新村出旧宅・木戸孝允公邸遺構 (京都市北区)  
The former residence of Shinmura,Izuru
新村出旧宅・木戸孝允公邸遺構 新村出旧宅・木戸孝允公邸遺構
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 北区の紫明通南に「木戸孝允公邸遺構 (きど-たかよし-こうてい-いこう) 新村出博士旧宅(しんむら-いずる-はかせ-きゅうたく)」の石標が立つ。
 この地には、近現代の言語学者・国語学者・新村出の旧宅があった。母屋は近代の政治家・木戸孝允の旧邸の一部を移築している。
 新村の蔵書は新村出記念財団により、「重山文庫(ちょうざん-ぶんこ)」として管理・公開されている。  
◆歴史年表 近代、1868年、政治家・木戸孝允は、鴨川西畔の近衛家下屋敷(中京区末丸町)を買い取り京都別邸にする。
 1920年4月より、言語学者・国語学者・新村出の一家は、一時、旧木戸孝允邸に住んでいる。
 1923年、出は木戸家より旧木戸邸の一部だった平屋の母屋を譲り受けた。5月、現在地(上京区[現・北区]小山中溝町19番地)への移築が始まる。 12月、出一家は定住する。
 現代、1963年、8月、出はこの地で亡くなった。
 1981年、5月、現在地に現代の言語学・日本語学研究を支援することを目的とし、公益財団法人「新村出記念財団」が設立された。
 1988年、9月、石標が立てられた。
 2013年より、財団は一般財団法人になる。
◆木戸孝允 江戸時代後期-近代の政治家・木戸孝允(きど-たかよし/こういん、1833-1877)。本姓は和田、通称は桂小五郎(かつら-こごろう)、貫治、準一郎、号は松菊(しょうぎく)、木圭、竿鈴(干令)、変名は新堀松輔、あだ名は逃げの小五郎など。萩(山口県)の生まれ。長州萩藩医・和田昌景の次男。1840年、桂九郎兵衛(孝古)の養子になる。1849年、吉田松陰の門下になった。1852年、江戸に出て剣術・斎藤弥九郎の練兵館(神道無念流)に入り塾頭になる。後、江川太郎左衛門から洋式砲術を学ぶ。蘭学、造船術も学ぶ。水戸、越前、薩摩などの尊攘派と交わった。1860年、井伊大老の暗殺直後に、長州藩の軍艦・丙辰丸船上で水戸藩士・西丸帯刀らと「丙辰丸盟約」を結び、尊王攘夷に加わる。1862年、藩命により京都・長州藩邸へ入り情報収集を行う。1863年、8月18日の政変後に京都に潜伏した。1864年、6月、新撰組による池田屋襲撃では難を逃れた。7月、蛤御門(禁門の変)を防ぐことができず、但馬・出石に潜伏する。1865年、一旦、長州に帰藩した。1866年、長州藩代表として、京都・薩摩藩邸で坂本龍馬の立会により薩摩藩・西郷隆盛らと「薩長同盟」を結ぶ。1867年、長州藩を訪ねた大久保利通、西郷らと討幕挙兵を協議した。 1868年、新政府の太政官に出仕し、参与になる。由利公正、福岡孝弟らと「五箇条の御誓文」の起草に関与した。1869年、版籍奉還建白の実現に関わる。1870年、新政府の参議になる。1871年、西郷とともに廃藩置県の断行に関与した。開明急進派を主導し、漸進派の大久保と対立する。米欧遣外使節団(特命全権大使・岩倉具視)の全権副使として大久保、伊藤博文らと米欧視察する。木戸は諸国の憲法・法制を担当した。1873年、帰国後、憲法制定を建言した。西郷、板垣退助らの征韓論に対し、内治派(大久保、岩倉、木戸)らは、国力が充実していないとして反対し、西郷を下野させた。木戸は大久保の独裁政権成立後は大久保を批判した。1874年、富国強兵政策の台湾出兵(征台の役)の、征台論に反対し参議を辞する。1875年、一時、大久保らの政府主流派に妥協し政府に復帰する。第1回地方官会議(大阪会議)の議長になる。再び、大久保主導への不満から、1876年、辞職した。1877年、西南戦争の最中に京都で病没する。44歳。
