小督塚 (京都市右京区)
grave of Kogo
小督塚 小督塚
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小督塚


渡月橋北詰東にある「琴きき橋跡」




渡月橋北詰西にある車折神社嵐山頓宮、 架かっている石橋は、「琴聴橋」「駒留橋」という。
 嵯峨天龍寺芒ノ馬場町に小督塚(こごう づか)ある。
 平安時代末期の女性・小督はこの地に身を隠したという。仮住居もこの小督塚付近に建てられていたという。謡曲「小督」の旧跡とされる。
◆歴史年表 鎌倉時代、1205以降?、小督が亡くなる。
 江戸時代初期、小督塚は立てられたともいう。
 1691年、俳人・松尾芭蕉も塚を訪ねている。落柿舎より嵯峨野を訪れた。
 現代、昭和30年代(1955-1964)、女優・浪花千栄子は、化野の石塔の一つを移して塚に改めたという。 
◆小督局  平安時代後期-鎌倉時代前期の女官・小督局(こごう-の-つぼね、1157-1205以降?)。小督。桜町中納言・藤原成範の娘。美貌と琴の名手として知られた。第80代・高倉天皇中宮・建礼門院徳子(平清盛娘)の侍女になる。平清盛娘婿・冷泉隆房の愛妾で、後に高倉天皇の寵愛を受けた。隆房は自死する。中宮の父・平清盛は怒り、宮中より小督を追放する。呼び戻された小督は、隠し部屋に潜み、1177年、天皇との間に範子内親王を産む。清盛により再び追放され、嵯峨野に隠棲した。清盛は天皇を退位させる。1181年、天皇没後、小督は御陵のある清閑寺に移り、菩提を弔ったという。また、清盛により清閑寺に追放されたともいう。御陵の傍らに墓という宝筐印塔が立つ。
 悲哀は『平家物語』巻六、『たまきはる』、能「小督」にも取り上げられている。小督は嵯峨野に隠れ住む。天皇の命を受け探していた北面の武士・源仲国(みなもと の なかくに)は、琴の音を頼りに居所を尋ねた。小督は天皇のもとへ戻るが、中宮より先に子を宿したとして、清盛は小督を清閑寺に送り出家させる。天皇は憔悴し早世する。
◆浪花千栄子 近現代の女優・女優・浪花千栄子 (なにわ-ちえこ、1908-1973)。南口 キクノ、香住千栄子。大阪の生まれ。両親と死別し、9歳で大阪道頓堀で女中奉公、造り酒屋に奉公する。独学で文字を覚えた。1928年、新潮座に入り、大阪弁天座が初舞台になる。1930年、渋谷天外と結婚し、松竹家庭劇に入団する。1950年、離婚し退団した。1951年、NHKラジオ「アチャコの青春手帖」に出演、1954年より、「お父さんはお人好し」で花菱アチャコと共演した。1953年、溝口健二監督の映画「祇園囃子」でブルーリボン賞助演女優賞を受賞した。1954年、映画「二十四の瞳」「女の園」に出演する。毎日映画コンクール女優助演賞を受賞した。1957年、映画「大阪物語」、1958年、映画「喜劇・駅前旅館」に出演する。大阪府なにわ賞を受賞する。1959年、映画「花のれん」出演した。1963年、第1回NHK放送文化賞を受賞した。自叙伝『水のように』。65歳。
◆小督塚 小督塚には、現在は小五輪石塔が立つ。塚は、江戸時代初期に立てられたともいう。江戸時代、1691年に俳人・松尾芭蕉(1644-1694)も訪ねている。落柿舎より嵯峨野を訪れていた。ただ、この時は、桜の木が1本だけ植えられていたという。「うきふしや竹の子となる人の果」と詠んでいる。
 昭和30年代(1955-1964)、女優・浪花千栄子(1907-1973)は、化野の石塔の一つを移して塚に改めたという。付近で旅館を営んでおり、塚が荒れていたため惜しんで整備したという。
◆小督局の史跡 小督に関しては、京都市内にいくつかの史跡が残る。
 渡月橋北詰東にある「琴きき橋跡」、渡月橋北詰西の車折神社嵐山頓宮に架かる石橋は「琴聴橋」という。法輪寺(西京区)に「小督の経塚」といわれるものがある。常寂光寺(右京区)には、高倉天皇より贈られたという「車琴」が伝わる。
 ◈「琴きき橋跡」は、美しく琴の名手だったという小督の弾く調べを、探していた仲国が聞いたという橋跡に立つ。
 仲秋の夜、嵯峨野で仲国が笛を吹くと、「想夫憐(恋)」の美しい調べがかすかに聞こえてくる。音のする処に進むと、粗末な小屋が建っており、小督が隠れ住んでいたという。
 石標の側面に書かれている歌「一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に ひかれて来にけん望月の袖」。
 
◈車折神社嵐山頓宮は、近代、1934年に建立された。三船際のために使用されている。
 前に架かっている石橋は、「琴聴橋」「駒留橋」といわれ、仲国が小督の調べを聴くために、馬の足を止めた場所ともいう。当初は木橋が架かっていた。その後、三条通の拡張工事に伴い橋が移された。長さ、幅ともに3m。「明治十三年(1880)改築」と刻まれている。
 ◈清閑寺(東山区)には、小督供養塔(宝筐印塔)が立つ。高倉天皇陵傍らにも小督局墓と伝えられる墓がある。寺には小督愛用の「琴」「硯箱」がある。
 小督は建春門院の女房・健寿御前と交流があった。御前は藤原定家の姉であり、晩年、定家も嵯峨の宿所に病の小督を見舞った。
◆能 能「小督」がある。高倉天皇の寵愛を受けた小督の局は、琴の名手として知られた。小督は、中宮の父・清盛の怒りを買ったことを知り身を隠した。以来、天皇は嘆き悲しむ。天皇は、8月15日の夜更けに源仲国を勅使として遣わし、嵯峨野にあるという小督の棲家を探させた。
 仲国は馬に乗り探し回る。ある家より琴の音がもれ聞こえてくる。それは、小督の弾く琴の音であり、夫を想い恋うという「想夫恋」の曲だった。仲国が天皇の御書を授けると、小督は涙ながらに返書をしたためた。仲国はそれを携え都へと帰っていく。
◆文学 谷崎潤一郎『細雪』に、小督局の墓所を右に見たと記されている。
 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都大事典』、『京都隠れた史跡100選』、『歴史散歩 京に燃えた女』、『おんなの史跡を歩く』、『京を彩った女たち』『平安の都』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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小督塚 〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町3-47 
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