御池大橋 (京都市中京区-左京区) 
Oike-ohashi Bridge
御池大橋 御池大橋 
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漱石の句碑、御池大橋西詰南、「木屋町に宿をとりて 川向の御多佳さんに 春の川を隔てて男女哉 漱石」、貴船石。


「療病院址」の碑、御池大橋西詰北

御池大橋の西、加賀藩邸跡の碑と高瀬川にかかる御池橋


【参照】堀川に残されている尾池大橋の橋欄

 
御池橋
 御池通に御池大橋(おいけ-おおはし)が架かる。 
◆歴史年表 現代、1964年、第一期分が完成した。幅員は13.5mだった。
 1984年、拡幅工事が行なわれている。
 1988年、拡幅工事が行なわれる。
◆御池大橋 御池大橋の架設年は1964年になる。1984年、1988年に、拡幅工事が行なわれている。橋種は3径間連続鋼プレートガーター、橋長82m、幅員29m。
◆御池の由来 御池通(4.9km)は、川端通から天神川通に通じる東西の通りをいう。平安京では三条坊門小路といわれた。御池の名は、神泉苑に由来する。苑の広大な池が涸れることなく御池と呼ばれたことから、御池通と呼ばれたという。
 現在の御池通は、太平洋戦争(1941-1945)中の京都大空襲に備え、火災の延焼を防ぐ目的で1945年3月-4月、第三次建物強制撤去(防空空地帯、建物疎開)されたことに始まる。この時、約13000戸(133ha)の家屋が取り壊された。戦後、跡地の半分は、都市計画路線、公園、広場などに転用された。御池通のほか、堀川通、五条通なども、現在の50m道路に拡張されている。
◆漱石 御池大橋西詰南に、作家・夏目漱石(1867-1916)の句碑がある。木屋町御池のこの地には、かつて旅館「北大嘉(きたのたいが)」があった。1915年、旅館には漱石が宿泊する。
 漱石は、祇園白川のお茶屋「大友(だいとも)」の名物女将・お多佳(磯田多佳)と交流した。お多佳は多くの作家、芸術家らとも親交があり「文芸芸妓」と呼ばれていた。
 漱石は多佳に、「春の川を隔てて男女かな」という句を贈る。漱石が鴨川を詠んだ句に「加茂に渡す橋の多さよ春の風」「筋違に四条の橋や春の川」がある。
◆療病院 橋の西詰北側には「療病院址」の碑が立つ。療病院は、1872年に仮療病院(木屋町二条下ル)が開設され、ドイツ人医師・ユンケル(ヨンケル)は診療を開始する。その後、粟田口青蓮院(東山区)に移る。患者の治療とともに医学校も開設された。1903年に、京都府立医学校が京都府立専門学校(現京都府立医科大学)に改編された際に附属病院になった。


*参考文献・資料 『京の橋ものがたり』、『京都の自然ふしぎ見聞録』 、『京都水ものがたり 平安京一二〇〇年を歩く』


夏目漱石の碑  療病院址  白川祇園新橋  鴨川散策  鴨川の橋    
御池大橋 京都市左京区孫橋町付近
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