京都市美術館別館(岡崎公会堂跡)・全国水平社創立の地の碑 (京都市左京区)
Annex of Kyoto Kaikan Hall
岡崎公会堂跡 岡崎公会堂跡
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京都市美術館別館、南側正面

南側

南側、正面玄関

南側

南側

南側

南側

南側

南側

北西側


北側


旧岡崎公会堂玄関の西にある碑



【参照】旧岡崎公会堂、京都市の説明板より
 岡崎の京都会館の東に、京都市美術館別館がある。この地にはかつて、岡崎公会堂(おかざき-こうかい-どう)が建てられていた。 
 玄関の西側に「全国水平社創立の地(ぜんこく-すいへいしゃ-そうりつ-の-ち)」の碑が立つ。
◆歴史年表 近代、1917年、6月7日、二条離宮の舞楽殿が岡崎(左京区)に移される。(「京都日出新聞」)。6月、京都市により舞楽殿は岡崎公会堂本館として、岡崎公園内に建設された。市民の集合場所になる。東館もあった。(初代岡崎公会堂)
 1922年、3月3日、本館は、全国水平社創立大会の会場になる。
 1929年、5月、東館が全焼失する。
 1930年、5月、東館(現存の建物)が再建された。(2代目岡崎公会堂)
 1931年、8月、京都市公会堂として建替えられる。その後、京都会館別館として使われた。
 1934年、9月、本館は室戸台風で大破した。(初代岡崎公会堂の消失)
 現代、1945年、9月、終戦後は公会堂(4.721坪)がGHQ(連合国最高司令官総司令部)に接収された。   
 1952年、10月、接収解除になり、再び公会堂として使用される。
 1956年、旧公会堂本館跡に京都国際文化観光会館(京都会館)を建設することを計画した。
 1960年、6月、京都会館が開館する。公会堂敷地(1.892㎡)は京都会館別館になる。
 2000年、4月、京都会館別館を改修整備し、京都市美術館別館として改装される。
◆西光 万吉 近現代の社会運動家・西光 万吉(さいこう-まんきち、1895-1970)。男性。本名は清原一隆。奈良県の被差別部落の生まれ。父・被差別寺院・浄土真宗本願寺派西光寺の長男。県立畝傍中学校、京都平安中学校で学ぶ。差別を受けいずれも中退した。1913年、東京の日本美術院で日本画を学ぶ。1917年、卒業は果たせず帰郷した。1919年、郷里で「黒潮会(柏原青年共和団)」を発起し、インドネシア・スラウェシ島移住を目指した。1920年、幼馴染みの阪本清一郎、駒井喜作らと「燕会」を発起し、消費組合部を担当する。「社会主義同盟」に参加した。1921年、佐野学の論文『特殊部落解放論』(雑誌『解放』)に感銘を受ける。「青年同志会」を発足し、年末頃までに、水平社創立趣意書「よき日の為めに」を執筆した。1922年、大阪市内中之島公会堂で水平社創立の旨を宣伝した。岡崎公会堂で全国水平社創立大会を開き、「水平社創立宣言」を発表する。水平社旗の意匠を考案した。1924年、「日本農民組合」常任委員になり、農民運動を指導する。1926年、「労働農民党」の結成に参加した。1928年、「日本共産党」に入党し、三・一五事件で検挙され投獄される。1933年、転向し、仮釈放後は国粋主義の「大日本国家社会党」に入党し、水平社運動とは距離を置く。1939年、奈良県議会議員の補欠選挙に当選した。1941年、妻の郷里である那賀郡田中村(現・紀の川市)に移る。1945年、第二次世界大戦後は独自の「不戦和栄政策」を提起し、国連などに訴え平和運動に取り組む。74歳。
◆阪本 清一郎 近代の社会運動家・阪本 清一郎(さかもと-せいいちろう、1892-1987)。男性。奈良県の被差別部落の生まれ。父・裕福な地主・膠(にかわ)製造業者・清三郎の次男。奈良市立商業学校/成器商業学校で学ぶ。1909年、いとこの坂本清俊らが結成した「柏原青年共和団」に加わり部落改善に参加した。上京し、膠製造のため化学を学ぶ。中国に渡り放浪したともいう。帰郷後、セレベス(スラウェシ)島移住計画を立てた。1920年、西光、駒井喜作らと「燕会」を結成し、部落改革運動に加わる。1921年、佐野学の影響で部落解放運動を構想し、「水平社」と名づけた。1922年、全国水平社創立では経過報告を行い、中央委員になる。1927年、「労働農民党」中央委員になった。1929年、「大和無産統一党」結成の中心になった。1930年、「全国水平社」中央委員会議長に就任する、1931年、舟木医師事件の大衆運動を指導し、その後運動から引退する。1934年、西光らと「国家社会党」の機関紙『街頭新聞』を発刊した。1935年、「協同経済厚生会」を組織し、会長になり部落経済改善に従事する。1945年、敗戦後は「部落解放全国委員会」顧問に就任した。1955年、「部落解放同盟」中央委員、1975年、国民融合を目ざす「部落問題全国会議」代表幹事を歴任した。95歳。
 水平社運動の分裂の回避に尽力した。膠製造も研究、写真フィルムに用いるゼラチンの開発などを行う。
駒井 喜作 近代の社会運動家・駒井 喜作カ(こまい-きさく、1897-1945)。男性。奈良県の被差別部落の生まれ。家は桐材商を営む。大阪自彊学院を中退し、艶歌師になり各地を放浪したという。その後、帰郷し、1920年、西光万吉らと「燕会」を結成する。「日本社会主義同盟」に入る。1921年、10月、自宅に「水平社創立事務所」の看板を掲げ、全国水平社創立の準備を進める。1922年、3月、全国水平社創立大会で「水平社宣言」を朗読した。中央執行委員を務める。1923年、水国争闘事件(下永・水平社と八尾・国粋会の衝突)で、騒擾罪により検挙され服役した。その後、農民運動の指導などにあたる。1932年、刑事事件被告になり長期入獄により運動から離れた。49歳。
◆南 梅吉 近代の社会運動家・南 梅吉(みなみ-うめきち、1877-1947)。男性。滋賀県の被差別部落の生まれ。京都府に住む。青年団長、村議を務めた。部落改善運動を行う。1922年、「全国水平社」初代中央執行委員長に就任した。1924年、警視庁スパイとの親交を理由に罷免される。反共主義を唱え、1927年、「日本水平社」を結成し、不振に終わる。71歳。
 政治家・有馬頼寧(よりやす)、実業家・渋沢栄一から経済的援助を受けたとされる。
◆平野 小剣 近代の社会運動家・平野 小剣(ひらの-しょうけん、1891-1940)。男性。福島県の生まれ。本名は栃木重吉。小学卒後、東京で印刷工として働く。1918年、印刷工組合信友会に加盟し、労働運動に参加した。1922年、「全国水平社」の創立に参加し綱領を起草する。その後、中央執行委員として活躍した。1924年、除名される。アナキスト系の「全水解放連盟」結成に関係した。昭和期(1926-1989)初期、右翼運動家になり、「内外更始倶楽部」幹部になる。軍部と結びつき、1937年-1945年、日中戦争中に大陸浪人になる。49歳。
◆岡崎公会堂 旧岡崎公会堂は、近代、1917年に建てられた。京都市により市民の集合場所(収容人員3000人)として建てられた。左京区岡崎公園内にあり、東館もあった。大正御大典挙行時の下賜金などを資金にした。御大典の際の二条離宮(二条城)内に新築された大饗宴場の一部を移築したという。1934年に本館は室戸台風で大破し、その後、再建されることはなかった。
 1929年に東館は全焼失し、1930年に再建された。これが現存する建物であり、2代目岡崎公会堂になる。現在は、京都市美術館別館として利用されている。
 設計は京都市建築課、鉄筋コンクリート製、青銅葺、入母屋造、2階建。
◆水平社 近代、1922年3月3日に、京都市岡崎公会堂には、全国の被差別部落から3000人/1000人が集い、全国水平社創立大会の会場になった。
 1920年に西光万吉、阪本清一郎、駒井喜作らは、地元の奈良県で「燕会」を結成した。3人は奈良県柏原の被差別部落に生まれ幼馴染として育った。西光は、1921年末頃までに、水平社創立趣意書「よき日の為めに」を執筆する。西光は、京都の南梅吉らと連絡を取り、全国水平社創立の準備を進めていた。
 阪本は「水平社」と名づけ、西光は水平社の団体旗「荊冠旗」の意匠を考案している。西光によって起草された水平社宣言文は、福島県の平野小剣が手を加えた。宣言文には、「水平社はかくして生まれた。人の世に熱あれ、人間に光あれ。」と結ばれている。日本で最初の人権宣言になった。大会の当日、阪本は経過報告を行い、駒井が宣言文を読み上げた。
 石碑は、水平社創立60周年を記念し、現代、1982年に建立されている。

