法輪寺 (京都市西京区)
Horin-ji Temple 
法輪寺 法輪寺
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参道に架かる轟橋


山門





参道の石段


本堂、本尊の虚空菩薩の傍に持国天、多聞天立像を安置する。堂の後方に小督の石塔がある。


本堂













多宝塔










鐘楼




電電宮社


電電宮社
 法輪寺(ほうりんじ)は嵐山の虚空蔵山中腹にある。眼下に桂川の流れ、遠く北山、東山の山並みも見渡すことができる。「十三まいり」で知られる。
 「虚空蔵(こくうぞう)法輪寺」「嵯峨虚空蔵」「嵯峨の虚空蔵さん」とも呼ばれている。山号は智福山という。かつて山号は木上山、日照山とも呼ばれていた。
 真言宗五智教団、本尊は虚空蔵菩薩(嵯峨虚空蔵)を安置する。 
 虚空菩薩(三十三回忌)は京都十三仏霊場めぐりの第13番札所。
 本尊は、記憶を増し智慧を授けるとの信仰がある。丑年、寅年の守り本尊としての信仰も集める。染織、漆器業の守護、彫刻、醸造、酒造、美術、工芸、極楽往生、知恵授け・学問向上、官位・称号・免許取得、福徳、縁結び、子授け、芸道・技芸上達、息災長寿、裁縫上達、漆祖神、商売繁盛などの信仰がある。電電宮は電気・電波守護、電気業守護などの信仰がある。知恵のお守り知恵のくるみ、裁縫上達のお守りが授けられる。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 古墳時代、300年代、この地には三光明星尊を祀る葛野井宮(かずのいぐう)があった。工芸、技芸を職とした人々に深く信仰されていたという。
 6世紀(501-600)後半、渡来系氏族・秦氏が深草から葛野に移住したとみられている。この地の開拓に伴い、葛野井宮は氏族守護の祖神になる。また、一帯を含む地名も、葛野井宮に因み葛野(かずね)と呼ばれるようになる。
 
