紅色に染めた白小豆の漉し餡(こしあん)を加え、槽(ふね)に流し固めた。秀吉が開いた大茶会で引き出物として配られ、諸大名の賞賛を受けたという。当時の羊羹は「蒸し羊羹」であり、餡に小麦粉、葛粉などを混ぜて蒸し上げていた。そのため日持ちしなかった。
 江戸時代前期、1610年に店は、徳川頼宣(1602-1671)の転封に伴い駿河藩(静岡県)に移る。さらに、1619年には紀州藩(和歌山県)への転封により、5代目・岡本善右衛門も移った。5代目は、餡を炊き上げた製法による練り羊羹を考案している。
 1658年に、6代目は、当時発見されて間もない寒天を原料に用いて、日持ちの良い煉羊羹が完成した。寒天を煮溶かし、砂糖・小豆などの漉し餡を加え練りながら煮詰め、槽に流し入れて固めた。旧来の「蒸す」から、寒天を用いた「炊き上げる」製法への転換であり、茶菓子として重宝された。
 なお、1685年に、徳川綱吉の娘・鶴姫(1677- 1704)が、紀州藩3代藩主・徳川綱教(1665-1705)と婚姻した。このため店は、同名屋号「鶴屋」を憚り、返上して「駿河屋」の屋号に変えたという。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市の駒札、『京都大事典』、「京都新聞 2020年12月31日付」、「朝日新聞 2021年7月5日付」、ウェブサイト「総本家駿河屋」、「寒天づくり-高槻市インターネット歴史観」、『和菓子ものがたり』、ウェブサイト「高槻 寒天雑話-大阪医科薬科大学」、ウェブサイト「200年前から続く伝統産業天然寒天の魅力を知ろう!-長野県観光機構」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 寒天発祥の地 〒612-8065 京都市伏見区御駕籠町97 京都市立伏見中学校正門脇
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