蓮成院 (京都市左京区大原)  
Renjo-in Temple
蓮成院 蓮成院
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 音無の滝に向かう急峻な坂道の途中、石垣上に蓮成院(れんじょういん)はある。来迎院の塔頭になる。
 天台宗。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代
後期、良忍(りょうにん、1073-1132)の開基によるという。かつて来迎院内にあったという。また、三千院内にあり「北ノ坊」と呼ばれたともいう。
 近代、1926年、現在地に移転する。近代以降は、蓮成院、浄蓮華院、善逝院、遮那院などの境内塔頭の総称だった来迎院の名は、来迎院本堂の尊称になった。
◆良忍
 平安時代後期の融通念仏宗開祖・良忍(りょうにん、1073-1132)。追諡は聖応大師。尾張国に生まれた。1083年、比叡山に入る。比叡山の東塔檀那院実報房辺に住した。堂僧になり、良賀に師事、出家した。禅仁・観勢から円頓戒脈を相承する。山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺・園城寺)との対立を嫌い、山を下りる。1094年、大原に隠棲し、大原・勝林院の永縁らに従い、声明梵唄を学ぶ。その後、常行三昧堂から念仏と読経(声明)を切り離して独立させ、天台声明を統一し、大原声明を完成させた。1117年、融通念仏を創始した。1127年、鳥羽上皇(第74代)の勅願により、河内平野に修楽寺の別院(大念仏寺前身、日本初の念仏道場)を開いた。1132年、来迎院で没したという。天台大原魚山声明中興の祖。
 融通念仏は阿弥陀仏の夢告により、「一人の念仏が万人の念仏に通じる」とした。念仏唱える者は自分だけではなく万人のためにも唱え、万人が一人のためにに唱えることで念仏の功徳が高まると説いた。
◆守脩親王 江戸時代末期-近代の皇族・梨本宮(なしもとのみや)初代・守脩親王(もりおさ しんのう、1819-1881)。幼称は万代宮。伏見宮貞敬親王の第10王子。母は不詳。伏見宮邦家親王の弟。1833年、親王宣下を受け、守脩と命名された。円満院に入り、出家し覚諄入道親王と称した。1856年、二品に叙せられる。1859年、円融院に入る。梶井門跡になり、昌仁入道親王に改めた。天台座主も務めた。1868年以降、還俗し、梶井宮守脩親王を名乗る。1869年、上野太守に任ぜられる。1870年、宮号を梨本宮に改称した。
 継嗣が無く、山階宮晃親王の王子・甥の菊麿王を養子にした。
 墓は泉涌寺内(東山区)にある。
◆建築 方丈、客殿がある。
 「客殿」は、江戸時代後期-近代の昌仁法親王(1819-1881)の仮御殿として、当初は三千院内に建立された。1926年、宸殿再建に伴い移築された。
◆障壁画 方丈に近代の日本画家・鈴木松年(すずき しょうねん、1848-1918)、客殿に川村曼舟(かわむら まんしゅう、1880-1942)、玄関に川北霞峰(かわきた かほう、1875-1940)の障壁画がある。
◆庭園 池泉式庭園がある。池、刈込、石、築山などで構成されている。


*非公開
*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 蓮成院 〒601-1242 京都市左京区大原来迎院町539  075-744-2161 
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