奈良時代、713年、天平年間(729-749)とも、第43代・元明天皇の勅願により、行基が寺を開創したという。古義真言宗の木上山葛井寺(もくじょうざん かずのいでら/かどいでら)と呼ばれた。国家安泰、五穀豊穣、産業興隆の勅願所とした。以後、歴代天皇の勅願所になる。(寺伝)
 平安時代、829年、空海は高弟・道昌に寺を再興させ、100日の虚空法蔵を修したという。一木を彫り虚空蔵菩薩像を安置したという。空海の師で秦氏の勤操大徳、興業大師、明恵、日蓮などの高僧も、寺へ参篭している。
 868年、法輪寺と改称した。
 874年、道昌が再興し堂宇が改修される。寺号を法輪寺(当初は法林寺、後に法輪寺とも)に改めたともいう。
 天慶年間(938-947)、空也が参篭し、勧進により堂塔修造、常行堂を建立したという。
 平安時代中期、道命(どうみょう、974-1020)が住持になる。この頃、和泉式部が籠る。(『和泉式部集』)
 『枕草子』(996-1008)の「寺は」の段に、壺坂、笠置と並び法輪と記されている。
 1180年、霊安所として記されている。(『梁塵秘抄』)
 鎌倉時代、1206年、鳥羽上皇(第74代)が参詣した。(『百錬抄』)
 室町時代、1467年、応仁・文明の乱(1467-1477)の際に、西軍・畠山義就と東軍・筒井光宣が門前で戦う。堂宇は焼失した。その後、衰微した。(『経覚私要抄』)
 1517年、空蔵菩薩像の開帳が行われた。
 安土・桃山時代、1597年、第107代・後陽成天皇は、別当・恭畏法印に対して再興のための勧進綸旨を発した。「智福山」の勅号を贈られ、木上山より改める。
 江戸時代、1606年、後陽成天皇による勅旨で勧進が行われ、加賀前田家により再建された。落慶法要が行われる。天皇により「智福山」の勅号に改められた。
 元和年間(1615-1624)、別当・禅宥以来、広沢流となる。
 1693年、徳川綱吉が寺領50石の朱印状与えた。
 江戸時代中期以降、十三参りが盛んになる。
 天保年間(1830-1844)以来、法輪寺別当が広隆寺の別当を兼帯した。幕末まで続く。(「法輪寺文書」)
 1864年、蛤御門の変で、長州藩は天龍寺に集結し、薩摩藩・幕府軍との戦いにより大黒天などを焼失した。
 近代、1884年、本堂が再建された。その後も再興が続く。
 1914年、客殿など現在の伽藍になる。
 1936年、多宝塔が再建される。
 現代、1969年、電電宮が再興された。
行基 奈良時代の僧・行基(ぎょうき/ぎょうぎ、668/667-749)。河内国の人。父は高志才智、母は蜂田古爾比売。681年/682年、出家、官大寺で法相宗などを学ぶ。691年、高宮寺で具足戒を受ける。畿内に道場、寺を建立、溜池、溝・堀、架橋、困窮者の布施屋建設などの社会事業を行う。704年、生家を家原寺とし住した。717年、民衆煽動と僧尼令に反した寺外活動の咎で詔により弾圧を受ける。731年、弾圧を解かれる。732年、河内国狭山下池の築造に関わる。734年、東大寺大仏建立の詔が発布、勧進の任を務めた。736年、インド出身の僧・菩提僊那一行来日に際し大宰府で迎えた。738年、朝廷より行基大徳の称号が授与される。740年以降、東大寺大仏建立に協力する。741年、聖武天皇と恭仁京郊外の泉橋院で会見する。743年、東大寺大仏造営の勧進になる。745年、朝廷より日本初の大僧正位を授けられる。菅原寺(喜光寺)で亡くなる。地図の行基図を作成したという。東大寺「四聖」の一人。
◆道昌 平安時代の僧・道昌(どうしょう、798-875)。讃岐国の生まれ。渡来系氏族秦氏の出身。828年、空海より両部の潅頂を受ける。836年、広隆寺、隆城寺別当。宮中の仏名会の導師、檀林寺導師。空海の示教に従い、大虚空蔵求聞持(こくうぞうぐもんじ)法・百日間参篭修行(山中などに篭もり、虚空像菩薩の御真言<まんとら>を百万遍唱えるという行)の満願の日に、自ら虚空蔵尊像を彫り、神護寺での弘法大師供養の後、法輪寺に安置したという。虚空蔵とは大空(宇宙)を意味する。承和年間(834-848)、勅願により大堰川(桂川)の堤防を改修、架橋(後の法輪寺橋、さらに後の渡月橋)し、船筏の便を開いた。桂、川岡、向日の荒地に水を引き、田畑を開拓した。そのため行基の再来と人々に慕われたという。
◆赤染衛門 平安時代中期の女流歌人・赤染衛門(あかぞめえもん、956/960? -1041~)。大隅守・赤染時用の娘、母親の前夫・平兼盛の子ともいう。976年、貞元年中(976-978)、文章博士・大江匡衡と結婚する。夫婦仲よく匡衡衛門と呼ばれる。一男一女があり、良妻賢母の鑑といわれた。源雅信邸に出仕し、藤原道長の正妻・源倫子、娘・藤原彰子に仕えた。紫式部、和泉式部、清少納言、伊勢大輔らとも親交があった。匡衡の尾張赴任とともに下向した。子・挙周(たかちか)の和泉守への任官に尽力する。1012年、夫没後、鞍馬寺、法輪寺などを参詣した。後に仏門に入る。1035年、関白左大臣頼通歌合出詠。1041年、弘徽殿女御生子歌合出詠。『拾遺和歌集』などの勅撰和歌集に入集。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。『栄華物語』の作者ともいう。
