音無滝(音無の滝) (京都市左京区)  
Otonashi waterfall
音無滝 音無滝
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滝の登り口、来迎院の門


律川の流れ


山道の途中にあるカエデ


地蔵尊


山道の途中にあるカエデ


音無滝

音無滝、滝上から見た景色、左から流れ落ちている。


音無滝の滝上の渓谷の流れ


滝近くのカエデ
 音無滝(おとなしのたき)は、大原の小野山の山腹にある。律川の上流、来迎院の東北300mに流れ落ちている。
◆歴史年表 
平安時代後期、良忍(りょうにん、1073-1132)により、滝は音無滝と名付けられたという。
 僧侶・歌人・西行(1118-1190)が歌に詠んだ。
◆良忍 平安時代後期-鎌倉時代前期の融通念仏宗開祖・良忍(りょうにん、1073-1132)。姓は壬生、名は円仁、諡号は慈覚大師。尾張国(愛知県)に生まれた。1083年、比叡山に入る。比叡山の東塔檀那院実報房辺に住した。堂僧になり、良賀に師事し、出家した。禅仁・観勢から円頓戒脈を相承する。山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺・園城寺)との対立を嫌い、山を下りる。1094年、大原に隠棲し、大原・勝林院の永縁らに従い、声明梵唄を学ぶ。その後、常行三昧堂から念仏と読経(声明)を切り離して独立させ、天台声明を統一し大原声明を完成させた。1117年、融通念仏を創始した。1127年、鳥羽上皇(第74代)の勅願により、河内平野に修楽寺の別院(大念仏寺前身、日本初の念仏道場)を開いた。最期は来迎院で没したという。天台大原魚山声明中興の祖。60歳。
 融通念仏は阿弥陀仏の夢告により、「一人の念仏が万人の念仏に通じる」とした。念仏唱える者は自分だけではなく万人のためにも唱え、万人が一人のためにに唱えることで念仏の功徳が高まると説いた。
◆西行 平安時代後期-鎌倉時代前期の真言宗の僧・西行(さいぎょう、1118-1190)。佐藤義清(のりきよ、憲清、則清、範清)、別号は大宝房、大本房、大法房、法名は円位。秀郷流武家藤原氏の出自。父は検非違使・左衛門尉佐藤康清。母は監物(けんもつ)源清経の娘。16歳頃、徳大寺家に仕え、1135年、兵衛尉(左兵衛府の第三等官)に任ぜられる。1137年、鳥羽院(第74代)の下北面(げほくめん)の武士になる。1140年、妻子を捨てて出家し、円位、後に西行とも称した。鞍馬山、1141年、東山の双林寺、長楽寺などに草庵を結んだ。1144年頃/1147年、奥羽、1149年頃、高野山に庵を結ぶ。1156年、鳥羽法皇の葬送に参り、保元の乱に敗れ仁和寺に籠った崇徳上皇に参じた。1168年/1167年/仁安年間(1166-1169)、讃岐の崇徳院の墓陵参拝、弘法大師の遺跡巡礼を目的とし、中四国を巡る。1172年、平清盛主催の千僧供養に参加した。その後、高野山で聖生活に入り上人になる。1177年、高野山の蓮華乗院の移築に関わる。治承年間(1177-1181)、伊勢国二見浦に移る。神祇信仰を深め、内宮祠官荒木田氏と交わった。1186年、俊乗房重源に委嘱され、東大寺再建のため平泉での砂金勧進を奥州藤原氏に行う。この2度目の奥州、伊勢国の漂泊で多くの歌を詠む。途中、鎌倉で源頼朝に初対面する。1189年、河内国・弘川寺(大阪府河南町)に庵を結ぶ。弘川寺で亡くなる。73歳。墓は弘川寺にある。
 和歌に秀でた。平清盛、平忠盛、平時忠、待賢門院、崇徳院、徳大寺実能らと交わる。大原三寂(寂念、寂然[藤原為業])、寂超)、藤原俊成、待賢門院堀河、上西門院兵衛と親しくした。家集に『山家集』、勅撰集の『千載集』、『新古今和歌集』には94首が入集。恋歌が多く鳥羽上皇皇后との禁断の恋に破れたともいう。桜を愛で多くの歌を残した。故実に通じ、武芸、蹴鞠も秀でた。
◆音無滝
 音無滝は、小野山から流れ下る白糸の滝であり、小野の大滝、一ノ滝ともいう。上流には二ノ滝、三ノ滝がある。
 音無滝は、良忍(りょうにん、1073-1132)により名付けられたという。来迎院で声明をあげた際に、梵唄の声に滝の音が同調し、滝の音が消えたという。また、滝音に声明が乱されるのを嫌い、呪文により消したともいう。
 音無滝は歌枕になっている。僧侶・歌人・西行(1118-1190)は、「小野山の 上より落つる 滝の名の 音無しにのみ 澪るる袖かな」(『夫木抄』)と詠んだ。
 『源氏物語』第39帖「夕霧」巻では、落葉の宮は、亡夫の親友・夕霧の求愛を受ける。落葉の宮は、自らの涙を滝になぞらえ、「朝夕になく音をたつる小野山は絶えぬ涙や音無の滝」と詠む。
◆呂川・律川 来迎院の南に呂川(りょせん)、北に律川(りつせん)が流れている。二線を合わせて「呂律川」という。水源は小野山にあり、三千院境内の南北を挟んで流れ大原川に合流している。
 「呂律(ろれつ)」、「呂律が回らない」の「呂律」の語源とされている。この呂律は、声明の音律に因んでいる。雅楽の「呂律(りょりつ)」では、「言葉の調子」を意味し、「呂(りょ)」と「律(りつ)」の音階が合わないことを「呂律が回らない」と表現した。後に、「言葉がはっきりしないこと」も意味した。
 雅楽の「呂の音律(呂旋法)」は、音階の「宮」、「商」、「角」、「徴(ち)」、「羽(う)」の5声に「変徴」、「変宮」の2音を加えた7声になる。相対的音程関係はソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファの形になる。
 律の音律(律旋法)は、音階の「宮」、「商」、「角」、「徴(ち)」、「羽(う)」の5声に「嬰商(えいしょう)」、「嬰羽」の2音を加えた7声になる。相対的音程関係はレ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの形になる。


*滝への山道は分かり易く、20-30分ほどの坂道が続きますが歩きやすいと思います。なお、周辺に人家はありません。
*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都大事典』、『昭和京都名所図会 3 洛北』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 音無滝 〒601-1242 京都市左京区大原来迎院町
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