晃親王墓 (京都市東山区)  
grave of Prince Akira
晃親王墓 晃親王墓
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入口








鳥居


この付近に墓がある。



 泉涌寺の塔頭・龍雲院の参道途中、南側に江戸時代後期-近代の皇族・晃親王墓(あきら-しんのう-はか)がある。
◆歴史年表 近代、1898年、2月17日、晃親王墓は亡くなる。2月25日、自宅で神葬祭が行われる。現在地に墓が造営され葬られた。
◆山階宮晃親王 江戸時代後期-近代の皇族・政治家・山階宮晃親王(やましなのみや-あきら-しんのう、1816-1898)。幼名は静宮(しずのみや)。初名は清保(きよやす)。伏見宮邦家親王の第1王子。母は藤木寿子。1817年、2歳で勧修寺門跡を相続し、1823年、光格上皇(第119代)の養子になり親王宣下を受けた。1824年、8歳で得度し済範(さいはん)に改めた。勧修寺を相続する。1829年、東大寺186代別当。1841年、叔母・幾佐宮隆子女王と西国に出奔する。1842年、伏見宮家から追放される。親王・門跡を剥奪され、東寺院家・真性院で蟄居に処せられる。1858年、許され、勧修寺に帰住する。1863年、島津久光ら公武合体派は、親王の政治参画を求め、第121代・孝明天皇に還俗を願い出た。1864年、勅命により還俗を許された。山階宮の宮号を与えられ、親王宣下を受ける。晃に改め、国事用掛に任命された。1866年、延臣による二条斉敬、朝彦親王罷免、諸侯会議の開催を求める列参奏上を支持した。このため、蟄居に処せられた。1867年、許され、王政復古の政変の後、議定に就任する。外国事務総督、後に外国事務局督を兼任した。1868年、免ぜられる。東京遷都に反対する。1871年、華族東京在住奨励後も、1877年、京都転居が認められた。 
 第122代・明治天皇の名代を務めた。篤く仏教信仰する。酒、茶道、琵琶に親しむ。茶会、歌会を催した。茶舗老舗「一保堂」を命名した。2代に菊麿王(きくまろおう)がいる。83歳。
 墓は泉涌寺塔頭・雲龍院(東山区)にある。髪歯塔は勧修寺墓地(山科区)にある。
◆墓 墓を正面から見ることはできない。墓は西面している。鳥居の背後に円墳がある。
 2月17日、親王は亡くなる。親王自らは、葬儀を仏教式で行うようにと遺言した。宮内省は難色を示し、枢密院で審議が行われる。2月25日に、自宅で神式の神葬祭が行われている。泉涌寺塔頭・雲龍院に埋葬された。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『写真集 近代皇族の記憶』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 晃親王墓 〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町36
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