後花園天皇 後山国陵 (京都市右京区京北)  
Imperial mausoleum of Emperon Gohanazono
後花園天皇 後山国陵 後花園天皇 後山国陵
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光厳天皇山国陵、後花園天皇後山国陵、後土御門天皇分骨所
 常照皇寺の北東に、室町時代の第102代・後花園天皇(ごはなぞの てんのう)の後山国陵(のちの やまくに の みささぎ)、室町時代の後土御門天皇の分骨所がある。
 鎌倉時代-南北朝時代の北朝初代・光厳天皇(こうごん てんのう)の山国陵(やまくに の みささぎ)に近接している。
◆歴史年表 室町時代、1470年、12月27日(新暦1月18日)、第102代・後花園天皇が仮御所の左大臣・二条政嗣の室町第で亡くなる。
 1471年、1月3日、後花園天皇の遺骸は、悲田院(上京区)で火葬にされた。本堂前に埋骨される。2月5日、遺言より遺骨は常照皇寺の後山、光厳天皇陵の傍に納められた。陵上には宝篋印塔が立てられている。 
 1500年、9月、後土御門天皇が亡くなる。その後、内裏黒戸に遺骸が44日間安置された。後、泉涌寺で火葬にされ、深草十二帝陵(法華堂)に納められた。その後、この地の分骨所に分骨される。
 江戸時代、1867年、「文久の修陵」で、この地は「光厳帝後花園帝山国陵」として修補された。
 近代、1869年、陵名は後山国陵に改められる。
後花園天皇 室町時代の第102代・後花園天皇(ごはなぞの てんのう、1419-1470)。彦仁(ひこひと)。後文徳(ごもんとく)院、後花園院。法名は円満智。伏見宮3代貞成(さだふさ)親王(後崇光院贈天皇)の第1皇子、母は庭田経有(つねあり)の娘・敷政門院(ふせいもんいん)幸子(こうし)。北朝の崇光天皇の曾孫。兄に一休宗純。1428年、第101代・称光天皇は病死し、天皇に嗣子がなかった。後小松上皇(第100代)の猶子として、将軍・足利義教に嗣立された。義教は朝廷に介入した。1429年、即位し、後小松上皇は院政を執る。皇位は持明院統嫡流の崇光天皇流に復帰した。1433年、後小松上皇没後、親政を開始した。1438年、永享の乱で治罰綸旨の発し朝敵制度が復活する。以後、天皇の政治的権威は上昇する。1441年、嘉吉の変で赤松満祐の討伐に治罰綸旨(ちばつ りんし)が出される。1444年、弟・伏見宮貞常王(さだつねおう)に親王宣下を行う。1464年、皇太子・成仁(ふさひと)親王(第103代・後土御門天皇)に譲位し、院政を敷いた。1461年、大飢饉の中で山荘造営した将軍・足利義政に漢詩を贈り戒めた。1467年、応仁・文明の乱(1467-1477)で、畠山政長への治罰綸旨が乱の発端になり、恥じ仮御所で密かに出家した。後土御門天皇とともに左大臣・二条政嗣の仮御所の室町第に移り、ここで没した。
 足利義満の皇位簒奪未遂以後の皇権を回復した。人々の救済のために、心境経書写し、醍醐寺三宝院・義賢に命じて供養させた。和歌・管弦、和漢に通じた。『御製和歌集』、成仁親王に心得を記した「後花園院御消息」、日記『後花園院御記』がある。
 陵墓は後山国陵(右京区京北)にある。火葬塚は大応寺(上京区)境内に山形、空堀がある。分骨所は、般舟院陵(上京区)域内に宝篋印塔、金剛寺内(大阪府河内長野市)にもある。
◆後土御門天皇 室町時代後期の第103代・後土御門天皇(ごつちみかど てんのう、1442-1500)。成仁(ふさひと) 。第102代・後花園天皇の第1皇子。母は藤原孝長の娘・嘉楽門院信子 。1457年、親王宣下。1458年、元服した。1464年、践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)する。1465年、即位した。1466年、大嘗会を行い、中世最後になる。1467年、応仁・文明の乱(1467-1477)が起こる。8月、戦乱により室町第が仮御所になる。1479年、土御門内裏へ移る。1471年、親政が開始した。禁裏領荘園の押領により財政は窮迫し、天皇は退位宣言を5回も発した。
 後土御門天皇以来、天皇の終身在位が定着する。有職故実の研究、朝儀再興も奨励した。吉田兼倶の神異密奏に勅許を与えた。和歌、連歌に優れ、歌集に『紅塵灰集』がある。
 没後、葬儀費用が捻出できず、内裏黒戸に遺骸が44日も置かれた。陵墓は深草北陵(伏見区)にある。分骨所(右京区京北)がある。
◆陵 同一敷地内に、2陵1分骨所がある。
  ◈敷地の北東に円丘の光厳天皇山国陵がある。
 ◈その西に宝篋印塔が立ち、後花園天皇後山国陵になる。1470年、12月27日(新暦1月18日)、第102代・後花園天皇が仮御所の左大臣・二条政嗣の室町第で亡くなる。1471年、1月3日、後花園天皇の遺骸は、悲田院(上京区)で火葬にされた。1月9日、拾骨される。本堂前に埋骨され、その上に山茶花が植えられた。火葬地は土を封じ植樹された。2月5日、遺言により遺骨(歯、仏舎利1粒)は常照皇寺の後山、光厳天皇陵の傍に納められた。後花園天皇が光厳天皇を慕い、その遺命に従う。陵上には宝篋印塔が立てられる。以後、陵は常照皇寺により祭祀された。江戸時代、1867年の「文久の修陵」では、「光厳帝後花園帝山国陵」として修補された。近代、1869年に陵名は現在の後山国陵に改められる。 
  ◈西端に方丘の後土御門天皇分骨所がある。室町時代、1500年、9月、後土御門天皇が亡くなる。その後、内裏黒戸に遺骸が44日間安置された。後、泉涌寺で火葬にされ、深草十二帝陵(法華堂)に納められた。その後、この地の分骨所に分骨される。


北6・100 後小松天皇(在位:1382-1412)→101 称光天皇(在位:1412-1428) →102 後花園天皇(在位:1428-1464)→103 後土御門天皇(在位:1464-1500)→104 後柏原天皇(在位:1500-1526)


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『図説天皇陵』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 後花園天皇後山国陵・後土御門天皇分骨所 〒601-0313 京都市右京区京北井戸町丸山
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