◆道命 平安時代中期の天台宗の僧・歌人・道命(どうみょう、974-1020)。藤原道綱(みちつな)の子。幼くして比叡山の良源にまなぶ。総持寺阿闍梨、法輪寺の住持、摂津・四天王寺別当。花山天皇に仕えた。美声の持主で法華経を読むことで知られた。中古三十六歌仙のひとり。破戒僧であり、赤染衛門、和泉式部と交遊、交際したとされる。家集に「道命阿闍梨集」。
◆小督局 平安時代末期の女官・小督局(こごう の つぼね、1157-1205以降?)。小督。桜町中納言・藤原成範の娘。美貌と琴の名手として知られた。第80代・高倉天皇中宮・建礼門院徳子(平清盛娘)の侍女となる。平清盛娘婿・冷泉隆房の愛妾で、後に高倉天皇の寵愛を受けた。隆房は自死する。中宮の父・平清盛は怒り宮中より小督を追放する。呼び戻された小督は、隠し部屋に潜み、1177年、天皇との間に範子内親王を生む。清盛により再び追放され、嵯峨野に隠棲した。清盛は天皇を退位させる。1181年、天皇没後、御陵のある清閑寺に移り、菩提を弔ったという。また、清盛により清閑寺に追放されたともいう。御陵の傍らに墓という宝筐印塔が立つ。
 悲哀は『平家物語』巻六、『たまきはる』、能「小督」にも取り上げられている。小督は嵯峨野に隠れ住む。天皇の命を受け探していた北面の武士・源仲国は、琴の音を頼りに居所を尋ねた。小督は天皇のもとへ戻るが、中宮より先に子を宿したとして清盛は清閑寺に送り出家させられる。天皇は憔悴し早世する。
 境内に供養塔がある。非公開。
◆斎藤時頼 平安時代後期の武人・僧・斎藤時頼(さいとう ときより、生没年不詳)。滝口時頼入道。斎藤以頼(もちより)の子、斎藤茂頼の子とも。平重盛の臣だった。1181年、18歳で法輪寺で出家した。建礼門院の雑仕女(ぞうしめ)横笛が寺を訪ねたという。のち高野山にのぼり、平家敗走後に訪れた平維盛(これもり)を出家させたという。
◆伝承 創建時の伝承がある。平安時代、829年、道昌は、師・空海の示教に従い、大虚空蔵求聞持法・百日間参篭修行(山中などに篭もり、虚空像菩薩の御真言<まんとら>を百万遍唱えるという行)を行う。
 5月の満願の日、暁天の中空に生身の虚空像菩薩が出現したため、自ら一木に虚空蔵尊像を彫ったという。葛井寺を法輪寺と改め、神護寺での空海供養の後、法輪寺に安置したという。(『源平盛衰記』巻40)
◆建築 多宝塔は、1942年建立、方形と円形の二重塔。銅板葺、高さ17.4m。
◆仏像 平安時代の僧・道昌(どうしょう)作の「虚空蔵菩薩坐像」は、「日本三虚空菩薩像」の一つ(ほかに、伊勢神宮・金剛証寺、大垣市・明星輪寺)に数えられている。同木三体とされ、弘法大師が開眼したという。道昌は、虚空蔵求聞持法を修し、その完遂の朝に飛来したという虚空蔵菩薩を霊木より彫り出したという。『今昔物語』『平家物語』『枕草子』にもその名が登場する。
 本尊脇侍の「持国天立像」(重文)(167㎝)、「多聞天立像」(重文)(167.5㎝)がある。鎌倉時代作とされ、運慶( ?‐1223)が手掛けたともいう。木造、彩色、玉眼。非公開。
 1962年、「原子力の守護仏」が造立されている。原子核戦争の脅威に対して発心され、世界平和と幸福祈念のため、法名「原核子」を授けられた。
◆電電宮社 境内には鎮守社、電気・電波守護の電電宮社がある。電電陰陽融合光源を祖神とし、電気電波の守護神である電電明神を祀る。
 かつて、明星(金星)天子を本地とする電電明神を祀る鎮守社・明星社があった。江戸時代末、1864年の禁門の変で焼失し、仮宮が建てられた。1956年に電電宮として再興された。
 社は、電気、電力、電波、電子機器、放送、ソフトウェア関連企業など電電塔奉賛会(電電宮護持会)の篤い信仰を集めている。
 なお、境内には、ドイツの物理学者で電磁波の放射の存在を実証したハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(1857-1894)、アメリカの発明王で起業家のトーマス・アルヴァ・エジソン(1847-1931)の業績を顕彰する碑も立つ。
◆葛井 かつて、「葛井(かどのい/くずい)」、「星落井(ほしたりのい)」、「明星井」ともいわれる井泉があった。井戸には、天空から明星が降り注いだという伝承が残る。道昌は空海より「虚空蔵菩薩の霊験ある相応の地は嵯峨葛井寺である」といわれ、この地で修行をしたという。道昌が百日間の求聞持法満願の日、井水を汲むと明星が天空より降り注ぎ、虚空蔵菩薩が来迎したという。その姿を自ら刻み、本尊・虚空蔵菩薩としたという。空海が供養したという。
 また井水は秦氏が、酒造、飲料用に使ったともいわれている。非公開。
◆文化財 「後陽成天皇宸翰山号勅額」「後陽成天皇宸翰勧進綸旨」7通、「徳川将軍朱印状」8通。
 伝巨勢金岡筆「求聞持板本尊」「二童子」「如意宝珠」「能作性珠」「磨金塔」。
