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鳥羽の大石 (京都市伏見区) Toba-no-oishi(large stone) |
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鳥羽の大石 | 鳥羽の大石 |
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![]() 鳥羽の大石 ![]() 「鳥羽の大石」 ![]() 石を割る際に開けられた「矢穴(箭穴)痕」 ![]() 鳥羽の石の下流、鴨川(右)と桂川(左)の合流利点付近に、かつて「草津の湊(くさつのみなと)」が開かれていた。 ![]() かつて「鳥羽の湊」があった鴨川下流の桂川の風景。湊は水上交通の要衝地として栄えていたという。 |
鴨川に架かる最南の橋である京川橋の下流、下鳥羽場三町付近の鴨川東岸河川敷に、「鳥羽の大石」はある。 切り出された長形の巨石が3つ並べられている。これらの石は、近年、龍門堰下流の鴨川水中から引き上げられたという。 ◆歴史年表 安土・桃山時代、1662年、「寛文二年近江・若狭地震」の際に、二条城の建物、石垣も損壊し、その修復のために船運により石材が運ばれ水没したとみられている。 ◆鳥羽の大石 安土・桃山時代、1662年、「寛文二年近江・若狭地震」の際に、京都でも大きな被害が出た。二条城の建物、石垣も損壊する。その修復のために各所より石材が運ばれる。船により、鳥羽のこの付近まで運ばれてきた大石は、何らかの理由により水没したとみられている。 大石は、二条城城郭の石材として、瀬戸内の石切場から切り出されていた。船で鳥羽の湊まで運ばれ、陸揚げされた。巨石は運搬するための橇(そり)、修羅に積替えられ、京都まで陸送された。 現在、二条城城門の飾り石には、この大石と酷似する石質、同じ寸法のくさび跡である「矢穴痕(やあなあと)」(くさびを入れるための穿った穴跡)が見られるという。 石を割る際に、石の目に沿い、玄翁(げんのう)と石鏨(のみ)で一列に刻まれている。この穴に樫や欅製の楔(くさび)が打ち込まれ、木に水をかけて膨張させることで石を割っていた。 石は縦180㎝、横90㎝、高さ90㎝、重さは約6tという。 ◆草津の湊 「鳥羽の石」の下流、鴨川と桂川の合流利点付近に、かつて「草津の湊(くさつのみなと)」が開かれていた。 江戸時代、京都に舟で運ばれてきた物資はここで一度荷揚げされ、以後は陸路により運ばれた。界隈は往来の旅人で賑わっていたという。 地名の鳥羽(とば)の語源は、「はとば(湊)」に由来するという。「はとば」の「は」の音が消え、「とば」になったといわれている。 *参考文献・資料 京都市の説明板、『京都大事典』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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