碑文には次のように刻まれている。

 全国水平社創立の地
 建立の辞
 大正十一年三月三日、全国から三千人の部落大衆が、この地、京都市岡崎旧公会堂に集い、歴史的な全国水平社創立大会を開いた。
永い間の差別と屈辱の鉄鎖をみずからの力と団結によって解き放とうとする部落大衆はここに蹶起した。人間の自由と平等を求めてやまないこの炬火はついに燎原の炎となって燃えあがっていった。
 水平社はかくして生まれた
 人の世に熱あれ、人間に光あれ
と結ばれたこの創立宣言は、日本の近代民主化に黎明をもたらす最初の人間宣言の栄誉を担うものとなった。
 それはこの宣言が単に部落解放のみならず、すべての人間の解放を目指す普遍的な原理に根ざしているからである。
 このようにして生まれた解放運動は、幾多の試練と苦難を克服して、今もなお発展継承されている。
 本日、ここに水平社創立六十周年を記念して永く先人の偉業をたたえるとともに、国民的課題として部落差別を解消する決意を表わすため、この碑を建立するものである。
     昭和五十七年三月三日 京都市


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市の説明板、「全国水平社創立の地」の碑文、『京都大事典』、ウェブサイト「国立国会図書館レファレンス事例詳細」、ウェブサイト「奈良県立教育研究所」、ウェブサイト「和歌山県文化情報アーカイブ」、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都の歴史10 年表・事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 京都市美術館別館 〒606-8342 京都市左京区岡崎最勝寺町13   
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