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半木神社・半木の森 (京都市左京区) Nakaragi-jinja Shrine,Forest |
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半木神社・半木の森 | 半木神社・半木の森 |
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![]() ![]() ![]() 本殿 ![]() ![]() フタバアオイ ![]() 半木社秋祭 ![]() なからぎの森 ![]() ![]() ![]() |
京都府立植物園内の「半木の森(なからぎ-の-もり)」内に、半木神社(なからぎ-じんじゃ)はある。古くは「流木(ながれぎ/ながれき)神社」といわれた。この「半木」とは「流木」を意味した。上賀茂神社の境外末社になる。 この地は、京都の絹織物発祥の地といわれている。 祭神は、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る。織物業の守護神といわれる。植物園内にあることから開園後は園の守護神にもなった。 植物園に因み、花木実ることにより「実守(みのりまもり)」とされ、近年では合格祈願・恋愛成就の信仰も集める。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 かつて、「流木神社」といわれたという。 奈良時代より、この地は「錦部(にしきごり)の里」と呼ばれ、養蚕絹糸業が盛んになる。徳島より養蚕の神・天太玉命が勧請され、流木神社(半木神社)が祀られた。錦部郷の産土神になる。 平安時代、1017年、上賀茂神社の社領地に入る。以来、その末社になる。 ◆半木・流木 この地は、「半木(なからぎ/ながらぎ)」「なから木」「なかれ木」「流木」などとも呼ばれていた。当社は、「流木(ながれき)神社」とも称された。 ◈鴨川上流の西賀茂には、かつて「浮田(うきた)の森」があった。森には三座が祀られていた。ある時、鴨川の氾濫により一座がこの地まで流されてきた。以来、「流木」と呼ばれたともいう。 ◈なからぎの森は、上社(上賀茂神社)と下社(下鴨神社)の中間に位置する。このため、半木と呼ばるようになったともいう。 ◈かつては、「中賀茂」と呼ばれたともいう。中村(中賀茂村)という集落があった。鴨川の洪水が相次いだため、その後、岩倉中町(左京区)に移る。このため、同地区はいまも葵祭、御蔭祭に奉仕する習わしになっているという。 ただ、「中賀茂」とは、下鴨神社を意味するともいう。平安時代には、「中賀茂」「中の御社」は、下鴨神社を意味していた。さらに南に位置する河合神社は「下の御社」とされたともいう。 ◆錦部の里 この地はかつて、賀茂族が開墾した地だった。 奈良時代より、「錦部(にしきごり)の里」と呼ばれる。里には、蚕の餌である桑の木が多く植えられていたという。養蚕絹糸業が営まれ、絹織物の生産も盛んになる。 平安時代後期、1017年に上賀茂神社の社領地になる。かつてこの地には中賀茂村があり、その後、移転した。 ◆乙井川 中世(鎌倉時代-室町時代)、上賀茂神社を流れる御手洗川は、明神川、乙井(おとい)川、泉川などと分流、合流しながら鴨川に注いでいた。 半木の森には、鴨川から引かれた「乙井川」が流れ、その水神、農耕神が祀られていたとみられる。現在も半木神社の傍を流れる小川は、この乙井川の名残りという。 ◆なからぎの森 なからぎの森(0.5ha)には、山城盆地にみられた自然植生がいまも残され、「山城原野の原生の森」といわれている。 エノキ、ムクノキ、ケヤキ、サイカチ、カツラ、カエデなどの落葉樹、シイ、カシ、シロタモ、カゴノキなどの常緑樹が混交する森になっている。 ほかに、トウオガタマ、ナギ、カクレミノ、クスノキ、ツルグミ、サカキ、カゴノキ、センダン、クロガネモチ、アラカシ、トベラ、トウネズミモチ、シュロ、オオカナメモチ、ハナノキ、周辺にはマテバシイ、ナナミノキ、サカキなどが見られる。イチイガシもある。 ◆年間行事 春の例祭(4月)、秋の例祭(11月20日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 説明板、『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都』、『京都 神社と寺院の森』、『京都の災害をめぐる』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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