 「維新三功臣(ほかに西郷隆盛、大久保利通)」の一人。勝海舟、坂本龍馬、横井小楠ら開明派とも親交があった。
 墓は霊山護国神社内墓地(東山区)にある。
◆新村出 近現代の言語学者・国語学者・新村出(しんむら-いずる/いづる、1876-1967)。号は重山(ちょうざん)。山口の生まれ。山口県令・関口隆吉(せきぐち-たかよし)の次男、母は静子。1881年、父が元老院議官になり、家族で東京に移る。1887年、静岡県尋常中学校に入学した。1889年、父が列車衝突事故により急逝し、新村家の養子になる。養父・新村猛雄は徳川慶喜の家扶(かふ)だった。1892年、 第一高等中学校に入学した。1896年、 東京帝国大学文科大学博言学科に入学する。教授・上田万年(かずとし、1867-1937)、フロレンツに師事した。言語学を学ぶ。1898年、上田らと言語学会を創立した。1899年、東京帝国大学文科大学を卒業し、東京帝国大学大大学院に入学した。1900年、『言語学雑誌』(-1902)を創刊した。東京帝大学文科大学助手になる。1902年、東京高等師範学校教授になる。1904年、東京帝国大学大大学院国語学専攻を退学する。東京帝国大学助教授を兼任した。1907年、京都帝国大学文科大学助教授になる。言語学研究のため、ドイツ・イギリス・フランスに留学する。1909年、帰国し、京都帝国文科大学教授に就任し言語学科を創設した。以後、定年まで言語学講座を担当した。1910年、『藝文』(-1931)を発刊した。文学博士の称号を得る。1911年、京都帝国大学付属図書館館長になる。1916年、京大言語学研究会を組織した。1919年、京都帝国大学文学部教授に移る。1923年、上京区(現・北区) 小山中溝町に定住する。1928年、帝国学士院会員に推された。1931年、吉沢義則と近畿方言学会を起こす。1932年、外来語研究会を創立した。1935年、講書始めに国書『和名類聚抄』を進講する。1936年、京都帝国大学を定年退官し、名誉教授になる。正三位勲一等瑞宝章を受賞した。1937年、日本音声学協会会長に就任した。1938年、日本言語学会を創立し会長になる。1941年、日本方言学会会長、1942年、日本民族学協会会長、大東亜学術協会会長、1947年、京都文化院が発会し院長になる。1950年、日本ダンテ学会会長、1953年、 日本エスペラント学会顧問になった。1956年、文化勲章、京都名誉市民に賞される。1960年、谷崎潤一郎夫妻が来訪した。92歳。
 師・上田万年とともに西洋言語学理論を日本に紹介し、日本の言語学・国語学を確立した。国語史、日本語語源、中世日本語、比較言語学、外来語、南蛮文化・キリシタン、典籍研究などに業績を残した。国語審議会、国宝保存会などの各種委員・会長なども務めた。文化史学者、随筆家としても活躍した。長らく京都大学附属図書館長を務めた。主著『南蛮更紗』 (1924) 、『東方言語史叢考』(1927) 、『東亜語源志』(1930)、『琅玕記 (ろうかんき) 』 (1930) 、『日本吉利支丹文化史』 (1940) 『新村出全集』 15巻(1971-1973) など多数ある。辞書『辞苑』(1935)、その増補版になる国語辞典・百科事典的な『広辞苑』(1955)の編者になる。佐佐木信綱、川田順、柳田国男、谷崎潤一郎、土岐善麿、徳川国子、高峰秀子らと親交があった。
