旧柳原銀行(柳原銀行記念資料館) (京都市下京区) 
former Yanagihara Bank
旧柳原銀行(柳原銀行記念資料館) 旧柳原銀行(柳原銀行記念資料館)
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 崇仁(すうじん)地区の一画に、旧柳原銀行(きゅう-やなぎはら-ぎんこう)の建物が移設保存されている。
 現在は柳原銀行記念資料館(京都市崇仁隣保館資料室)として活用されている。建物は、明治期(1868-1912)後期に建てられた地場銀行の洋風木造建築物として貴重とされている。
◆歴史年表 近代、1899年、6月、合資会社「柳原銀行」(河原町塩小路南西角)が、柳原町町長・明石民蔵ら地元有志により設立された。
 1907年、6月、柳原銀行が上棟した。
 1927年、金融恐慌などの影響を受けて柳原銀行は倒産した。
 現代、1994年まで、旧柳原銀行は商店、借家として使用された。4月、京都市登録有形文化財に指定される。
 1996年10月-1997年10月、現在地に移設され、復元工事が行われた。
 1997年、11月、柳原銀行記念資料館として開館する。
明石民蔵 近代の事業家・政治家・明石民蔵(あかし-たみぞう、1856-1920)。柳原荘・元銭座村(後の京都府紀伊郡柳原町、現・崇仁地区)に生れる。1875年、地租改正に際し、土地測量・評価をする丈量事務に従事する。1884年、村会議員に当選した。 1893年、柳原町長になる。1898年、 町内に「改良同盟期成会」を結成し、教育、衛生普及、風俗改善などに努力する。 1899年、 6月、民蔵ら地元有志は、合資会社「柳原銀行」を設立し、初代頭取に就任した。町内の産業育成、改良事業に努める。 10月 、郡会議員になる。1903年 、「大日本同胞融和会」全国大会に、発起人の1人として参加する。1907年 、「柳原銀行」の新本社建物を建てた。1911年 、「京都皮革株式会社」をつくる。1912年、8月 、「大和同志会」の創立大会に参加する。 11月 、内務省主催の「細民部落改善協議会」で発言し、職業差別、差別事件などを批判した。「大正皮革調帯株式会社」をつくる。1913年 、「京都府同志会」を結成した。1914年、町長に再選される。1915年、町長を勇退した。1916年、 柳原小学校で「関西同志懇談会」を開く。1918年 3月、田中村の田中親友夜学校教育補助頼母子講が経営難に陥り、整理に当たり全財産を失う。1919年、2月 、「同情融和大会」で全国の部落を代表し挨拶した。 差別語使用禁止などを内務省、陸軍省、文部省へ陳情し、京都府議会に全国水平社初代執行委員長・南梅吉らと請願した。3月 、全国の部落代表とともに国会へ「部落改善に関する請願」を提出した。 64歳。
 大和同志会機関誌『明治之光』を支援した。
吉川吉之助 近代の建築家・吉川吉之助(?-? )。詳細不明。西洋建築を体系的に学んではいないと見られている。1907年、柳原銀行を設計した。同年、設立の「稲荷調帯株式会社」の専務取締役を務めたと見られている。
◆建築 ◈旧柳原銀行は、近代、1907年に竣工した。設計は吉川吉之助による。(棟札)。当初は現在地の北西、河原町塩小路南西角にあった。上棟は1907年6月であり、竣工はその年の秋から年末にかけてとみられている。
 京都に建てられた洋風の銀行建築として、近代、1904年の三井銀行、1905年の住友銀行がある。現存建物は、1906年の旧日本銀行京都支店(現・京都文化博物館)、同年の第一勧業銀行京都支店がある。柳原銀行はこれらに次いで古い。全国的に見ても、明治期(1868-1912)の銀行建築の遺構は20 棟未満であり、地場銀行はさらに少ない。
 柳原銀行は、1986年に国道24号線拡幅工事に伴い、買収・解体されることになった。建物保存運動が起こり、1994年4月に、京都市登録有形文化財に指定される。1994年7月-1995年3月に京都市による建物調査が行われた。その後、建物を移築、復元することになる。1995年3月-8月に解体工事、1996年10月-1997年10月に復元工事が行われた。 1997年、現在地に移され柳原銀行記念資料館として開館する。
 平面はほぼ矩形になる。外観はやや簡素であり、細部装飾も様式的になる。外壁は箱目地張り下見(ドイツ下見、溝状に目地をとり横方向に板を張る)になる。1・2階の腰壁部分は竪板張りになっている。2階窓上部にそれぞれに長方形のフィールデッド・パネル(枠中に平らに板を張り、中央部を一段高くする)を配した。縦長窓の建具は木製サッシであり上げ下げ窓になっている。
 北西隅の隅切部だけは切妻で、正面玄関が開く。かつて角地に建てられていたため一角を削いだ。明治期(1868-1912)の金融機関建築にある様式で、角部強調のため主玄関扉の上部、さらにその上の2階窓上部にペディメント(三角破風装飾)が重ねられている。
 南側外壁の一部は煉瓦造になっており、以前にこの敷地に建てられていた建築物の煉瓦壁を再利用したと考えられている。
 内部は、1階に格天井になっており、2階へ続く階段が付けられ、階段手摺の意匠は凝る。
 大工は嶽山亀吉、木造2階一部平屋建、寄棟造、隅切部は切妻、桟瓦葺、建築面積88.58㎡、延床面積164.5㎡、軒高7.66㎡。
 ◈1階は営業室として使用されていた。創建時に復元された。カウンター、照明は現存しておらず、同時期の銀行を参考に復元した。金庫室は、後世に増築されており、扉は同時期の銀行を参考に復元された。
◆柳原銀行  合資会社「柳原銀行」は、近代、1899年6月に柳原町町長・明石民蔵ら地元有志により京都に設立された。被差別部落住民により設立された日本唯一の銀行だった。民蔵は初代頭取になる。銀行は、町内の皮革業者へ融資し、利子は地元小学校の運営資金、道路建設資金に充てた。
 1920年に株式会社に改組される。1921年8月に、「山城銀行」に改称した。1927年9月に金融恐慌などの影響を受けて破産した。
◆柳原銀行記念資料館 柳原銀行記念資料館として、現在は展示室が設けられている。同和地区関係の歴史、文化、生活資料、人権問題史資料などが常設展示されている。
 
原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献  ウェブサイト「柳原銀行記念資料館-京都市」、ウェブサイト「柳原銀行記念資料館-柳原銀行記念資料館運営協議会」、ウェブサイト「京都市内の文化財件数と京都市指定・登録文化財-京都市」、ウェブサイト「銀行変遷史データベース」、『京都の洋館』


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map 旧柳原銀行(柳原銀行記念資料館) 〒600-8206 京都市下京区下之町6-3 phone 075-371-0295 Opening time10:00-4:30 閉館日は月曜日、火曜日、祝・休日、年末年始(12月29日-1月3日)
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