 左甚五郎作「双竜」。道昌所持という「舎利付袈裟」「錫杖」。
◆針供養塔 針塚は1941年に建立された。かつて針堂があり、使用した針を納めていたという。針供養塔には、皇室で使われた針が納められている。
◆文学 『今昔物語集』『枕草子』『平家物語』などに記されている。
◆十三参り 江戸時代、1773年から続く、「十三参り(知恵詣り、智恵貰い)」の寺として知られている。期間は、春(3月13日-5月13日) 、秋(10月-11月)に行われている。起源は、空海の虚空蔵求聞持法に由来するという。また、平安時代の第56代・清和天皇の成人式より始まり、歴代天皇が倣ったともいう。「難波より 十三まゐり 十三里 もらいにのほる 知恵もさまざま」と歌われ、全国より参詣があった。
 13日の虚空菩薩縁日、幼帝の勅会(ちょくえ)供養、公家の成人式の加冠(かかん)の儀式、裳着(もぎ)の儀に起因するともいう。
 数え年13歳になった男女は、4月13日(陰暦3月13日)に、虚空蔵菩薩の智恵と福徳を授かるために参詣する。男子は羽織袴、女子は振袖姿という本裁(ほんだち)が許される。選んだ漢字一字を筆にしたため、虚空蔵菩薩に供え、祈祷を受ける。また、お供物の箸をこの日から使う。かつては、十三に因み、13種の菓子が境内で売られていたという。帰路、本殿を振り返ると、授かった智恵を返さなければならないという。また、桂川に架かる渡月橋を渡りきる前に振り返ると、智恵を返さなければならないという。最早、子どもには戻れないということを促す意味がある。
◆京都十三仏霊場めぐり 虚空菩薩(三十三回忌)は京都十三仏霊場めぐりの第13番札所になっている。室町時代、8代将軍・足利義政が歴代将軍の供養を十三仏に祈願したことから始まったという。また、貴族にはそれ以前よりの信仰があったともいう。十三仏とは中陰法要、年忌法要の際の十三体の仏・菩薩をいう。中陰法要は、葬儀後、初七日の不動明王、二十七日の釈迦如来、三十七日の文殊菩薩、四十七日の普賢菩薩、五十七日の地蔵菩薩、六十七日の弥勒菩薩、七十七日の薬師如来とあり、これらを終えた満中陰により新たな生を受け、続いて百日の観音菩薩、一周忌の勢至菩薩、三回忌の阿弥陀如来、七回忌の阿閦(あしゅく)如来、十三回忌の大日如来、三十三回忌の虚空蔵菩薩と追善法要が続く。
◆重陽の節会 重陽の節会(ちょうようのせちえ)(9月9日)は、陽数の9という吉数の極数を重ねる意味であり、長寿を祈願する。邪気を祓うとされる菊がゆかりの花になる。本堂安置の菊慈像は、周王に寵愛されたが、流罪になり深山の菊の露を飲んで不老不死になったという伝承に由来する。菊酒が振舞われ、能「菊慈童」が奉納される。
◆墓 裏庭に平安時代の女性・小督の経塚といわれるものがある。(非公開)。
◆樹木 カツラの巨木、ムクノキがある。
◆年間行事 節分会(2月3日)、針供養(大蒟蒻に針を刺し、供養し裁縫上達を願う。皇室で使用された針を勅命により供養したことに始まる。これらの針は、針供養塔に納められている)(2月8日)、芸能上達祈願祭・茂山社中による奉納狂言(3月10日)、十三参り(3月13日-5月13日)、五山送り火(8月16日)、重陽の節句(菊酒がふるまわれ、能の「菊慈童」の奉納がある)(9月9日)、人形供養(人形塚で人形を供養する)(10月15日)、十三参り(10月-11月)。 うるし祭り(11月)、針供養(裁縫、服飾、芸術など技芸の上達を祈願する。虚空蔵菩薩は手芸、芸能の守護仏であり、清和天皇が針を納める堂を建てたことに因む)・古式装束の織姫の舞い(12月8日)。


*年間行事は中止、日時変更、拝観時間変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都を歩く 50 嵐山2』『京都古社寺辞典』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 上』『日本の名僧』『洛西探訪』『平安京散策』『京都隠れた史跡100選』『洛西歴史探訪』『おんなの史跡を歩く』『京を彩った女たち』『京都の寺社505を歩く 下』『京都 神社と寺院の森』『京都ご利益徹底ガイド』『京都のご利益手帖』『京の福神めぐり』


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電電宮社

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葛井

見晴台からは、桂川、京都市街地も望むことができる。


比叡山

虎像

山羊像、虚空蔵菩薩の使い。

御針供養塔、1941年建立。



針供養塔

ヘルツとエジソンのレリーフ

ヘルツ

エジソン

【参照】白熱電球のフィラメントとして使われた真竹(京都市洛西竹林公園)40V、60Wで800時間の点灯が可能だったという。

うるしの碑、漆の祖神にもゆかりある。

【参照】平安時代の嵐山復元模型、京都アスニー
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