 出の京都での住居は、1909年5月から2カ月ほど東三本木の旅館「信楽(しがらき)」、その後、9月より一家は新烏丸通の下切通(しものきりとおし)、1920年より土手町の旧木戸孝允邸、下鴨神社西の松原町を経て、1923年12月より上京区(現・北区)小山に移っている。
 墓は妻・豊子とともに本能寺(下京区)にある。
◆建築 近代、1869年に、政治家・木戸孝允(1833-1877)は、鴨川西畔にあった近衛家下屋敷(土手町丸太町下ル、中京区末丸町)を買い取る。京都別邸として使い終焉の地になった。
 1920年4月より、新村家は旧木戸孝允邸に一時住んでいる。1923年に出は木戸家より旧木戸邸の一部だった平屋の母屋を譲り受けた。同年5月に現在地(上京区[現・北区]小山中溝町19番地)への移築が始まる。木戸孝允と出の父・関口隆吉は、同郷であり幕末期に剣道場同門だった。1876年、県令だった隆吉は木戸の生地での士族反乱、萩の乱を治めたという縁もあった。
 1923年12月に旧木戸邸の移築が完成し、以後、新村家は定住するようになる。出は岩波書店『広辞苑第一版』(1955)などの編纂を旧邸で行い、この地で亡くなった。
 旧木戸邸は新村邸の1割余りの面積を占める。新村邸は東西に長い長方形で、南側に養母の隠居所、台所、風呂、居間、北側に書斎、応接間があった。北西端に一部増築の書庫があった。2階建、284㎡。
◆重山文庫 新村出の蔵書の一部は、「重山文庫(ちょうざん-ぶんこ)」として公開されている。公益財団法人「新村出記念財団」が保全・公開を行っている。言語学、国語、国文学関係の文献が中心になる。
 出の雅号から重山文庫の名が付けられた。新村出の「出」とは、実父の前任地の山形から、次の転任地の山口県で出が生れたことから、両地の「山山」を重ねて「出」と名付けられたという。 
 1876年10月に、出は佐原の漢学塾に入る。宗徧流の茶道人・中村知常は、「出」の字が「山山と重ねている」ことから、「重山(ちょうざん)」の号を授けた。重山とは、天台の「止観」に出典があり、朗読・謡曲「班女(はんじょ、狂女物)」などにも「月重山に云々」と出ているという。
 重山文庫の蔵書は、主に新村出の手稿、収集した図書・資料・国語学・言語学に関連した1万3000冊(貴重文献・指定文献、普通文献)がある。特殊コレクション(イソップ関係、南蛮キリシタン関係、洋学関係、聖徳太子関係、和紙・染色、限定本)、伊曽保物語関連自筆ノート、新村出宛書簡 、寿岳家の人びととの間の書簡、自筆書簡などがある。
 なお、 大阪市立大学図書館の新村文庫 にも7579冊が寄贈されている。
◆植物 庭内には四季折々の花が咲く。ツバキ(1月)、ロウバイ(2月)、レンギョウ(3月)、イチリンソウ(4月)、クリスマスローズ(4月)、シャガ(月)、ヤマブキ(4月)、タイサンボク(5月)、ビワ(5月)、スイレン(6月)、スカシユリ(6月)、ガクアジサイ(6月)、ニチニチソウ(8月)、スイフヨウ(9月)、ホトトギス(10月)、モミジ(11月)、サザンカ(12月)、ナンテン(12月)がある。
 「咲き匂ふ泰山木の木の間より透きて見えくる初夏の青空」(新村出)。泰山木(タイサンボク)は北庭に植えられ、庭を象徴する樹木だった。


*資料閲覧、見学ともに要事前連絡。
年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、ウェブサイト「一般財団法人 新村出記念財団」、『新村出「わが学問生活の七十年ほか」』、『新編 琅玕記 』、『広辞苑はなぜ生まれたか-新村出の生きた軌跡』、『京都大事典』、「朝日新聞2021年4月1日付」、ウェブサイト「コトバンク」


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